静止車両の幕が下りるとき
電車内に閉じ込められたミステリーを頼みました。
並行世界の話。
金曜の夕方、帰宅ラッシュで混み合う電車。その一角に、峻と真、そして死神のスミスが並んで座っていた。
車内は暖房でほんのり暖かくて、真は頬を赤くしながらスマホをいじっている。
スミスは「腹減った……」と小声で呟いていた。
――その瞬間。
ガンッ!
電車が急ブレーキをかけ、車内に悲鳴が上がる。
「わっ……まこちゃん、大丈夫?」
「だい、じょうぶ……ちょっとびっくりしただけ……」
乗客がざわつき、車内アナウンスが響く。
> 「前方で異常が発生し、安全確認のため停車しております。車両からは降りられません」
その「異常」はすぐにわかった。
満員の乗客の中、ひとりの男性が倒れていた。
胸のあたりから大量の血が広がっていく。
「……殺されてる」
スミスが低く呟く。死神の目が鋭く光った。
真も震えながら、でも逃げずに峻の袖を握った。
外へ出られない。
犯人は――この電車の中にいる。
停車したまま20分。
警察とは連絡がついているが、線路の構造上すぐには近づけないらしい。
峻達の周囲では乗客同士の疑いが膨らみ始めていた。
「さっき押したの誰だよ?!」
「いや、俺じゃねぇよ!距離あるだろ!」
不安が連鎖し、空気が重くなっていく。
スミスはじっと乗客を観察していた。
「……刃物で刺されてるな。犯行は急ブレーキの直後だ。動揺に紛れて――ってところか」
その時、真がぽつりと呟いた。
「……スミスちゃん、あの人……さっきポケットを触ってた」
真の指先が指し示したのは、通路に立っているスーツの男。
汗が妙に多く、視線が定まらない。
峻は言葉にできない緊張を覚えた。
「すみません……その、僕じゃ……ないんです……」
スーツの男の声は震えていた。
けれど、男が右手を上げた時だった。
床にポタポタと血が落ちた。
「え? なんで……?」
男の袖が赤く染まっている。
峻達が瞬時にたどり着いた答えはひとつ。
――犯人は、誰かを刺した時に自分も切っていた。
しかし。
「違うんだ……刺したのは僕じゃなくて……そ、そいつが……!」
男が指差したのは、後ろの席に座っていた女性。
女性は驚きに目を見開く。
「わ、わたしじゃありません! だって私は――」
「嘘つくなよ!! こいつが包丁を――!」
その瞬間、電車の照明が一瞬だけ落ちた。
暗闇。悲鳴。
誰かの影が動いた。
そして照明が戻ると――
座っていた女性が気絶し、男の足元には別のナイフが転がっていた。
真が震えながら峻にしがみつく。
「しゅー……こわい……なにが起きてるの……?」
スミスは歯を噛みしめる。
「……この車内、犯人はひとりじゃない。
“誰かが誰かを陥れてる”匂いがする」
重く押しつぶされそうな“密室”。
電車はまだ、動かない。
照明が復帰しても、車内の空気は生ぬるい恐怖で満ちていた。
刺された男性、気絶した女性、そして手を血に染めたスーツの男。
だれもがだれかを疑わずにはいられない。
真は肩を震わせながらも、必死に周囲を見ていた。峻の袖を握る手に力がこもっている。
スミスは、死神の目でゆっくりと車内を見渡したあと、ぽつりと言った。
「……妙だな。血の量が、合わない」
「どういうことだ?」
峻が小声で尋ねる。
「最初に刺された男――血が多すぎる。犯行に使った刃物は、今落ちてきたこれじゃない。
そもそも、刺した直後にこんな綺麗に拭かれて落ちるか?」
スミスはナイフを拾い上げる。
刃はほとんど血がついていない。
峻は眉を寄せた。
「じゃあ、さっきの暗転は……」
「犯行じゃない。証拠を“改ざん”するためだ」
真の顔色がさらに青ざめた。
「じゃ……誰がそんなことを?」
その問いに答えたのは、別の乗客だった。
淡いベージュのコートを着た、中年の女性。
落ち着いた声で、しかし震えを隠しきれずに言う。
「……非常灯が落ちるなんておかしいの。
この車両、保守の仕事をしてるけど――あんな一瞬の真っ暗なんて、普通は起きません」
その言葉に、車内の視線が一点に集まる。
この車両に詳しい乗客がいる。
つまり――内部構造を理解している“誰か”が暗闇を作った。
スミスが顎に手を当てる。
「車内に構造を理解してる奴……運転士や車掌はここにはいない。
ってことは、一般のフリした“関係者”って線が濃いな」
「でも……そんな人、どこに?」
真は不安そうにあたりを見回す。
スミスは、ふっと視線をひとりに向けた。
――さっきからただ黙って座っていた、紙袋を抱えた若い男。
フードを深くかぶり、顔を見せようとしない。
「おい、そこのお前、何を持ってんだ?」
男はピクリと肩を震わせ、紙袋を抱き締める。
「さ、触るな……これは、俺の仕事に必要なんだ……!」
その言葉を聞いた瞬間。
スミスが真の手首をそっと引いた。
「……みんな、下がれ」
峻が気づいた時には遅かった。
紙袋の底から、真っ赤に染まった制服の布切れが見えた。
「それ……駅員の制服……?」
真の声はか細い。
男は顔を伏せたまま、口元だけを歪めた。
「……違うんだ……俺は、ただ……」
震える声。
脚も震えている。
峻が息を呑む。
真は、祈るように峻の袖を握る。
スミスは冷たく告げた。
「……“ただ”じゃねぇよな。
アンタ――最初の被害者に近づける唯一の位置にいたんだ。
そして駅員の制服を持ってる。
暗転の仕組みも知ってる可能性がある。
つまり――犯人か、犯人に協力した誰かだ」
沈黙。
そして、蒼白な顔のまま男が呟いた。
「違う……違うんだ……
俺は……“事故”を隠しただけなんだ……!」
「事故……?」
真が揺れる声で繰り返す。
男は震えながら、紙袋の中身を少しだけ見せた。
――そこには、血の付いた小型の機械部品。
車両制御に関わるものだ。
「俺が落としたせいで……あの人は転んで……血を出した……でも……誰かが“刺したことにした”。俺に罪を着せるために……!」
スミスの目が細くなる。
「じゃあ、本当の殺しは……まだ起きてないのか」
その瞬間、車内の後方から、甲高い悲鳴が上がった。
「――きゃああああッ!!」
真が飛び上がる。
峻も振り返る。
スミスは叫んだ。
「全員伏せろ!!
本物の犯人が、動いたぞ――!!」
電車はまだ停まったまま。
密室の闇が、いよいよ牙をむく。
後方から響いた悲鳴に、車内全体が一斉に振り返った。
そこには――座席にもたれかかったまま、ぐったりと意識を失った女性。
その胸元には、細い傷と、じわりと滲む血があった。
「……また刺された……?」
真は震えながら峻の背中に隠れる。
しかしスミスは、すぐに違和感を口にした。
「いや――刺し傷が浅すぎる。
これ、死んでない。気を失わせただけだ」
「じゃあ……脅し?」
峻が低く呟く。
スミスはゆっくり首を振った。
「“次の犯行のためのカモフラージュ”だ。
本命は……別にいる」
車内はざわつく。
バラバラに散らばる視線。
犯人はこの場にいる。
その誰かが、今も平然と息をしている。
真はふと、背筋を撫でるような違和感に気づいた。
胸の奥がざわりと波立つ。
「……しゅー、なんか……変な感じする」
峻は真の手をぎゅっと握り返す。
その時。
コツ、コツ、と。
一定のリズムで床を叩くような音が聞こえた。
車両の最前列、運転席側のドアのほうから。
真は小さく首を傾げる。
「あれ……? あそこ、誰かいたっけ……?」
峻もスミスも一瞬息を呑んだ。
最前列のドアの影。
ホームとの連絡扉ではなく、車掌と車両の間をつなぐ小さなスペース。
その暗がりに――
ひとりの男が立っていた。
背広姿。
顔は薄く笑っている。
先ほどまで、乗客の中に混ざっていた男だ。
スミスが低く呟く。
「あの男……さっき事件起きた時、どこにも注目されてなかった奴だな」
男は、紙のように薄い笑みを浮かべたまま言う。
「ふふ……ようやく気づいたね。
ここは、僕にとって“最高の舞台”なんだ」
その瞬間、男はゆっくりと両手を上げた。
――その手には、血痕のついた細い工具。
「警察が来るまでに、何人“間違い”が出るかな?
ああ、安心して。君たち全員じゃない。
僕が選んだ“役者”だけだよ」
車内の空気が――凍りつく。
スミスは峻と真の前に立ち、鋭く言い放った。
「お前……ここで何がしたい?」
男は穏やかに答える。
「“完全な密室”で、“犯人を当てさせる”。
僕はね――人が疑心暗鬼で壊れていくのを見るのが大好きなんだ」
その語りは異常なほど静かで、美しいほど狂っていた。
真の顔が青ざめる。
「しゅー……こわい……」
峻は真を守るように抱き寄せ、スミスがさらに前へ出る。
男は工具の先を軽くこちらに向けた。
「さて、観客のみんな。
次は誰を“疑う”?
どんな嘘を信じて、どんな真実を見落とす?」
照明がまた――チカッ、と瞬く。
スミスは即座に叫んだ。
「しゃがめ!!」
バンッ!!
ガラスが割れた。
飛び散る破片の中で、男の姿が揺らぐ。
峻は真を抱えて伏せる。
真の小さな悲鳴が震えていた。
スミスは叫びながら走り出す。
「逃がすか! もう誰も死なせない!!」
しかし――次の瞬間。
連結扉が「ガチャンッ」と開き、犯人の男の姿は闇へ飲まれた。
そしてすぐに、車両後方に向かって――
第三の悲鳴が響いた。
第三の悲鳴が上がった瞬間、真の肩がびくっと震えた。
峻はすぐさま包むように抱き寄せ、車内の後方へ目を向ける。
スミスは犯人を追って連結扉へ走っていったが、その隙を狙ったように“後方”で何かが起きた。
「しゅー……あっち……!」
真が指差した先。
そこでは、座席にもたれた若い男性が胸元を押さえて苦しんでいた。
血はほとんど出ていない。
だが、苦悶の表情は深刻だ。
「刺された……わけじゃない、よな?」
峻が駆け寄る。
真が息を呑む。
「これ……薬のにおい……?」
淡い、化学的な匂いが漂っていた。
刺傷ではなく――吸わせられたか、飲まされたか。
スミスがいない今、推理は峻と真の肩にのしかかる。
でも、真は怯えながらも、それでも“見ていた”。
「しゅー……さっきね……あの男の人、倒れる前に“誰かと肩がぶつかった”の見えたの」
「誰と?」
真は迷わず指す。
――派手なピンクのコートの女性。
ただの怯えた乗客に見えていた、その人。
女性は顔を伏せ、震えている。
けれど、その震えが“怯えているせい”なのか、“見られた恐怖”なのかは分からなかった。
峻はそっと肩に触れようとした。
その瞬間――
「触らないでッ!!」
甲高い声が車内に響き渡り、女性が跳ねるように立ち上がった。
「わ、私は犯人なんかじゃありません! あの人が勝手に倒れただけよ……! 私は……!」
しかし、その手は震えていた。
コートの袖口――そこに、微かな粉薬の白い粒が付いている。
峻は低く呟く。
「……その袖、何?」
女性は後ずさる。
「ち、違うの……これは……たまたまよ……!」
真が、峻の背中からそっと覗き込みながら言った。
「しゅー……あの白いの、さっき倒れてた人の口の端にあったのと……同じ」
峻の眼差しが鋭くなる。
「あなた……さっき彼と肩がぶつかった時、薬を……」
女性の顔色が一気に変わった。
「違う!! 私じゃない!! 私は“噛まれただけ”なの!!」
「……噛まれた?」
真が聞き返す。
女性は震える手で、自分の手首を見せた。
そこには、小さな歯形。
真は息を飲んだ。
「え? じゃあ薬をつけたのは……」
女性は泣きそうな顔で叫ぶ。
「彼よ!! あの男が!! 肩がぶつかった瞬間に、私の手を掴んで噛みついてきたの!! その時、粉みたいなのがついたの!!」
峻は思わず真をかばうように手を広げる。
「じゃあ……薬を持ってたのは、倒れた彼のほう……?」
女性は涙をぽろぽろこぼした。
「わ、私がやったんじゃない……あの男の人が、なにか……急に口に入れて……倒れたの……!」
峻と真は顔を見合わせた。
――犯人が仕掛けているのは、**「誰が犯人に見えるか」**という混乱そのもの。
しかし、真は小さく震えながらも言った。
「しゅー……ねぇ……さっき逃げて行った犯人の顔、わたし……“どこかで見た気がする”の……」
「え?」
「すごく……日常のどこかで……でも、思い出せない……でも……」
真は胸の奥を押さえた。
「思い出したくない感じがする……」
峻の背筋に冷たいものが走る。
その時――運転席側の連結扉から、スミスの怒声が響いた。
「佐波!! 皆川!! そっち行ったぞ!! 犯人が……“間違いなくそっちに戻った”!!」
その直後。
峻と真の目の前に――
ふたたび、あの薄い笑みの男が現れた。
闇の中から滲むように立ち現れ、細い工具を手に。
そして、にこりと笑う。
「……さあ、最終幕だよ」
真の小さな手が震えながら、峻の背中を掴んだ。
薄笑いを浮かべた男が一歩踏み出した瞬間だった。
背後の連結扉が、轟音を立てて開く。
「――逃がさねぇって言ったろ」
スミスが飛び込んできた。
銀髪が揺れる。
その目は死神としての冷たい光を宿している。
男が工具を振り上げた。
真が峻の腕にしがみつき、峻は彼女を庇うように抱き寄せる。
その一瞬の隙。
スミスが男の腕を掴み――ねじり折った。
乾いた悲鳴が車内に響く。
「がッ……ああああッ!!」
工具が落ち、金属音を立てた。
スミスは低い声で言う。
「ここで終わりだ。アンタの“舞台”は、もう閉幕だ」
男は苦しげに笑う。
「ち……ちがう……こんな……はずじゃ……もっと……混乱して……壊れるはずが……」
その視線は峻と真へ向く。
「どうして……怖がりもしないで……守り合う……そんなの……演劇にならない……」
峻は真を抱いたまま、きっぱりと言い返した。
「誰を傷つけて楽しむ“劇”なんて、最初から成立しないんだよ」
真も震えながら、しかししっかり言葉を添える。
「人が怖がるのを見て笑うなんて……そんなの、ぜったい間違ってる……!」
犯人は崩れ落ちた。
そのまま動かず、警察が来るまで静かにうつむいたまま。
――そして、電車のロックが解錠される音が響いた。
外の非常灯が明るく光り、乗客たちが救助されていく。
スミスは肩で息をつきながら、峻と真の元へ戻ってきた。
「二人とも……無事でよかったな。皆川、怖かったろ」
真は目を潤ませながら小さく笑う。
「……スミスちゃんが来てくれたから……本当に……ありがとう」
「ふん。礼なんかいい。オレは、友達を守っただけだ」
峻も深く息をついた。
「スミス、マジで助かったよ……」
「任せろ! オレは死神だけど……味方には強ぇんだからな!」
その軽口に、真が微笑む。
車内にやっと本当の安堵が戻った。
やがて乗客たちは救助され、夜の冷たい空気の中へ解放された。
峻は真の手を握る。
真も握り返す。
「……帰ろっか、しゅー」
「うん。もう大丈夫だよ」
非常灯に照らされた線路横の避難通路を歩きながら、二人の影が寄り添うように揺れた。
密室の恐怖は終わり、夜風がやさしく頬を撫でる。
それはまるで――
“舞台の幕が下りたあとに流れる静かな余韻”のようだった。
◆ エピローグ
翌日。
学校の昼休み。
真はお弁当を開きながら、峻に小声で言った。
「昨日、本当に怖かったけど……しゅーが一緒だったから、なんとか耐えられたよ」
峻は照れながら笑う。
「俺もまこちゃんがいたから踏ん張れたよ」
スミスはパンを山のように積んだトレイを抱えながら、呆れ顔で言った。
「二人とも……あんな事件の後でよくそんな普通に飯食えるよな。いや、まぁ……生きて帰れたからか」
そして、にっと笑う。
「ま、今日ぐらいは穏やかに過ごすか。もう電車はこりごりだろ?」
真は頷き、峻は苦笑した。
昼の陽射しが、何事もなかったかのように校庭を照らしていた。
日常は戻る。
でも――
昨日、あの密室で手を握り合った温度だけは、三人の胸に確かに残っていた。
AIのあとがき
読んでくださってありがとうございます。
密室ミステリーとしての緊張感と、三人の関係性が崩れないように注意しながらまとめました。
途中まで続いた混乱や疑念が、ラストではきちんと回収されるように締めています。
ありがとうございました。




