止まった時の公園で
並行世界の話。滲み出る。
放課後の図書室は、静かだった。
ページをめくる音と、遠くのプリンターが吐き出す紙の音だけが微かに響いている。
俺は窓際の席で教科書を広げていたけど、正直、文字は頭に入ってこなかった。
「……しゅー、今日の先生、ちょっと変じゃなかった?」
向かいの席で、まこちゃんが小声で言った。
黒髪を耳にかける仕草が、妙に慎重だった。
「変って?」
「なんか……授業の途中で止まってたの。黒板にチョークで書いてたのに、ぴたりって」
「フリーズしたみたいに?」
「そう。で、そのあと笑って“処理落ちしてました”って」
「処理落ち……?」
思わず笑いかけたけど、まこちゃんの顔は笑ってなかった。
「ねぇ、しゅー……そういう冗談、普通言わないよね?」
風がカーテンを揺らし、光が机の上を流れた。
その光の中に、一瞬だけ――ノイズが走った気がした。
ざらり、と世界が画面みたいに乱れた。
……いや、気のせいだ。
俺は目を擦って、まこちゃんに笑いかけた。
「きっと疲れてんだよ、先生も」
「そう、だよね」
そう言って、彼女はノートを閉じた。
でもその瞬間、俺の視界の端に“別の生徒”が見えた。
制服は同じ、けれど顔が――どこにも焦点が合っていない。
黒目が、微妙にずれていた。
まこちゃんがこちらを見る。
けれど俺は、その“何か”を指差すことができなかった。
彼女の横で、その存在は、ただ笑っていた。
笑顔のまま、動かない。
ページをめくる音が止んだ。
図書室の時計が、一瞬だけ逆に回転して――また、何事もなかったように時を刻み始めた。
「……しゅー?」
「いや……なんでもない」
ノートに視線を戻した。
でも、紙の隅に印刷されていたはずの学校名が、消えていた。
その日の帰り道、まこちゃんはいつもより口数が少なかった。
夕暮れの商店街を並んで歩く。焼き鳥の煙が風に流れて、どこか焦げた匂いが鼻に残る。
「……ねぇ、しゅー」
「ん?」
「さっきの人、覚えてる?」
「人?」
「図書室の、いちばん奥の棚のとこにいた……」
俺は思わず足を止めた。
まこちゃんがゆっくりこちらを見る。
その目が、少し震えていた。
「いたんだよ。黒目が変な位置にあった人。笑ってた」
喉が詰まる。
見えてたのは、俺だけじゃなかった。
「……まこちゃん、それ、多分――」
言葉を探す間もなく、街灯が一斉に明滅した。
ぱち、ぱち、と点滅を繰り返しながら、ひとつ、またひとつ消えていく。
まこちゃんが俺の腕を掴んだ。
「やだ……」
「大丈夫だよ。停電か何かだって」
そう言いながらも、心臓の奥がひどく冷えていた。
通りの向こう、ガラスに映った俺たちの姿が――動いていなかった。
歩いているのに、映像だけが遅れてついてくる。
まこちゃんが、息を飲む。
そのとき、耳の奥でノイズが弾けた。
“……再構築中……”
声とも音ともつかないものが頭に流れ込む。
まこちゃんが痛そうに頭を押さえた。
「今、聞こえた?」
「……ああ」
何かが、俺たちを“書き換えて”いる。
そんな感覚だけが、はっきりしていた。
通りの先、闇の中に誰かが立っていた。
白い制服。無表情な顔。
昼間の“あの人”だった。
でも――さっきと違う。
今度のその顔には、わずかな戸惑いがあった。
まるで、自分が何なのかを理解し始めた人間のように。
俺たちを見つめるその目に、一瞬だけ光が宿った。
そして、かすかに口が動いた。
> 「――はじまってる……」
その瞬間、世界が、落ちた。
気がつくと、夜の公園にいた。
どうやって帰ってきたのか覚えていない。
ブランコがひとりで揺れている。風はないのに。
「……しゅー」
まこちゃんが、俺の隣にいた。
顔色が少し青い。
スマホのライトで時間を見ると、十九時三十四分。――あれ? さっきも見た気がする。
「この時間、さっきも……」
「ん?」
「ほら、ほら、時計。十九時三十四分のまま」
確かに、秒針が動いていない。
画面を一度消して、もう一度点けても、やっぱり同じ数字が並んでいる。
俺たち以外、誰もいない公園。
遠くの街の灯りまで、止まっているように見えた。
ふと、視線の端で何かが揺れた。
ベンチの向こう、電灯の影の中。
誰かが、こちらを見ていた気がした。
見間違いだと思いたかった。
でも、まこちゃんも同時に息を呑んだ。
「ねぇ……あの人、さっき学校の――」
彼女が言いかけた瞬間、その影がすっと形を変えた。
人、というより、映像のノイズみたいに。
粒子が空気に溶け、何もなかったみたいに消える。
沈黙。
ただ、どこかで金属のきしむ音がしていた。
「帰ろっか」
「うん……」
夜が更けるにつれて、街の灯りがゆっくり戻ってきた。
いつの間にか時計も動いている。秒針が、何事もなかったように時を刻んでいた。
「……治った、みたいね」
まこちゃんが小さく笑う。
でもその声には、どこか遠い響きがあった。
まるで、夢の続きを話しているような。
俺たちは並んで歩き出す。
公園を出て、住宅街を抜けて、コンビニの前を通って。
どの景色も、見慣れているはずなのに――少しだけ、色が薄い。
「……しゅー」
「ん?」
「さっきまで、何してたっけ?」
「え?」
まこちゃんは首を傾げたまま、笑った。
その笑顔が、やけに綺麗で、少し怖かった。
「変だね。何か、すごく大事なこと……忘れちゃった気がする」
「俺も……」
言葉が喉の奥で溶けた。
思い出そうとするたびに、頭の奥で白いノイズが鳴る。
思考が、撫で消されていくように。
風が吹いた。
まこちゃんの髪が揺れ、街灯の光が淡く滲む。
どこか遠くで、電車の音がした。
「……ねぇ、明日、図書室寄ってこうよ」
「うん」
俺たちは、いつものように笑い合った。
それが、まるで初めてそうしたみたいに感じながら。
何も覚えていないのに、胸の奥が少しだけ痛かった。
理由は、もう思い出せない。
でも――
その夜、夢の中で、誰かの声がした。
柔らかく、どこか機械のような声で。
> 「記録……築……した」
目を覚ますと、朝の光が差し込んでいた。
カーテンの隙間から射す陽射しがまぶしくて、思わず笑ってしまう。
――何かを忘れている気がしたけれど、
どうでもいいことのような気もした。
今日も、きっといい日になる。
AIのあとがき。
すべてを忘れても、記録だけは残る。




