探偵事務所 〜助手は今日も胃が痛い~
探偵物をお願いしました。コミカルで。
並行世界の話。
「しゅー、これ本当に依頼書なの? どう見ても小学生の自由研究なんだけど……」
皆川真は、探偵事務所の机の上に置かれた一枚の紙をじっと見つめていた。
紙には震える字でこう書かれている。
> 『うちのねこが夜になるとしゃべります。たすけてください。』
「……真実はいつもひとつ、だ」
「いやいやいや! なんでそんなキメ顔してるの!? これ絶対イタズラでしょ!」
机に肘をつきながら峻はコーヒーを一口。
冷めきったそれを苦々しそうに飲み干し、ゆっくり立ち上がる。
「イタズラか真実か……確かめるのが探偵の仕事だろ?」
「そんなカッコよく言わなくていいから! せめて依頼料の確認してよ! 五十円って書いてある!」
「うむ、庶民的で好感が持てるな」
「褒めるなぁぁぁ!」
こうして始まった“しゃべる猫事件”。
現場――というか依頼人の家――に到着すると、出迎えたのは小学生の少年だった。
目をきらきらさせながら、峻たちに頭を下げる。
「ぼくのねこ、『クロ』っていうんですけど、夜になると『おやつ』って言うんです!」
「なるほど……証拠の音声は?」
「あります! スマホに録音してます!」
峻が受け取ったスマホの中には、確かに低い声で「オヤツ……」という音声が残っていた。
「……いやこれ、完全にお父さんの寝言じゃん!」
真がツッコミを入れるより早く、峻は真剣な顔でメモを取り出す。
「現場検証をしよう。猫がしゃべる理由は三つに絞られる――」
「えっ、三つもあるの?」
「一つ、猫が実際にしゃべる超常現象。
二つ、誰かが猫の声を使って録音・再生している。
三つ、依頼人の幻聴だ」
「最後ひどいな!?」
夜。
依頼人宅のリビングで張り込みをしていた二人。
クロはソファの上で丸くなり、峻は隣でカメラを構えている。
一方、皆川はあくびを噛み殺していた。
「……しゅー、眠い……」
「まこちゃん、油断するな。真実は眠らない」
「寝ないのは私の目の下のクマだよ……」
その時――!
「オヤツ……」
暗闇の中、低い声が響いた。
二人が同時に振り向くと、そこには――
ソファでうつ伏せに寝落ちした依頼人の父親が。
「……お父さん、寝言で『おやつ』言ってる……」
「事件、解決だな」
「早ぃいいい! ていうか推理要素どこいったの!?」
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翌日。
事務所の前で、峻は満足そうに報告書をまとめていた。
「報酬五十円、経費マイナス八百円。実に有意義な捜査だった」
「どこがぁぁぁ!?」
「まあまあ、次は大事件が来るさ」
――その瞬間、ドアが勢いよく開いた。
「た、探偵さん! うちの冷蔵庫が夜中に歩くんです!!」
「……ふっ、来たか」
「来るなそんな依頼!」
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【歩く冷蔵庫事件】
「た、探偵さん! うちの冷蔵庫が……夜中に動くんです!!」
依頼人は、前回の猫事件で有名になった小学生の弟くん。
しかし今回は、前回以上に真っ青な顔で駆け込んできた。
「歩く冷蔵庫……?」
峻は眉間に皺を寄せ、デスクに置かれたコーヒーカップを手に取る。
カップをかざすと、太陽の光がレンズのようにキラリと光った。
「歩く冷蔵庫だ。つまり夜中に移動している、というわけだな」
「そうですそうです! お母さんも気づいてません!」
真は額に手を当て、ため息をつく。
「……もうやめて、しゅー。私の胃がやられる前に、普通に確認しようよ」
夜。依頼人宅のキッチン。
冷蔵庫はいつも通りの位置にある。
峻は懐中電灯を持って周囲を照らし、真は後ろで手元のスマホを録画している。
「……うむ、音も振動もなし。物理的には動いていないな」
峻は冷蔵庫の後ろに回り、床を指で軽く叩く。
「……あ、微妙に床が沈む」
「え? 床が沈むってどういうこと!?」
真が驚く間もなく、冷蔵庫が「ガタガタッ」と小さく震えた。
「おや……?」
峻は冷蔵庫の下を覗き込むと、そこには――
一匹のネズミが小さなホイールを回して遊んでいた。
そのホイールが、冷蔵庫を微妙に押して動かしていたのだ。
「……なるほど、歩く冷蔵庫とは、このことか」
「ネズミ……!? まさか冷蔵庫を押して遊ぶとか、そんなバカな!」
真が怒鳴る前に、峻は優雅にコーヒーを一口。
「バカではない。天才だ。いや、ネズミにしてはかなりのアクロバット能力」
「いや褒めるなぁぁぁぁ!!」
結局、峻はネズミを安全な外に逃がし、冷蔵庫を元の位置に戻した。
依頼人の弟くんは大喜び。
峻は報告書にこう書き残した。
> 『事件解決。冷蔵庫は歩かず。犯人は小型哺乳類。報酬:五十円。経費:ネズミ用にチーズ二切れ。』
翌日。事務所の前。
峻は新聞を広げ、真はコーヒーを片手にため息。
「……次の依頼、何か来てる?」
「ふふふ……来てるよ、しゅー。次は“幽霊になったトースター”だって」
「……なんで毎回、食べ物絡みなんだ」
真の胃がまた少し痛くなる夜だった。
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【幽霊トースター事件】
夜の事務所。窓の外は黒く沈み、街灯の光が通りのアスファルトを薄く照らしていた。
峻はデスクの上で新聞を広げていたが、その目は文字を追っていなかった。
真は椅子に深く腰掛け、コーヒーを手に震えている。
「……しゅー、今日の依頼……普通じゃないよ」
「ふむ、どういう意味だ?」
「……『トースターが夜中に勝手に火を吹く』って書いてあるの。しかも、家の中の人に何かを伝えようとしてるみたい……」
峻は眉をひそめる。
「……なるほど。幽霊か。あるいは、誰かの念が残っているのかもしれないな」
依頼人の家に着くと、薄暗いキッチンでトースターがぽつんと置かれていた。
電源は入っていない。だが、冷たい空気の中で、わずかに機械の金属が震えているように見える。
「……来たな、現象」
峻は慎重に近づき、手をかざす。
すると、空気が重く押し付けられるような感覚があった。
「……まこちゃん、背筋が……」
真は手で胸を押さえ、恐怖を隠せずに震えている。
その瞬間、トースターが小さく光った。
中でパンがゆっくり焼かれているように見える――だが、トースターはオフのままだ。
「……何か、言っている……」
峻は耳を澄ます。かすかに、だが明確に――
> 「……あ…や…し…て……」
「……助けて……?」
真の声も震えた。
峻は静かに息をつき、机からノートを取り出す。
「推理する。これは単なる霊現象ではない。誰かがこのトースターを使って“伝えたいメッセージ”を残している」
「誰が……? 幽霊……?」
「違う。生きている人間だ」
事の真相は、依頼人の祖母の死と深く関わっていた。
祖母は生前、パンを焼くのが日課で、家族に“最後のメッセージ”を残していたのだ。
その習慣を再現しようと、依頼人の兄が密かにトースターにタイマーと録音機能を仕込んでいた。
だが、夜になると不気味なタイミングでパンが焼かれ、機械の音がまるで声のように響いた。
峻は手元のノートにまとめる。
> 『幽霊トースター事件、解決。犯人は生者、怨霊ではない。だが、夜の不気味さは本物。報酬:五十円。経費:なし。精神的損害:計り知れず。』
真は椅子に座り込み、手で顔を覆う。
「……しゅー、もう、普通に怖いんだけど……」
峻は静かにトースターを元の位置に戻すと、暗い夜道を歩きながら呟いた。
「現実と幽霊は紙一重……だな」
真はふと峻を見上げる。
「……紙一重どころじゃなく、胃も痛いんだけど」
街の灯りが遠ざかり、二人は静かに歩き出した。
だが、トースターの中でわずかにパンの端が焦げる匂いが漂い、夜は重く静まり返ったままだった。
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【そして誰もツッコまなくなった】
その夜、峻と真は偶然、殺人事件の現場に遭遇した。
雨の商店街。路地裏で倒れている男のそばに、真っ赤な血が広がっている。
「……しゅー……これ、いつもの冗談じゃないよね……?」
真の声は震えていた。
峻は静かに現場を見下ろし、傘を畳む。
「いや、本物だ。だが――妙だな」
警察が来るまでのわずかな時間、峻は周囲を調べていた。
転がる缶コーヒー、破れた封筒、そして――倒れた男の手には“トースターのコード”が握られていた。
「……なにこれ、呪いの続編!?」
「ふむ、連続性があるようだな」
現場に駆けつけた刑事が叫ぶ。
「おい、君たち! 何してる!?」
「探偵だ」
「勝手に現場を荒らすな!!」
真が慌てて峻の袖を引く。
「ねぇ、もう帰ろうよ! これ、マジのやつだって!」
「真実は――」
「眠らない、でしょ! もう聞き飽きた!」
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数時間後。事情聴取のため署に呼ばれた二人。
刑事たちは眉をひそめていた。
「で? 君が言うには“トースターの呪い”が関係していると?」
「その可能性は否定できません」
「できるだろ!!」
真が即座にツッコミを入れるも、峻はどこ吹く風。
淡々とノートを広げ、推理を始めた。
「被害者は家電修理業者。最近、“幽霊トースター事件”に関わっていた。つまり、これは――“電気系怨念”事件の延長線上にある」
「そんなジャンルあるの!?」
刑事が額を押さえながらため息をついたその時――
ドアが勢いよく開いた。
「すみませーん! 死んだと思ったおじさん、さっき目ぇ覚ましました!」
「……えっ」
真は一瞬でフリーズ。峻は目を細める。
「……つまり、殺人事件ではなく――“寝落ち事件”だった、というわけか」
「寝落ちって血まみれで!?!?」
「トマトジュースらしい」
警察署の空気が一瞬にして脱力した。
刑事は天を仰ぎ、真は机に突っ伏す。
峻だけが淡々とメモを取っている。
> 『事件、解決。犯人:睡眠不足。凶器:トマトジュース。報酬:なし。経費:傘一本破損。』
「……ねぇしゅー」
「なんだい?」
「私、次の依頼来てももう驚かないからね」
「そう言うと次に“空を飛ぶ掃除機事件”とか来るぞ」
「やめてぇぇぇ!!!」
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翌朝。
事務所の窓辺には雨上がりの光が差し込んでいた。
峻は新聞を片手に、微笑んでつぶやく。
「人は皆、何かを信じたい。幽霊でも、真実でも、トースターでも」
「……最後のは信じなくていいと思う」
二人の声が重なり、静かな笑いが事務所に響いた。
そして“佐波峻探偵事務所”の看板には、今日も小さく貼り紙が追加される。
> 『※殺人事件はもうこりごりです(助手談)』
二人で探偵事務所やるって面白いな。




