5. 欠陥品と季節外れのさんま
1999年12月31日。
時計は夜の九時を回っていた。
雪はもう容赦なく降り続いている。ハイエースのワイパーは限界まで動いているのに、フロントガラスはすぐに白くなる。運転の疲労が溜まる天候だ。
景のナビゲーションで向かったのは、国道7号沿いの雪に埋もれかけた一軒の店。「カツ丼・カレーライス・ラーメン 各500円」と言う使い込まれたのぼりと、「冬季限定きりたんぽ」という真新しいのぼりが雪風にはためいている。
看板は真っ赤に錆びて、近づくとかろうじて「目黒食堂」とだけ読める。暖簾の向こうから、明かりが漏れてくる。
「ここや。まだこの時間なら大丈夫やな」
景の後を付いて暖簾をくぐると、秋田杉の香りとダルマストーブの熱が同時に襲ってきた。指先の頬が急な血管の拡張に、ジンと痛む。
店内は客が誰もいない。古びた店内は昭和のままだった。古ぼけたブラウン管が紅白歌合戦の演歌を流しており、壁には黄ばんだポスターが剥がれそうになっている。
カウンターに座っていた男が、ゆっくりと顔を上げた。厳つい顔に古い傷跡がついていて、いかにもという面構えだ。
「……いらっしゃい。ラストオーダー10時でよければ、お好きな席へどうぞ」
声は低く、聞き慣れた響きがした。東北特有の訛りを感じられない、関東の話し方だった。
景は店主に近づき、小声で話しかける。
「……さんま、ありますか?」
店主の手が、ピタリと止まる。
一瞬、鋭い目で景を見据えた。低い声で店主が答える。
「……何匹だ?」
「一匹でえぇです。頭から食いたいんで」
店主は無言で奥に引っ込み、すぐに戻ってきて、暖簾の奥の座敷へ通す合図をした。
先を進む景を追いかけるように、俺とマリアはあとをついていく。
「リョータロー……12月にさんま? 変ネ……」
「……"目黒のサンマ"……か。目黒と違って、ここには海があるのにな」
『殿様、お馬がございませんので……』
俺の脳内に「目黒のさんま」が流れている気がする。脳裏ではさんまはお上のお口にはいるような魚じゃないと、家来が畏まっている。それでもさんまを所望する、景がお殿様か。
奥の座敷に案内されると。店主と景が向かい合って座り、俺たちも促されて座布団に乗る。
あとから従業員らしき女が、焼きたてのさんま一匹を店主と景の真ん中に置き、それから人数分の豚汁、おにぎりをテーブルに並べた。
「……山本が決めた合図だ。『さんま一匹、頭から食べると頼んできたやつが俺の後釜だ』ってな。俺は目黒って言う。」
目黒は無表情のまま、テーブルの食べ物を俺たちに勧めた。俺たちが箸を持つと、話を続ける。
「二十年前まで、山本と盃を交わしてた。今は秋田に逃げてきて、この通り食堂を経営している」
「後釜かはわかりませんけど、景と言います。―――サンマ好きの山本さんらしいですわ。もしこの店に寄ることがあれば、一匹、頭から食えと言われてましたが……そない合図やったんですね」
「山本はいつも言ってた。『俺はさんまと同じや。安物でも、一度食ったら骨まで覚えられる』ってな。で―――アイツはどうした?」
「死にました。……額に一発撃たれて、殺されました」
「………そうか」
景は座り直し、目黒に向き合う。
焼けたさんまの良い香りがする。時期的に冷凍物だろうが、俺には見た目で分からない。
景が木箱を取り出し、改造拳銃を目黒のほうに向けた。
「山本さんから聞いてます。銃については、目黒さんに聞くように、と。―――これ、某国組織の試作品です。消音器付きの新型、木製グリップで凍傷防止、連射時の凍結防止バレルカバー付き」
「山本がハブになって北の方に売買してるらしいな。資金源は変わってなければ……国際偽装結婚か」
目黒はチラリとマリアを見る。マリアは丸い目をキョロキョロさせていた。目黒と目が合うと、首を窄めて手元の豚汁を啜った。
マリアから木箱に視線を変えた目黒は、鋭い目で目の前の銃を凝視していた。
「確認したいんです。ただの銃―――やったら、俺たちが追われる、なんてこと、ないはずやと思てるんです。たかだか30マンで命はとらへん、と……。銃は詳しくはないんですが、どうも前見たんとちゃうんですよ」
「ほぅ……―――で?」
「せやから、欠陥品を北海道の組織に持っていきたい派閥が山本さんで、それを阻止したい派閥に追われているんじゃないかと。抗争の原因でもなきゃ、狙われないんやないかって」
景の言葉に、目黒の目の色が変わった気がした。俺も銃を凝視するが、何が違うのか分からなかった。
目黒はしばらく、改造銃をひっくり返したり撫で回したりとと隅々まで見ていたが、何かに気がついたような表情をして手を止めた。
「おめえ、目が良いな。その推理は間違えねぇと思うぜ……。ああ、これは"欠陥品"だ。ここの細工は……寒いところじゃ耐えられんな。俺の知ってる細工なら……バレルカバーは零下10……いや、20度以下で金属疲労起こして暴発する、といった銃じゃねえかな。もし、これを北海道の組織に持っていったら―――ああ……つまりアイツは、最後に、組織を裏切ったんだな……」
目黒は銃を木箱に丁寧にしまい、目を細めた。
「……アイツらしい。最後の最後で、すべてぶっ潰そうってことか」
目黒は黙って煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐く。
「で、これをどうしたいんだい」
「俺、銃を届けるんやなくて、『欠陥品を渡した奴らを探し回ってる』ってことにして欲しいんですわ」
「………なるほど、な。そう言う風に北の奴らに伝わるように、俺に手を回せと言うことか」
「まだまだ銃器に関するアレコレは、目黒さんは現役やとお聞きしています。―――俺ら、もう追いかけっこは懲り懲りなんですわ」
目黒は初めて笑った。
低い、乾いた笑い。
「山本が生きてたら、こう言うだろうな。『さんまは頭から食え。骨までしゃぶり尽くせ』って」
景もどこか遠い笑顔をうかべる。
ダルマストーブの火がパチッとはじけた。
さんまの香ばしい匂いが、座敷にいつまでも漂っている。静かな年の瀬だ。
「そうやな。……俺も、そろそろ骨までしゃぶってもらいに行きますわ」
目黒食堂を出たのは、2000年1月1日の未明だった。
世間はミレニアムで沸いていたらしい。ラジオでもアナウンサーが騒いでいたようだが、俺たちにはそんな余裕はない。ただの真夜中だ。
雪は小降りになり、代わりに霧が深い。男鹿半島から北上し、景のナビゲーションで。青森へ向かう。
青森駅に着く頃には、空が明るくなり始めていた。雪の反射で日の出をぼんやり見ることができていたのだが、それが初日の出だと誰も気がついてはいなかった。
「直ぐには、追っ手まで目黒さんの情報は届かへんやろな」
「なぁ、景。俺たちが『欠陥品を渡した奴らを探し回る』ってこと?」
「いや。単に、追っ手避けくらいでしかない。俺が北に届けるまでの、時間稼ぎや」
「――どういうこと?」
「約束や……。山本さんが最後に言った言葉、俺は覚えてる。『さんまは頭から食え。骨までしゃぶり尽くせ』ってな。……俺は、骨までしゃぶってやる」
最後は呟くような、自分に言い聞かせるような声だった。
マリアは後部座席で毛布にくるまり、黙って聞いていた。いつもの幼い演技をやめている。目だけが、大人だった。
マリアは少しかすれた声で、景に尋ねる、
「………景、なにしょうと、してるノ?」
「北に向かうよ……どうやら俺が、後釜らしいんで、な」
『殿様、いかがでございましょう?』
波が防波堤にぶつかり、白い飛沫が上がる。
『うむ、さんまは目黒に限る!』




