終章 2025年冬
俺はもう47歳だ。
髪は結構白いところが増えたし、お腹周りも丸く、腰も時々痛むようになってきた。立派なおじさんだ。
母が死んでからこの家に帰ってきて、今は友禅染の工房を細々と継いでいる。
観光客向けに雪の椿の柄を染めるのが主な仕事になった。
あれから本物の熊が出ることはあるが、あのクマはあれ以来一度もやってこなかった。
今夜も雪が降っている。
26年前と同じような、音をすべて飲み込む雪だ。テレビでは、令和の若者が大晦日のカウントダウンを騒いでいる。
今は仕事をしながら、YouTubeで落語を聞いている。昔の音源データがネット上でも生き生きと流れており、あの頃聴けなかった噺家の落語を聴くことができる。新しい噺家や、落研出身の芸人の落語を聴いたりもする。
でも今日は―――Bluetoothでつないだ骨伝導イヤホンから、金原亭馬生の低い声が流れ出す。
『――婆さんは言った。「お前さん、運が良かったな」……』
鰍沢。あの時聞いたMDと、録音したカセットの音源が同じなのかもしれない。声の調子がかなり似ている気がする。あの日の記憶が鮮明によみがえる。
雑音の奥に、地吹雪の唸りすら聞こえる気がする。
マリアとはあれっきりだ。
「わたし、ケイを待ってることにするヨ」と、歌舞伎町で笑顔で別れた。くしゃくしゃになったコンビニ袋にブラックサンダーと山分けにした現金を入れて、軽い足取りで去っていく後ろ姿は今でも鮮明に思い出せる。あのあと新宿で真っ当な仕事をしていると、人づてには聞いている。おそらく、今も。
景のことは――誰も知らない。
しばらく北海道の抗争がニュースになっていたが、目撃されたハイエースが本州に向かったらしいと言う週刊誌の記事を最後に、報道されなくなってしまっていた。生きているのか、死んでいるのか……。
ただ、改造拳銃の密売には警察の捜査が入り、その後2011年には全都道府県で制定した暴力団排除条例などもあり、今ではほとんどないという話だ。まあ、そちらの世界とは全く無関係の、一般人の耳に入らないだけかもしれないが。
俺は毎年正月明けに、男鹿へ行っている。
ミレニアムの、次の年にはあの食堂はなくなっていた。目黒がどこに行ったのかもわからない。現在、跡地はコンビニになっていた。
でも、俺はそこで缶コーヒーを買って、雪の中に立つ。誰もいないのに、毎年、誰かが待っているような気がする。
去年、雪の中に落ちていたものがあった。
黒い汚れが付いていた、男物のハンカチ。端に刺しゅうの『K』と入っていた。
そんなわけがないと思いながら、血の跡のような汚れから目が離せなかった。
雪は降り続ける。
なんとなく、あの優しい京都弁で「遼太郎、まだ生きてるか?」という声がしている気がする。
俺は「生きてるよ」と答え、そして、毎年同じことを呟く。
「……お前は?」
答えはない。
ただ今夜も、どこかで地吹雪が唸っている。
――俺たちはまだ、雪道を逃亡しているのかもしれない。
落語を聞きながら。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
落語もヤクザも全くわからないのに、スタジャン男子が落語を聞きながら平成の歌舞伎町を歩く絵が思いついちゃったばっかりに、YouTubeで落語を聞きながらどうにかこうにかカタチにしました。
おかしい点はたくさんあるかと思いますが、フィクションだと思って楽しんでいただけたなら嬉しいです。
皆様、よいお年を。




