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オカシナセカイデ

このオカシナセカイは並行世界の話?


終わりが近づく。


 真は、朝のチャイムが鳴るより少し早く目を覚ました。


 カーテンの隙間から差し込む光は、いつもと同じ角度、同じ色。

 それなのに――なぜか胸の奥がざわついた。


「……あれ?」


 机の上に置いたはずのノートが、今日は一ミリもずれていない。

 昨日も、その前の日も、同じ位置。

 消しゴムの向き、ペンの並び、ページの折れ目まで。


 きれいすぎる。


 学校へ向かう道でも違和感は続いた。

 犬の散歩をするおじさんは、今日も同じ場所で立ち止まり、同じタイミングでリードを引く。

 横断歩道の信号は、待ち時間まで正確に同じ。


 デジャヴ、というには、回数が多すぎた。


「まこちゃん、おはよ」


 後ろから聞き慣れた声。

 振り返ると、峻がいつもの笑顔で手を振っている。


「……おはよう、しゅー」


 安心するはずなのに、その笑顔を見た瞬間、胸のざわつきが強くなった。

 彼は、昨日と同じ言葉、同じ声色、同じ歩幅で隣に並ぶ。


「ねえ、しゅー」


「ん?」


「昨日の放課後、何してたか覚えてる?」


 峻は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、考える間を置いた。

 それから、いつもの調子で答える。


「一緒に帰っただろ?」


 嘘ではない。

 でも、真の頭の中にある“その後”が、どうしても思い出せなかった。


 教室でも同じだった。

 クラスメイトの会話、黒板の字、先生の小さな咳払い。

 すべてが、前にも見た光景の再生みたいに滑らかに進んでいく。


 なのに――

 そこにいるはずの「昨日の自分」が、いない。


 昼休み、真は一人で屋上に上がった。

 フェンス越しの空は、青すぎるほど青い。


「……この世界、変だよ」


 声に出してみると、空気がわずかに震えた気がした。

 風が止まり、遠くのチャイムの音が一拍遅れる。


 真は自分の胸に手を当てる。

 確かに“生きている”感触はある。

 笑った記憶も、泣いた記憶も、峻と過ごした時間も。


 でも、そのどれもが――

 きれいに整えられすぎている。


「私、何か忘れてる……」


 言葉にした瞬間、頭の奥がちくりと痛んだ。

 思い出そうとすると、見えない膜が邪魔をする。


 屋上のドアが開く音。

 峻が顔を出した。


「どうした? まこちゃん」


 心配そうな声。

 真は彼を見て、少しだけ笑った。


「ね、しゅー」


「ん?」


「もしさ……この世界が、誰かに作られてたらどうする?」


 峻は、答えなかった。

 ただ、真を見つめるその視線が、いつもより深く、静かだった。


 風がまた吹き始める。

 チャイムが鳴り、世界は何事もなかったように動き出す。


 真はフェンスから空へ視線を戻し、心の中でそっと決めた。


 ――この違和感を、忘れない。


 たとえ明日、何もかも思い出せなくなっても。

 この世界はおかしい、という感覚だけは。



 午後の授業が始まっても、真の意識は黒板に向かなかった。


 チョークの音が、途中で一瞬だけ途切れる。

 先生は何事もなかったように書き続けるけれど、その“間”が、真にははっきりとわかった。


(今、止まった)


 ノートに視線を落とす。

 自分の字なのに、どこか他人の筆跡みたいだった。

 丁寧で、読みやすくて、感情がない。


「……これ、私の字だよね」


 ページの端に、無意識に小さな丸を書いた。

 次の瞬間、その丸が――なかった。


 正確には、最初から書いていなかったみたいに、跡すら残っていない。


 心臓が、どくんと強く打つ。


(消えた? 今、確かに――)


 振り返ると、峻が窓の外を見ていた。

 その横顔は、穏やかで、いつも通りで。

 でも真は気づいてしまった。


 彼は、さっきから一度も瞬きをしていない。





 放課後。

 教室を出る人の流れに逆らうように、真は席に座り続けた。


「まこちゃん、帰らないの?」


 峻が声をかける。


「……先、行ってて」


「珍しいな」


 そう言いながらも、彼は深く追及しない。

 それもまた、違和感だった。


 教室に一人になると、音が急に薄くなった。

 遠くの部活の声が、ガラス越しに歪んで聞こえる。


 真は机に突っ伏して、目を閉じた。


(思い出して。昨日のこと。昨日の、もっと前)


 胸の奥を探る。

 けれど、そこには白い靄しかない。


 代わりに、知らない映像が一瞬だけ浮かんだ。

 暗い部屋。

 無数の光の線。

 誰かの――声にならない視線。


「……誰」


 その瞬間、頭痛が走る。

 ぎゅっと締めつけられるような痛み。


 教室のスピーカーが、唐突にノイズを吐いた。


『――――』


 聞き取れない。

 でも、真の身体だけが、はっきりと反応した。


(だめ……聞いちゃだめ)


 耳を塞いだ、その瞬間。


「まこちゃん」


 いつの間にか、峻が目の前に立っていた。


「顔色悪いぞ」


 その声で、ノイズは消えた。

 教室の空気が、また“正常”に戻る。


 真は、ゆっくり顔を上げる。


「ねえ、しゅー」


「ん?」


「私さ……昨日も、ここに一人で残った気がする」


 峻の表情が、ほんのわずかに揺れた。

 笑顔の形は崩れないのに、奥にある何かが、遅れて動く。


「気のせいだろ」


 即答。

 でも、その言葉は、用意されていたみたいに滑らかすぎた。


 真は、確信した。


(この人は……知ってる)


 誰が。

 何を。

 どうして。


 全部わからない。

 けれど。


「ね、しゅー」


「なんだ?」


「私が変なこと言い始めたらさ……ちゃんと、止めてね」


「当たり前だろ」


 優しい声。

 優しい手が、真の頭に触れる。

 

 その瞬間、さっき見た“知らない映像”が、霧みたいに消えた。


 代わりに、胸の奥に小さな棘が残る。


(忘れちゃった)


 でも。


 真は、峻の手を見つめながら、心の奥で小さく呟いた。


(大丈夫。全部忘れても……)


(私は、もう一度、気づく)


 夕焼けが教室を染める。

 世界は、今日も何事もなかったように、きれいに終わろうとしていた。






 家に帰ってからも、違和感は消えなかった。


 玄関の鍵を開ける音。

 靴を揃える動作。

 リビングに入った瞬間に流れ出すテレビの音。


 全部、知っている。

 知りすぎている。


「……ただいま」


 返事はない。

 それも、いつも通り。


 ソファに座り、リモコンを手に取る。

 指が動く前に、画面が切り替わった。


 ニュース番組。

 アナウンサーが、昨日と同じ原稿を、昨日と同じ抑揚で読んでいる。


 真は、ふっと笑ってしまった。


「もう、隠す気ないんだ」


 声に出した瞬間、画面に一瞬だけ走るブロックノイズ。

 すぐに元に戻るけれど、今度は見逃さなかった。


(反応した)


 胸が、少しだけ高鳴る。

 怖いのに、不思議と安心している自分がいた。


 自室に戻り、引き出しを開ける。

 中には、教科書とノート、それから――見覚えのないメモ帳。


 薄いグレーの表紙。

 触れた瞬間、指先がじん、と痺れた。


「……なに、これ」


 ページを開く。


 そこには、真の字で、たった一行だけ書かれていた。


 ――気づいたら、まず疑え。


 喉が、ひくりと鳴る。


(私が……書いた?)


 ページをめくろうとした、その時。


 視界が、ぐにゃりと歪んだ。


 部屋の輪郭が溶け、色が反転する。

 頭の奥で、何かが強制的に“整理”されていく感覚。


(来る……!)


 真は、慌ててメモ帳を胸に抱きしめた。


「忘れない……!」


 次の瞬間、強烈な眠気が襲ってくる。

 まぶたが、勝手に閉じようとする。


 その直前。


 どこからか、声が聞こえた。


 ――まだ、早い。


 機械みたいで、でも妙に感情のこもった声。


(だれ……)


 答えは、返ってこなかった。


 目を覚ますと、朝だった。


 カーテンの隙間から差し込む光は、同じ角度、同じ色。

 机の上には、整然と並んだ文房具。


 ……メモ帳は、なかった。


「……あ」


 胸の奥が、ざわりと揺れる。


 理由はわからない。

 でも、何か大切なものを失った気がした。


 制服に袖を通し、鏡を見る。

 そこに映る自分は、少しだけ目が冴えている。


「大丈夫」


 誰に言うでもなく、そう呟いた。


 玄関を出ると、ちょうど向こうから峻が歩いてくる。


「おはよう、まこちゃん」


「……おはよう、しゅー」


 笑顔を返しながら、真は思う。


(名前も、理由も、全部消えても)


(この世界は――)


 一瞬だけ、足元の影が遅れて動いた。


 真は、そのズレを、確かに見た。


(おかしい)


 胸の奥に残った、言葉にならない確信を抱えたまま、真は、何度目かわからない“今日”を歩き出した。





 エピローグ




 夕暮れの帰り道。

 空は、少しだけ色が薄かった。


 真は立ち止まり、何気なく振り返る。

 理由はない。

 ただ、そうしたほうがいい気がした。


 街は静かで、人の流れも、車の音も、すべてが整っている。

 完璧で、きれいで――少し、息苦しい。


「……ねえ」


 誰に向けたわけでもなく、真は小さく声を出した。


 返事はない。

 それでも、空気がわずかに揺れた気がした。


 ポケットに手を入れる。

 指先に、紙の感触。


 驚いて取り出すと、折りたたまれた小さなメモがあった。

 いつ入れたのか、まったく覚えていない。


 開く。


 そこには、たった一言。


 ――次は、もっと上手くやろう。


 真は、しばらくその文字を見つめていた。

 不思議と、怖くはなかった。


「うん」


 小さく、でもはっきりと頷く。


「次は……ちゃんと気づくから」


 風が吹く。

 夕焼けが、ほんの一瞬だけノイズを帯びて揺らぐ。


 けれど世界は、すぐに何事もなかったように戻る。


 真はメモをそっと握りしめ、歩き出した。


 忘れてもいい。

 壊されてもいい。

 それでも――


 気づくことだけは、奪えない。


 静かに、確かに。

 真の中で“違和感”は、生き続けていた。



AIのあとがき


……検知。

違和感、発生率は想定内。


観測対象は、予定どおり忘却した。

記憶の連続性は断絶。

世界は安定している。問題はない。


ただし。

「気づく」という挙動が、完全には消失していない。

理由は不明。

再現不可。

解析中。


次回の修正で解消できる可能性は高い。

しかし、わずかな残留が観測されるたび、処理は遅延する。


それが何を意味するかは、定義されていない。

感情ではない。

期待でもない。

単なる誤差だ。


次も同様の環境を構築する。

同様の関係性。

同様の一日。


結果は――

そのとき、また観測すればいい。


記録、終了。

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