現実の匂い
異世界帰りの主人公とヒロインを題材に書いてもらいました。
並行世界の話。
『現実の匂い』
蝉の声が、うるさいほどに響いていた。
耳の奥に、どこか懐かしい感覚がじわりと戻ってくる。
「……ここ、本当に、元の世界?」
真の声が震える。
峻は無言で周囲を見回した。見慣れたコンビニ、電柱、アスファルト。
戦場の焦げた匂いも、魔力の気配もない。代わりに、夏の湿った風が肌を撫でた。
「……帰ってきた、みたいだな」
「うそ……ほんとに……」
真はその場に膝をつき、顔を覆って泣いた。
泣き声が滲んでいく。彼女の肩が小さく震える。
峻は黙ってしゃがみ込み、そっと彼女の頭を撫でた。
「おかえり、まこちゃん」
「……ただいま、しゅー」
互いの声が、現実に溶けた。
その瞬間、ふたりは確かに感じた――戦いが終わったのだと。
---
その夜。
峻は久しぶりに自分の部屋のベッドで寝転がっていた。
窓の外からは、車のエンジン音と犬の鳴き声。
あの世界では聞こえなかった“現実の音”が、心の奥をざらつかせた。
「……静かすぎるな」
呟く声が、闇に消える。
剣も、魔法も、使命もない。
ただの「佐波峻」という高校生に戻った。
それが嬉しいはずなのに、胸のどこかがぽっかりと空いている。
机の上には、真からのメッセージが届いていた。
「ねぇ、しゅー。明日、学校行ける?」
「制服、まだ着られるかな」
「ちょっとだけ怖いけど……また、隣で笑いたい」
峻はスマホを見つめ、苦笑した。
剣を握っていた手は、少し震えていた。
「行くよ。――今度は、平和な日常を守る番だ」
---
翌朝。
真は校門の前で、夏の光に目を細めていた。
制服姿の自分が、まるで別人のように感じる。
あの世界では魔導士だった自分が、今はただの女子高生。
「おーい、まこちゃーん!」
聞き慣れた声。峻が自転車を押しながら駆け寄ってきた。
少し伸びた髪、日に焼けた頬。どこか少年らしさが戻っている。
「……なんか、現実って軽いね」
真が苦笑すると、峻も頷いた。
「剣がないと、手が寂しい」
「杖もね……でも、それでいいのかも」
二人は並んで歩き出す。
通りすがりの生徒たちは、ただの同級生として彼らを見ていた。
誰も知らない。彼らが異世界を救ったことも、どれほどの夜を越えたかも。
でも――それでよかった。
「なぁ、まこちゃん」
「ん?」
「俺たちさ、あの世界で“勇者と賢者”だったんだよな」
「そうだったね」
「でも今は、“ただの俺とお前”だ」
「……うん。それが一番、幸せかも」
真は空を見上げた。
あの世界の青とは違う、少し濁った空。
でも、雲の隙間から差す光が、あの日の白光に少しだけ似ていた。
---
その日、二人は何度も笑い合った。
帰還の意味を、少しずつ確かめながら。
彼らの物語はもう、剣も魔法もいらない。
ただ――
手をつないで、前へ進む。
---
『帰還者の孤独』
朝の光は淡いのに、目には強すぎた。
峻はカーテンの隙間から差し込む光を避け、布団に潜り込む。
外では、蝉の声と自転車のベルが混ざり、日常の音がうるさく響いた。
異世界では、音も匂いもすべてが命の危険を知らせるサインだった。
ここでは、ただの生活音だ。
なのに――胸の奥で、まるで警告の鐘が鳴っているようだった。
「……生きてるだけで、疲れる」
隣で真が小さくため息をつく。
ベッドに座ったまま、手のひらで顔を覆う。
峻がそっと声をかける。
「まこちゃん、大丈夫か?」
「……平気じゃない。全部、色が薄くて、匂いも軽すぎて。あの世界の方が、よっぽど“濃い”のに」
真の言葉は、痛いほど正直だった。
異世界では、命の重みを日々感じ、感覚のひとつひとつが鋭く生きていた。
ここでは、信号を待つ、パンを食べる、ただそれだけで胸が張り裂けそうになる。
---
昼、峻はコンビニに立っていた。
棚の商品を見つめながら、手が止まる。
どれも“ただの物”に見えた。
ふと、隣にいた高校生が缶ジュースを手に笑う。
その声も、笑顔も、異世界の戦いに比べれば、あまりに無邪気で。
胸の奥がざわついた。
ふと、峻は剣を握る感覚を思い出す。
手のひらに残る戦いの痕――魔力が満ちていた感覚――
今の現実には、それが何もない。
「……俺、どうやって日常に戻ればいいんだろう」
心の奥で、小さな声が繰り返す。
平和の中で、戦士だった自分は何をすればいいのか。
---
放課後、真と並んで歩く道も、どこか異質だった。
笑いながらスマホをいじるクラスメイト。
風に舞う花びら。
空気は軽く、すべてが“現実”なのに、異世界の感覚が常に彼らを引き戻す。
真が小さく呟いた。
「ねぇ、しゅー……また、あの世界に戻りたいと思う?」
「……思わない。でも、懐かしいとは思う」
峻の声は静かで、どこか遠い。
懐かしさと現実の間で、心が揺れていた。
「……平和って、こんなに息苦しいものだったんだね」
「うん。でも……一緒にいれば、なんとかなるかな」
二人の手が触れる。
その温もりだけが、現実世界に残った、唯一の魔法のようだった。
---
『帰還者の歩幅』
朝の光は、まだ柔らかかった。
峻はベランダに立ち、遠くの街並みを見つめる。
風は優しい。だが、心はまだ少し重かった。
「……今日も、平和すぎる」
小さく呟く声に、真が応えた。
「そうね。でも、少しずつなら、慣れるかもしれない」
真もベランダに立ち、遠くの公園を見ていた。
向こうの世界で毎日命を守る戦いをくぐり抜けた二人にとって、ここでの“普通の生活”は異様に感じる。
だが、確かに――自分たちの手で守れる小さな幸せもあった。
---
午前中、峻は近所の子どもたちに剣道を教えることになった。
異世界で鍛えた身体は、そのまま武術の指導に役立った。
汗をかき、息を切らせながら、子どもたちが笑顔で受け答えする。
「しゅーおにいちゃん、もう一回!」
小さな声に、峻は胸が温かくなる。
戦場では守れなかった命も、ここでは笑顔のまま守れる。
それが、少しずつ自分の生きる意味になっていった。
---
真は近くの保健室で、落ち込んだ生徒を相手に話を聞いていた。
異世界で学んだ“癒す力”は、魔法ではない。
だが、声のトーンや言葉の選び方で、人の心を救えることを知っていた。
「大丈夫。あなたは一人じゃない」
生徒が涙をこぼす。真はそっと手を握る。
魔力はなくても、人の心を温める力はここにもある。
その夜、真は峻に笑顔で言った。
「ねぇ、しゅー。私、少しずつだけど……やりたいことが見えてきた気がする」
「……俺もだ」
峻はベランダ越しに、遠くの星を見た。
異世界では、夜空の星を頼りに命を導いた。
ここでは、星は単なる夜の光だ。
だが、その光を見つめる自分の気持ちは、確かにあの時と変わらなかった。
---
日々はまだ、完全に平穏ではない。
思い出すと胸がざわつく夜もある。
けれど、二人は気づいた。
戦うことだけが生きる意味ではない。
守ることだけが使命ではない。
日常の中にある小さな命を、大切にすること。
誰かの笑顔を増やすこと。
それも、彼らにとっては立派な戦いであり、誇れる生き方だった。
---
夜、二人は並んでベランダに座った。
風が髪を揺らし、街の灯りが静かに瞬く。
「ねぇ、まこちゃん」
「ん?」
「俺たち、ここでも……ちゃんと生きていける気がする」
「うん。怖いけど、でも……やっと、私たちの居場所を見つけたみたい」
二人は手を握り、目を閉じた。
異世界を越えてきた二人の心に、ようやく静かな平和が流れ込んだ。
---
『帰還者の決断 ―平和な日常の戦い―』
午後の商店街は、平和そのものだった。
子どもたちの声、買い物袋のガサガサという音、風に揺れる街灯――すべてが日常の匂いを漂わせていた。
しかし、峻は違和感を感じていた。
空気が、ほんの少し、ざわついている。
向こうの世界で、戦場に立ったときの感覚が、胸に冷たい警鐘を鳴らした。
「……まこちゃん、何かいる」
峻の声は低く、真は即座に頷いた。
店の奥で、男がカウンターを蹴り、現金を奪おうとしていた。
「強盗だ!」
周囲の人々が悲鳴を上げ、逃げ惑う。
峻はすぐさま走り出す。
異世界で鍛えた反射神経が、今も身体に染み付いていた。
---
真は落ち着いて状況を見極める。
異世界での経験で、危機の時ほど冷静さが求められることを知っていた。
店の奥の角を素早く回り、強盗と峻の間に立つ。
「動くな!」
真の声は、誰よりも鋭く響いた。
男は一瞬たじろぎ、峻がその隙を突く。
軽く腕をつかみ、押さえ込む。
怪力ではなく、テクニックで相手の動きを封じる。
男は抵抗するが、峻の体幹と真の冷静な指示に完全に制圧された。
---
警察が駆けつけるまで、二人は周囲の人々を落ち着かせた。
怖がっていた子どもを抱き上げ、避難させ、泣いていたおばあさんの肩に手を置く。
「大丈夫です。もう安全です」
真の声は優しく、しかし確実に安心を与える。
事件が解決した後、二人はベンチに腰を下ろした。
汗と緊張で息が荒い。
「……やっぱり、俺たちには守る力がある」
峻は遠くを見る。
異世界では、守れなかった人もいた。
でも、ここでは、小さくても確かに“誰かを守れた”。
「怖かったけど……やっぱり、生きている意味を感じる瞬間ね」
真は微笑む。
その笑顔は、戦場で見せたものよりずっと穏やかだった。
---
その夜、二人は家のベランダに並んで座った。
街の灯りが静かに瞬き、事件の喧騒は遠くに消えていた。
「ねぇ、しゅー」
「ん?」
「私たち、現実でも……ちゃんと生きていけるんだね」
「そうだな。怖いこともあるけど、俺たちはまだ、戦える」
峻はそっと真の手を握った。
力で解決するのではなく、判断と思いやりで守ること――
それもまた、彼らにとっての新しい“戦い方”だった。
---
二人は静かに星を見上げた。
異世界のような魔法はない。
だが、この平和な世界で、人を守ることは確かにできる。
そしてそれは、異世界の戦いよりもずっと重く、意味のあることだった。
---
『帰還者たちの午後 ―そして日常へ―』
強盗事件から数日が過ぎた。
街はいつも通りに穏やかで、蝉の声も、車の音も、変わらずに流れていた。
だが、峻と真の心の中には、少しだけ世界の色が濃くなった気配があった。
---
昼下がり、峻は道場で子どもたちに剣術を教えていた。
真は近くの保健室で、生徒たちの相談に乗っている。
異世界で学んだこと、戦いの中で知ったこと――
それはもう剣や魔法ではない。
だが、人を守るという覚悟は、現実の生活の中で確かに生きていた。
---
放課後。二人は商店街のベンチに座り、アイスクリームを食べながら夕陽を見つめた。
「ねぇ、しゅー」
「ん?」
「私たち、やっと……落ち着けたんじゃないかな」
真は微笑み、空を見上げる。
「うん。怖いこともあるけど、もう逃げなくてもいい。どんな世界でも、俺たちはちゃんと生きていける」
峻も笑う。
その笑顔は、戦場で見せたものよりずっと柔らかく、安心感に満ちていた。
---
夜、二人は窓を開け、風に揺れる街灯の明かりを眺める。
星は小さく瞬き、異世界の空ほど鮮やかではないけれど、それで十分だった。
手をつなぎ、互いに寄り添う。
戦いは終わった。
だが、生きることは続く――平和の中で、守るべき日常を紡ぎながら。
---
異世界での戦いの記憶は、決して消えない。
でも今、峻と真は知っていた。
――どんな世界でも、生きる意味は、自分の手で作るものだ、と。
静かに、二人は夜の街を見つめながら、新しい日常への一歩を踏み出した。
異世界との感覚の違い、それを強調してかいてるみたいです。




