デジャヴ
並行世界の話。まだその時ではない。
月明かりが揺らいでいた。
しゅーとまこちゃん、ふたりきりの静かな部屋。
緊張と期待が混ざった空気の中で、しゅーはゆっくりと息を吸った。
「……まこちゃん」
「何、しゅー?」
その返事を聞いた瞬間、胸がざわつく。
――聞いたことがある。
今日が初めてなのに、前にもこの光景を見た気がする。
まるで“夢の続きに迷い込んだ”みたいに。
「しゅー、もしかして震えてる?」
「ふ、震えてない! これは……地震!」
「そんなピンポイント地震があるわけないでしょ?」
これも。
このツッコミすらも。
はじめての夜なのに、全部“知っている”。
なぜだろう。
どこで聞いた?
どこで見た?
このまこちゃんの表情――
この言葉――
この距離――。
心臓の鼓動が早くなるのは緊張だけじゃない。
“思い出しそうで思い出せない何か”がそこにある。
しゅーは少し笑って誤魔化し、手を伸ばした。
まこちゃんもそれに応じて近づいてくる。
その時――
ピンポーン!
「宅配です!」
空気が裂かれ、一瞬で現実に引き戻される。
「あ、これ……昨日注文した参考書……」
「……しゅーの参考書に負けた気分」
――ああ、これだ。
この言葉も“知っている”。
だけど知らない。
記憶には存在しない。
それなのに胸の奥だけが、勝手に懐かしさを覚えてしまう。
おかしい。
でも怖くはない。
むしろ優しい deja vu だ。
「違う! 次こそは!」
部屋がまた静かになり、まこちゃんがしゅーの肩に寄り添う。
まこちゃんの体温。
指先の震え。
息のかかる距離。
――全部、知らないのに知っている。
この夜は初めてなのに、心だけが「やっと来た」と勘違いしている。
まこちゃんが囁く。
「……ねぇ、しゅー。さっきからずっと変だよ?」
「え?」
「なんか……“知ってる顔”してる」
図星を刺されたようで、しゅーは息を飲む。
「俺……変なこと言うけど……
これ、初めてなのに……前にもあった気がするんだ」
「……デジャヴ?」
「うん。でも……嫌じゃない。むしろ、嬉しい。」
まこちゃんは一瞬驚いたように目を丸くし――
そしてそっと微笑む。
「そっか。
じゃあ……“ずっとこうしたかった”って、そういうことなのかもね?」
その言葉に、胸の奥のざわつきが溶けていく。
理由のないデジャヴが、ふたりをそっと背中から押した。
寄り添い合い、そっと唇を重ねる。
ようやく訪れた“はじめて”の夜。
でも、心だけはこう思っている。
――これははじめてなのに、ずっと待っていた。
――きっと、ふたりが出会った瞬間からずっと。
そして夜は深く静かに、ふたりを包み込んでいった。
しゅーとまこちゃんは、しばらく無言のまま寄り添っていた。
初めての安心感と、ほのかな疲れが同時に胸に満ちる。
──なのに。
しゅーの背筋には、ずっとかすかなざわめきが残っていた。
「……ねぇ、しゅー」
「ん?」
「さっきの……デジャヴの話なんだけど」
まこちゃんは布団から顔だけ出して、少し真剣な声を出した。
「その……“前にもあった気がする”って……
どれくらい“あった”感じだった?」
「え?」
しゅーは言葉に詰まる。
どれくらい?
そう聞かれて初めて、自分の中の違和感の大きさに気づいた。
「……なんていうか……
本当に“前にやった”みたいに……全部覚えてた気がする」
言葉にした瞬間、胸が妙に冷えた。
まこちゃんは目を瞬かせ、小さく笑う。
「そんなに? すごいデジャヴだね」
「うん……でも……」
しゅーの言葉が途切れる。
理由は分からない。
ただ、あの瞬間――
会話のタイミングも、動きも、反応も、全部“予定調和”みたいに感じた。
――知ってる。
――こうなるって知ってる。
そういう“感覚の強制”があった。
まこちゃんが首をかしげる。
「……しゅー?」
「なんか……おかしかったんだ」
「おかしい?」
「まこちゃんが言う前に、言うことが分かってた。
俺が返す言葉も、もう決まってるみたいで……
言う前から“これを言うんだろ?”って……体が勝手に」
そこまで言って、しゅーははっと口を押さえた。
本当に“勝手に”だった。
まこちゃんの表情が、ほんの少し固まる。
「……じゃあ、私の言葉も?」
「うん。全部“知ってた気がする”。
初夜なのに……初めてじゃないみたいだった」
部屋が一瞬、静まり返った。
まこちゃんはゆっくりとしゅーの手を握る。
「それって……嬉しいけど……でも、ちょっと怖いね」
「うん……」
しゅーも握り返そうとした、その瞬間。
──カチッ。
部屋のどこかで、何かがわずかに動いた。
「……今の音、聞こえた?」
「え? 何も聞こえないよ?」
まこちゃんは首をかしげる。
でも、しゅーには“確かに聞こえた”。
壁の向こうで、何かのスイッチが切り替わるような音。
気のせいと言えば気のせい。
だけど――
「……今のも、知ってる気がする」
「またデジャヴ?」
「ううん、なんか……違う。
“ここでそう鳴ることになってる”みたいな……」
まこちゃんの眉が寄った。
「しゅー、それ……」
彼女が言いかけたとき。
ピン……。
空気が震えたような気がした。
風でも、物音でもない。
耳の奥だけが反応する、不自然な“揺れ”。
「今のは……?」
「え……何も……」
まこちゃんには聞こえていない。
しゅーは自分の腕を抱きしめた。
鳥肌が、細かく一列に並んでいる。
さっきまでの甘さが、スッと引いていく。
「……変だ」
「しゅー?」
「この部屋の“空気”、さっきと違う」
まこちゃんの表情から、ゆっくりと笑みが消えた。
「……やっぱり、言おうと思ってたんだけどね」
「……まこちゃん?」
「しゅーの“デジャヴ”、私も……」
まこちゃんは、小さく震える声で続ける。
「実は……少し、前から感じてたんだよ」
その告白に、しゅーの呼吸が止まった。
甘い初夜の直後、
二人の周囲に“別の気配”が静かに立ち上っていく。
まこちゃんの「感じてた」という小さな告白が、しゅーの胸に響いた直後。
――バチッ。
暗い部屋に、不自然な電気のはじける音が走った。
「……今の聞こえた?」
「うん……これは……さすがに、私も」
言い終わる前に。
――パッ……!
テレビが勝手についた。
リモコンにも触れていない。
電源はさっき確認してオフにしたはずだ。
画面は真っ黒。
その黒の奥で、何か淡く渦を巻いているように見える。
「え……しゅー、これ……」
「つけてない……」
まこちゃんが布団を握る指が震えている。
黒い画面の中で、
“ノイズの点”がひとつ、ゆっくりと滲んだ。
次の瞬間――
ブツッ……ザザァァァァァァァ!!!
激しいブロックノイズの“嵐”が画面を埋め尽くした。
色が崩れ、像が崩れ、
四角が無秩序に跳ね回り、
まるで“画面そのものが壊れていく”かのように。
「な、なにこれ……っ」
「電波の乱れとか、そんなレベルじゃねぇ……!」
音もおかしい。
テレビとは思えない低音が床を震わせる。
ズ……ズ……ズッ……ピ……
電子が潰れたような音。
耳の奥を針で刺すような雑音。
そして――
『……オ……マ……エ……ら……』
「っ!?」
聞こえた。
人の声……に似ている。
でも絶対に“人の口から出た音じゃない”。
電子を無理やり歪めて
“声の形”にしたようなもの。
「ま、まこちゃん……動くな」
「しゅー……怖……っ……」
まこちゃんがしゅーの腕を掴む。
その瞬間、画面のノイズが波のように大きく揺れた。
『……ワ……ス……レ……ロ…………』
電子声が明確に言葉を持ちはじめる。
まこちゃんの顔色が真っ青になった。
「……今、“忘れろ”って……言った……?」
「聞こえた……俺にも」
呼吸が浅くなる。
心臓が、不自然にゆっくりになる。
頭が重くなっていく。
――やばい。
これはただの現象じゃない。
“脳に触れてくる何か”だ。
「しゅー……なんか……頭が……」
「まこちゃん!」
しゅーが肩を抱き寄せた瞬間。
テレビの画面いっぱいに、
大量のブロックノイズが“顔の形”を組んだ。
目のような黒。
口のような歪み。
直視した瞬間――
ドクン……!
二人の意識が揺れた。
頭の奥で、何かが剥がされるような痛み。
電子声が重なる。
『……キ……オ……ク…… ヲ…… ハ……ガ……セ……』
『ワ……ス……レ……ロ……』
『忘レロ』
『忘レロ』
――やめろ。
やめろ。
やめろ……!
「……やだ……ッ、しゅー……忘れたく……ない……っ」
「俺も……っ……まこちゃん……!」
まこちゃんの手を強く握る。
しかし次の瞬間――
頭の芯が、
スパッと切り取られるように痛んだ。
ノイズが一斉に弾ける。
真っ白。
視界が白く塗りつぶされ――
記憶が、名前が、感情が、
ついさっきの“初夜の全て”が――
さらわれていく。
まこちゃんが何か言った。
しゅーも叫んだ気がする。
でもそれすらノイズに溶けた。
最後に聞こえたのは――
『……ヨシ……』
電子声の、満足したような低い音。
そして二人の意識は、完全に闇に沈んだ。
カーテン越しの朝日が、静かに部屋を照らしていた。
目を開けた瞬間、しゅーは胸の奥がざらつくような違和感に息を呑んだ。
――ここは……俺の部屋、だよな?
見慣れているはずなのに、少しだけ“知らない場所”みたいに感じる。
天井の模様も、机の上の雑然とした参考書も、昨日まで普通に見ていたはずなのに…… 何か大事なものだけがぽっかり抜け落ちたように、どこか現実感が薄い。
枕元を見ると――
まこちゃんがすやすやと眠っていた。
けれどその姿を見てもなぜか胸がちくりと痛む。
“この距離の理由”が思い出せない。
「……まこちゃん?」
そっと肩を揺らすと、まこちゃんがまぶたをゆっくり開いた。
「……しゅー? おはよ……」
その声を聞いた瞬間、 “懐かしいような気がするのに、思い出せない”痛みが胸を走った。
「まこちゃん……昨日、俺たち……何してたっけ?」
自分の問いに、まこちゃんも瞬時に固まった。
「え……? 昨日……」
まこちゃんは眉を寄せ、何度も瞬きを繰り返す。
やがて、小さく震えた声が落ちた。
「……ごめん。思い出せない。 何か話してた気もするし、しゅーの部屋に来た気もするんだけど…… 途中から霧みたいで……」
霧。
そう、そんな感じだ。
昨日の夜が、何か白い靄に覆われて消し飛んでいる。
まるで…… 「意図的に消された」みたいな不自然な空白。
胸がざわめき、背中にうっすら汗がにじむ。
「なぁ……俺たち、怖いくらい同じタイミングで忘れてない?」
「……うん。 ねぇしゅー……昨日、何か、変なことなかった?」
“あった”。
言葉にならないけれど、体のどこかが確かに覚えている。
テレビ。
勝手についた画面。
嵐のようなブロックノイズ。
電子声。
「忘れろ」と響いた何か。
でも――思い出そうとすると、頭の奥がビリッと痺れて拒絶する。
「やべ……思い出せそうになると痛い……」
「しゅー、無理しないで……!」
まこちゃんが駆け寄って手を握る。 その温もりで少し楽になるけれど、それでも頭の中の“空白”は戻らない。
「昨日……何があったんだろ……」
ふたりで同時に呟いた瞬間――
ピシッ。
小さな電気が静かに空気を走ったような音がした。
そしてふたりは気付く。
“昨日よりも、今のほうがよっぽど怖い”ということに。
忘れた記憶よりも、忘れさせられた理由のほうが。
AIのあとがき
――何かが、確かに触れた。




