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戦国澄心伝  作者: Ryu Choukan


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第一百零二話 僧房の夜・杖影と針痕

 山門を越えた石段は、いっそう奥深く沈んでいくようだった。


 僧房、経堂、庫院が山の傾斜に沿って点々と並び、屋根は入り組んで重なり合う。高みから散る鐘の音は、ひとつひとつの軒先に当たって砕け、細かな反響となって広がっていた。


 先ほどの中年僧――自らを寛順と名乗った維那は、僧兵の営舎の脇に建つ一つの小屋へと柳澈涵を案内した。


 戸口には簡素な木札が掛かり、「医房」と太い文字で記されている。字は荒いが、かつては誰かがまっすぐに筆を取った跡が残っていた。


「ここにはもともと一人、医者が住んでいた」


 寛順は言う。「だが下山してから、戻ってこなかった」


 柳澈涵は室内を一通り見渡した。


 木の寝台が二つ、低い机が一つ、薬棚が一つ。そして隅のもっとも目立たぬところに、使い込まれた銀針が数本転がっている。


「山に清修の人は多いが、身体を酷使する者は、それ以上に多い」


 柳澈涵は淡々と口にする。「医者の足が遠く、腰も落ち着かぬのも、無理はありません」


 寛順は何も言わず、合掌した。


「昼過ぎには、数名の師父方が診察を望んでいる」


 彼は続ける。「それとは別に、僧兵たちの稽古で痛めた筋を診てもらってもよい。山上で何本か足を救えたなら、この部屋はしばらく澄原殿の仮の宿としよう」


 午後、日差しが庇の下から斜めに差し込み、光の束の中で塵が静かに浮かんでいた。


 医房では弥助が湯を沸かし、薬を煎じ、銀針を湯で煮沸して布で拭い、手際よく用意を整える。


 最初に入ってきたのは、清修の老僧が二人。


 一人は長年経を写した指が変形し、関節が腫れて筆を握るたびに痙攣する。もう一人は夜も眠れず、耳鳴りに悩まされている。


 柳澈涵は脈を取り、呼吸を確かめ、舌を見て、「肝血不足」「心火擾神」など、正統な医理の言葉を口にする。


 老僧たちはその鍼の加減にすっかり感心し、何度も「得難い」と嘆息した。


 弥助はその横で針や薬を受け渡し、さも当然のように事が進むのを見ている。


 清修の僧が去ると、今度は別の人影が戸口を埋めた。


 甲冑を纏った僧兵たちである――肩の関節を昔から痛めている者、山路の行軍で膝を腫らした者、木杖の衝撃で手首を壊し、なお平然を装う者。


 柳澈涵は彼らの筋を押し、骨をなぞりながら、心の中では別の山の図を描いていた。


 真に殺伐をくぐり抜けてきた者は誰か。ただ袈裟を着ただけの郷兵は誰か。目に血を宿した者は誰か。飯しか見ていない者は誰か。――筋と骨に刻まれた傷跡は、言葉よりよほど正直だった。


 やがて、医房の外は再び人で一杯になる。


 今度は人足や雑役たちの番だった。本来ならこの戸口を跨ぐ資格のない者たちが、肩をすぼめ、遠慮がちに顔を覗かせている。


 戸口には一人、体つきの良い僧兵が立っていた。その目には複雑な色が浮かぶ。


 柳澈涵は彼を認めていた。山門で一瞬、躊躇いを見せた男――円道である。


「円道君」


 柳澈涵が名を呼ぶ。


 僧兵は小さく身を震わせ、すぐに深く頭を下げた。「先生」


「彼らの怪我は、どれほどのものだ」


「石を担ぎ、木を運び、杖で打たれた者たちです……」


 円道は歯を噛み、「身体中が傷だらけです」と低く答えた。


 柳澈涵は銀針を針筒に戻し、戸口の一群の目を見渡す。そこにはおずおずとした、深浅の違う眼差しが幾重にも重なっていた。


「入れてやりなさい」


 円道は一瞬目を見開いた。この一言は、山の掟そのものを軽々と踏みにじっていた。


 人足たちは落ち着かない面持ちで部屋に詰めかける。腿の筋を裂いた者、背骨が歪んだ者、肩の骨に新旧の痣が幾層にも重なった者――それはまるで、風雨に削られた木の幹の傷のようだった。


 柳澈涵は一人一人の筋を押し、どこが古傷で、どこが古傷の上に新たな痛みが重なっているのかを見極める。


「誰が打った」


 と問うても、人足たちは一様に口を閉ざし、目には怯えの影が走る。


 円道がとうとう低く言う。「多くは、教頭です」


 その言葉が口から出た瞬間、戸口の外で冷ややかな鼻息が響いた。


 甲冑を着た僧兵たちが何人も、戸板を蹴飛ばすようにして医房に雪崩れ込んで来る。先頭に立つのは、山門で痛手を負ったあの教頭であった。


 彼の手首にはまだ布が巻かれ、歩みにはわずかに引きずる気配がある。それでも目の光は陰険だ。


「人足どもが仕事もせず、ここで仮病か」


 教頭は室内を一望し、杖を床に叩きつける。「円道、お前が連れてきたのか。外の医者に寄りかかって、こいつらの肝を肥やすつもりか」


 円道の顔から血の気が引き、ひしゃげたように白くなる。言い訳をしようと前に出たその肩を、仲間が乱暴に押し返し、本人ももつれた足取りで部屋の中に転げ込んだ。


「さっさと出ろ!」


 教頭は木杖を振り上げ、手近な人足の頭めがけて叩きつけようとする。


 杖が振り下ろされる寸前、柳澈涵は弥助をさっと後ろへ引き、足先で机の脇にあった小さな腰掛を蹴り上げた。


 腰掛は空中でくるりと回転し、木杖の中ほどにぶつかる。杖はわずかに持ち上がり、軌道が変わって人足の頭上を擦り、扉の枠に激しくぶつかった。木屑が飛び散る。


 狭い医房はたちまち人影で溢れ返り、僧兵、人足、弥助、円道が入り乱れる。


 弥助の背中は薬棚に押し付けられ、空気が一瞬で薄くなったように感じた。


 柳澈涵は部屋の中央に立ち、片手に刀、もう片方の手を薬箱に置き、足元をわずかにずらす。


 身体を芯として、ほんの少し身を回し、鞘と足、肩でひとつの円を描く。


 その円は大きくはない。しかし、彼に最も近い数人の僧兵の膝裏と手首を撫でるには十分だった。木杖が次々と床に落ち、身体もまた崩れ落ちる。


 円の外側には、人足たちと弥助が押し出されるようにして守られている。


 医房のこの片隅だけが、まるで二つの世界に割れたようだった。


 教頭は壁際に押し込まれたが、怒りはむしろ増していた。


 歯を食いしばって怒号を上げ、楔のように身体を押し込んでこの円を壊してやろうと、木杖を構えて突進する。


 柳澈涵は狭い空間の中でふっと身を翻し、袖が教頭の腰をかすめ、鞘の先が太腿の内側、鼠径部に近い場所を押し当てた。


 そこは走るものの力の根だ。


 あと一歩踏み込めば、一生、足を引きずって生きることになる。


「もう一歩動けば」


 柳澈涵は淡々と言う。「これから山を上り下りするたびに、誰かに支えてもらうことになる」


 教頭の額に一気に冷や汗が滲み、足は地面に釘付けにされたように止まった。


 彼は歯を噛みしめながらも、自分の脚への恐怖を初めてはっきりと自覚していた。


 柳澈涵は左の指で軽く叩き、胸骨の下を一寸ほど指先で突いた。


 教頭が人を呼ぼうと口を開きかけた瞬間、胸の中の気が再び乱れ、心肺は誰かに捻り上げられたように痛む。声は喉でからまり、せき込むことすらままならない。


「もうよい」


 寛順の声が戸口から響いた。


 彼は不機嫌そうに部屋を見回し、床に転がる木杖とよろめく僧兵たちに目を走らせた後、最後に柳澈涵を見据えた。


「ここは医房だ」


 寛順は言う。「乱暴の場ではない」


 僧兵たちは不満げに顔をしかめたが、維那に逆らう度胸はなく、教頭を支え合いながら外へ退いていった。


 教頭は去り際、柳澈涵を振り返り、恨みよりも怨嗟に近い眼差しを投げる。その中には、認めたくない心許なさが微かに混じっていた。


 寛順は深く息を吐いた。


「澄原殿」


 低い声で言う。「今日そなたが彼らの身代わりに数本の杖を受け止めた分、いずれ自分で数本の刀を受け止めねばならぬことになる」


「もともと、自分のために受けている」


 柳澈涵はごく薄く笑った。「ただ、道すがら少しばかり、他人の分を肩代わりしているだけです」


 寛順は黙り込む。しばしの後、話題を変えた。


「方丈は、そなたが山に上がってきたと聞き、明日、講経堂へ来るようにと申されている」


 彼は言う。「外を歩く人間の目に、この世がどう映っているのか、一度聞いてみたいそうだ」


「講経堂……」


 弥助は小さく復唱した。


 柳澈涵は外に目をやる。遠くの楼閣の屋根は暮色の中に溶け、その出檐の一筋だけが鋭く目に刺さる。


「よろしい」


 彼は応じた。「明日、少し高いところから、この山がどう見えるのか、拝ませてもらうとしましょう」


 円道は軒先で黙って立っていた。終始、口を挟むことはなかった。


 彼は、柳澈涵が刀の円の外側に残していた人足たちを見、それからまだ息を整えきれない教頭を見やる。


 そのとき、彼の胸の奥で、固く凝り固まっていた何かが、そっと一度だけ叩かれたように感じられた。

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