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2.追っ手と誤魔化しの時そば

無数のヘッドライトが道路を照らし、ラジオから雑音混じりのニュースが流れていた。今のところはまだ、歌舞伎町の銃撃のニュースはないようだった。

だが、心のどこかで、それがいつニュースになり広がるかを想像して、俺の指はハンドルを握りしめていた。雪の粒子がフロントガラスにぽつぽつと当たり始め、ワイパーがそれを払う音が、妙に耳に残る。


夜の首都高は渋滞していた。


手持ち無沙汰の俺は、車に置いてあったウエットティッシュで顔や指などの赤く染まったところを拭き取る。

助手席の景に、ウエットティッシュを渡す。 受け取る手はもう震えてはいないようだった。


「血、拭いたほうがいいですよ。手に結構ついてます。えっと、服には飛んでないように見えますけど」

「あ、ああ。ありがとう――あー……っと、南雲くん?」

「はい、南雲です。あなたは景さんって呼ばれてましたよね?」

「そうや、俺は元宮景。えっと、君は……まだ震えとるやん。これ食べ?」


景はコートの内ポケットから、何かを取り出した。

くしゃくしゃのコンビニ袋に、いくつかのお菓子が入っている。

――チョコレートのお菓子「ブラックサンダー」



「これ、さっき事務所で山本さんの机にあったやつや。……ちょっと拝借させてもらいまして。な?甘いの食べると、落ち着くで」


マリアは目を丸くしてチョコを受け取ると、ポロリと涙をこぼした。その後、両手で涙を拭いてから、笑顔をみせる。


「ありがと。わたし、マリア、ネ。チョコ好きヨ」


マリアはブラックサンダーを袋から取り出して、口に入れる。硬かった表情が、少し緩んだ。それとともに車内の空気も、ほんの少しだけ温かくなった気がした。

俺は、マリアの頬にも血が飛んでいることに気がついた。


「あ、マリアさんも、お顔拭いたほうがいいかもです」

「ありがと。―――わたしたち、仲間、"サン"いらないヨ。マリア、ネ?」

「あ、仲間……。うん、そうだね、仲間、か」

「俺も、景でえぇよ。南雲……えっと……」

「遼太郎です」

「ケイと、リョータロー、ネ! 敬語(ケーゴ)、むずかしいカラ。やめテ?」

「せやな、敬語なしでえぇよ。遼太郎も」


俺は頷いて、進み始めた渋滞に前を向く。

急に車の流れが良くなり、そのままスムーズに首都高を抜け、関越自動車道へ入る。

ラジオは知らないアイドルのおしゃべりになり、明るい下手くそな歌が流れていた。ちょっと俺の苦手なタイプの歌だ。ポップで軽薄で、現実の重さを誤魔化そうとするような歌声。


「ラジオは聴いてます? 違うのに変えてもいい?」

「ん、なんでもえぇよ」

「マリア、この歌好きじゃないカラ、変えていいヨ」


俺はふたりに断りを入れて、ポケットのMDをオーディオに入れた。

古今亭志ん朝の短めのマクラから、『時そば』が始まる。加齢の愚痴を交え、蕎麦自慢の江戸っ子話へ滑らかに移る低く渋い声が、車内に広がった。


『……チンリンチンリンチンリンチンリン……江戸の町を……そば屋の声が響き渡るんですよ……』


「これナニ?」

「んー、落語。こういうの好きじゃないかな?」

「よくワカラナイよ。でも、なんか、変な音、面白いネ」

「へー、ずいぶん渋い趣味やなぁ」


景の言葉に、俺はハンドルを握ったまま少し笑った。

関越道の暗い道が、ヘッドライトでぼんやり浮かぶ。雪の粒子がフロントガラスにチラチラ当たってる。


「まあ、俺らくらいの世代あんま聞かないかもね……。でも、なんか、江戸の昔話みたいなのに、ダジャレや言葉のひねりで笑わせてくるとこが、救いみたいな感じでさ。ほら、今の『時そば』みたいに、蕎麦屋の親父が勘定を誤魔化す話だけど、日常のバカバカしさがクセになる。笑ってるうちに、借金やらヤバい仕事のストレスが飛んでくんだよ」

「……はは、たしかにそうやなぁ。バカバカしいお笑いで、ストレス飛ぶのはなんかわかるわ」


俺はちらりと横目で景を見る。浅黒い肌が、ダッシュボードの青白い光に浮かんで、影が深く落ちる。

顔立ちからみてハーフだと思われる彼にも、俺には分からないいろんな苦労もストレスもあるのだろう。


ミラーで後部座席をみると、マリアがきょとんとした顔をしていた。


「俺は笑いのツボは国境がないと思ってるから、マリアも楽しめると思うんだけど……」



『「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ――オウ、いま何時だい?」

「えー、九つでございます。」

「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六と。……じゃ、ごっそさん。」』



「え、今、オカンジョー、ごまかしたネ! 落語、面白い! 」

「そ、セコい話だろ?」


マリアが後ろから身を乗り出して、目を輝かせる。

景は助手席で手を拭きながら、笑みを浮かべているのが見えた。なんとなく、血の匂いが薄らいできた気がする。

俺はMDの再生を続け、志ん朝の声が車内を満たす。


ちらりと見た後方視鏡(バックミラー)に、遠くのライトがチラリと映った気がした。






俺たちは高速のパーキングで休憩していた。

マリアは後部座席で寝ているようだった。シートに寄りかかり、小さく丸まって、息が静かだ。時折、日本語ではない言葉でなにやら寝言を呟いている。俺はそっと毛布代わりに自分のマフラーをかけてやる。彼女の頰が、街灯の光で少し青白い。事務所で見た幼い顔が、夢の中で安らいでいるような気がした。


外へ出ると、雪混じりの雨が本格的に降り出していた。さすがにスカジャンだけでは寒い。眠気は覚めるが、身体の芯まで冷えるようだった。きっとこの先は本格的な雪になるだろう。俺の故郷みたいに、道が白く閉ざすくらいに。

俺は自販機で缶コーヒーを買って、熱い缶を握りしめた。湯気が、白い息に混じる。


その時俺は、パチンコのサクラ始めた頃を思い出していた。

借金で首が回らなくなり、山本さんの事務所に初めて呼ばれた日。志ん朝の『芝浜』をMDで聞いて、財布の夢見て笑ったよ。拾った金で借金返して、足洗う――そんなハッピーエンドを信じてた。でも現実の勘定は、いつも十六文みたいに膨らむ。誤魔化しきれない。数時間前に聞いた銃声が、また聞こえたような気がした。パンッという間抜けなあの音が、俺の人生のオチみたいだ。




景は『先に用、足してくるわ』と、少し前に足早にトイレに向かって歩いて行っていた。

俺もコーヒーを飲み終えた後、自分も用を足そうとトイレへ向かう。

深夜のパーキングは人気がなく、雪の音だけが響く。景はのんびり手を洗っていたが、目が少し赤い。手は震えており、疲れているように見えた。


「あ、遼太郎。一番奥の個室、使わんほうがえぇで」

「えっ?」

「―――使()()()、や」


景の手元をみると、赤い色の水が水道水と共に白いシンクに流れているのが見える。

さっきの銃撃戦はリアリティがなかったが、血の臭いが、鼻を刺して現実味を突きつけてくる。吐き気が、喉を締めつける。外の雪音が、足音に聞こえる。


「バレる前に、出発せなあかんなあ。―――悪いけど、また、運転頼むわ」


俺は一番手前の個室で、先ほど飲み干したはずのホットコーヒーをすべてぶちまけた。胃がひっくり返る。

出てくると、景がタオルで手を拭きながら、苦笑していた。


「なんで、俺らに追っ手が来たんやろね」

「……山本さんを、ヤッた仲間、ってこと?」

「そやろね。―――時そばの勘定みたいに、誤魔化せてへんな。俺ら、追われてるんやな」



『……結局、十六文払う羽目に……これが時そばのオチでございますよ……欲張りは身を滅ぼすってえ教訓で………』



雪が、ますます強くなる。パーキングの灯りが、白くぼやける。

俺たちはエンジンをかけ、再び関越道を走った。



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