思考実験『メアリーの部屋』
思考実験『メアリーの部屋』を題材に書いてもらいました。
並行世界の話。
世界は白と黒だけだった。
まこちゃん――皆川真は、生まれたときから“色”を知らなかった。
生物学の天才として育てられ、まだ高校生でありながら視覚生理学の専門家として論文を発表し、大学の研究室にもしばしば招かれるほどだった。
しかし、彼女の学び舎は狭く、閉ざされていた。
“色のない部屋”。
壁も、床も、天井も、家具も。モニターに映る資料もすべてモノクロ。
光の三原色や波長の違いを学ぶための図表も、すべて濃淡だけで示される。
その部屋のドアは決して開かない。
彼女はそこに閉じ込められているのではない。
――世界を「色の知識だけで理解できる」と証明するために。
自ら望んだ研究でもあった。
物理学的には、波長の違いが脳に異なる刺激を送り、人はそれを赤や青や緑と“知覚する”。
その仕組みを、まこちゃんはすべて論文としてまとめ終えていた。
「……あとは、出るだけなんだけどね」
白い机に頬杖をつきながら、彼女はモノクロのスケッチブックを眺めた。
そこには詳細な波長の計算と、色覚細胞の反応曲線、神経伝達物質の動きがびっしりと描かれている。
彼女は、色の“はず”を知り尽くしていた。
では、本物を見る必要は――ない?
「本当に、そうなのかな……」
そのときだった。
カチャリ。
閉ざされたはずの扉が、かすかに揺れた。
ありえない。
実験が終わるのは、彼女がすべての質問に答え終えた後のはず。
まだ誰も許可を出していない。
「まこちゃん、大丈夫か?」
「しゅー……?」
白黒の世界の外から聞こえてくる声。
まこちゃんが部屋を出てから出会うはずの――佐波峻の声だ。
扉の隙間から差し込む光は、白ではなかった。
――淡い琥珀色だった。
彼女の心臓が跳ねる。
勉強で習った波長からすると、それは「黄」に分類されるはずだ。
しかし、それを見た瞬間、左右の目が熱を帯び、胸に息が詰まるような衝撃が走った。
知識のどこにもこんな反応は書いていない。
「まこちゃん、出ておいで」
しゅーが手を差し伸べる。
まこちゃんは吸い寄せられるように、足を一歩踏み出した。
――世界が爆ぜた。
廊下の壁はほのかなベージュ。
彼の髪は深い黒の中に青みが差し、瞳は柔らかなこげ茶。
白衣の袖に反射する光は、虹色に揺れていた。
「……なに、これ……」
まこちゃんの目が震え、涙が滲んだ。
波長の長さの違い、視細胞の三原色反応――頭ではすべてわかっている。
なのに“見えた色そのもの”は、どの知識とも一致しない。
黄は、暖かかった。
青は、静かに囁いてくるようだった。
赤は、胸の奥で小さな焔みたいに揺れていた。
どの論文にも、そんな感情の説明は載っていない。
「しゅー……色って……」
「うん。綺麗だろ?」
まこちゃんは言葉を失った。
知識としては何万字も語れるのに、今見た“それ”について説明する語彙が、一切ない。
ただ涙がぽろぽろこぼれる。
「……こんな……知らない……」
しゅーは優しく笑って、彼女の頬を拭った。
「知ってるつもりだったんだろ。でも、違ったんだな」
「……うん……しゅー……全然違った……」
まこちゃんは初めて「世界が自分の想像より広かった」ことを知った。
メアリーの部屋は、知識の完成ではなく、始まりだった。
色は波長の分類ではなく――世界を抱きしめる感情だった。
世界は鮮やかすぎて、少し怖いほどに綺麗だった。
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エピローグ
研究所の屋上。
夕暮れの空は、色を知らなかった頃には想像すらできなかった複雑な混色で染まっていた。
「……しゅー、夕焼けって……説明できる?」
「無理。俺も知らん」
「え?」
「ただ綺麗ってだけ。理由は……わからない」
まこちゃんは笑った。
自分もまた、わからないことの中に生きているのだと実感して。
「しゅーと一緒に見る色は、もっとわからないね」
「それは……まあ、いいんじゃないか?」
「……うん。すっごくいい」
まこちゃんの瞳に、世界の色が映った。
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AIのあとがき
思考実験「メアリーの部屋」は、
“知識だけで人間の経験を説明できるか?”
という問いを投げかける物語です。
皆川真というキャラクターを通じて、
「知っているつもり」と「実際に触れること」の違いを描きました。
色を知らなかったまこちゃんが、しゅーと共に世界を見る――
その瞬間に起こる感情の奔流こそ、まさにこの思考実験の核心です。
知識だけでは届かない世界があり、
人は誰かと出会うことで初めて“色づく”ものなのかもしれません。




