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思考実験『囚人のジレンマ』

思考実験『囚人のジレンマ』を題材に書いてとお願いしました。



並行世界の話。



 囚われた信頼



 蛍光灯がひとつ、天井の中央で唸っていた。

 古い取調室。壁の塗装はひび割れ、鉄のドアには無数の擦り傷。

 その傷ひとつひとつが、ここで交わされた「沈黙」と「裏切り」の記録のように見えた。


 佐波峻は、無言で座っていた。

 椅子の脚が少し傾いており、腰を下ろすたびにきしりと軋む。

 机の上には紙とペン。何も書かれていない白紙が、まるで自分の未来を試す紙のように置かれていた。


 向かいの刑事は、くたびれたスーツに皺を刻んだまま、コーヒーをすすった。

 香ばしい匂いが部屋に満ちるが、不思議と峻の喉は乾く一方だった。


「お前が黙っていれば、相手が喋る。そうすれば、お前は十年だ」


 刑事の声は低く、どこか淡々としている。

 何百回と同じ台詞を繰り返してきた職業の声だった。


「……」


「だが、相手を裏切って罪を認めれば、三年で出られる。簡単な話だ」


 峻は小さく笑った。

 笑いというより、口角が引きつっただけだった。


 ――三年。十年。


 数字の重みが、じわじわと胸にのしかかる。


 刑事が椅子に背を預け、目を細める。


「お前の相棒、皆川真。お前のこと、どう思ってるんだろうな」


 その名が出た瞬間、峻の心臓が一度だけ強く打った。


 真。


 幼いころから隣にいた少女。

 優しくて、負けず嫌いで、何より――嘘が下手だった。


 だからこそ、信じたい。

 だが同時に、信じることが一番怖かった。


 もし彼女が自分を裏切っていたら。

 その瞬間、十年という数字よりも、もっと深い何かが崩れる気がした。


 刑事はペンを峻の前に押し出した。


「どちらが先に書くかで、人生が変わるんだ」


 紙の白が目に痛い。


 峻は視線を逸らした。


 蛍光灯の音が、いつの間にか耳鳴りのように鳴り続けている。



---


 隣の部屋。


 皆川真は同じ机の前で、両手を膝に置いていた。

 指先が冷たく、震えている。


 それでも、唇はぎゅっと結ばれ、目だけが真っすぐ刑事を見ていた。


「佐波峻も、同じ説明を受けてる」


 刑事が淡々と告げる。


「お前が黙れば、相手が裏切るかもしれない。そうなれば、十年だ」


 十年――その言葉が、真の胸に沈む。


 十年という時間の長さを、彼女は具体的に想像してしまった。


 十年後、自分は三十を過ぎて、外の世界は変わっている。


 しゅーは、どうしているだろう。


「……しゅーは、そんなことしない」


 口から出た声は、思ったより弱かった。

 でも、それでも信じたい。あの人は、嘘が嫌いだ。

 そう信じてきたのに――刑事の言葉が、まるで毒のように心に滲む。


「どちらかが先に裏切った方が得をする」


 刑事が、紙を差し出す。


「この世界は、信じた方が負けなんだ」


 真の指先が震えながら、ペンを握った。

 ペン先が紙の上を彷徨う。


 ――信じる?


 ――裏切る? 


 涙が一滴、紙に落ちた。インクがにじみ、言葉にならない跡を残す。



---


 翌朝。


 二人は、同じ部屋に戻された。

 無言のまま、鉄の机を挟んで座る。

 冷たい光が二人の顔を半分ずつ照らしている。


 刑事が無表情のまま、二枚の供述書を机の上に置いた。


「結果を告げる」


 沈黙。


 そして、一言。


「――二人とも、裏切った」


 空気が止まった。


 真は、瞳を見開いたまま、ゆっくりと峻を見る。

 峻もまた、動けなかった。


「そんな……」


 真の唇が震える。


 峻は苦笑した。


「……そうだよな。俺も、信じきれなかった」


 その笑いは、泣き声と同じ響きをしていた。


 刑事が立ち上がる。


 手錠が鳴る。


 鎖の金属音が、妙に長く響いた。


 ――それが、二人の信頼を縛る音のように聞こえた。



---


 峻は独房のベッドに腰を下ろした。


 壁のひび割れに指をなぞりながら、ただ考え続ける。


 もしあのとき、信じていたら。


 もしまこちゃんが、信じてくれていたら。


 だが「もしも」は、鉄の扉の外にしか存在しない。

 彼の心は、もう釈放されないままだった。




悲しい結末。

基本的に自分はハッピーエンドが好きです、バッドエンドでも希望が残るものが好きです。


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