雨男
今回は、永遠に降り続く「雨」の話だ。
僕の人生は、ずっと雨だった。
物心ついた時から、僕が屋外に出ると、必ず、僕の頭上だけに、雨が降った。
天気予報が、どれだけ「快晴」を告げていても、無駄だ。僕が一歩、家の外に出れば、どこからともなく、灰色の雨雲がやってきて、僕にだけ、冷たい雨を降らせる。
人々は、僕を「雨男」と呼び、気味悪がった。
友達と約束した、遠足も、夏祭りも、僕が行くと、必ず土砂降りになった。
「お前のせいだ」
誰も、口には出さない。だが、その視線が、雄弁に、僕を責めていた。
僕は、いつしか、誰とも関わらなくなった。
恋人もできた。アカネは、図書館の司書で、僕の特殊な体質を「雨の音が好きだから、落ち着く」と、笑って受け入れてくれた。
僕は、生まれて初めて、幸せになれるかもしれない、と思った。
彼女とのデートは、いつも、美術館か、映画館か、地下の喫茶店。雨に濡れない、屋内だけ。
アカネは、それでも、文句一つ言わなかった。
だが、ある日、彼女が、ぽつり、と言ったのだ。
「ねえ、優一。一度でいいから、あなたと、星空の下を、歩いてみたいな」
その、ささやかな願いを、僕は、叶えてやることができない。
その夜、僕は、一人、ずぶ濡れになりながら、街をさまよった。
なぜだ。
なぜ、僕だけが、こんな目に。
僕は、誰もいない、河川敷にたどり着くと、天に向かって、絶叫した。
「もうやめろ! いい加減にしてくれ! 俺が、何をしたっていうんだ!」
僕の声は、降りしきる雨音に、虚しくかき消される。
「誰かいるんだろ! 出てこいよ! 俺を呪うなら、姿を見せろ!」
その、瞬間だった。
僕の頭上で、雨粒の落ちる速度が、ふと、緩やかになった。
雨粒が、まるで、意志を持ったかのように、僕の目の前で、集まり、形を、作り始めた。
それは、半透明の、水の、人の形。
悲しげな顔をした、一人の女性の姿だった。
その顔には、見覚えがあった。僕が、まだ、幼かった頃の……。
『……ごめんなさい、優一』
雨音に混じって、直接、脳内に、声が響いた。
「……誰だ、お前は」
『忘れてしまったのね…。私は、あなたのお母さんよ』
母。そうだ、母さんだ。十年前、僕がまだ小学生だった頃、アパートの火事で、僕を庇って死んだ、優しい母さん。
「なんで……なんで、今更……」
『私は、あなたを、助けられなかった。あの炎の中で、一人、逝かせてしまった』
水の姿をした母は、泣いているように、その輪郭を、歪ませた。
『あなたの魂は、まだ、あの日の炎に、焼かれ続けているのよ。熱くて、苦しいでしょう。だから、私は……』
母は、そっと、僕の頬に、その水の指を伸ばした。
『せめて、その魂の炎が、少しでも和らぐように。こうして、雨を降らせ続けることしか、私には、できないの』
僕は、自分の手を見た。
雨に濡れているはずの手のひらから、微かに、陽炎のようなものが、立ち上っている。
僕を濡らす、この冷たい雨。
それは、呪いではなかった。
僕を焼き続ける、見えない炎を、必死に、鎮めようとしてくれていた、母の、涙だったのだ。
「……あ……ああ……」
僕は、その場に、崩れ落ちた。
空からは、まだ、優しい雨が、降り続いている。
悲しいホラーも、いいだろ。恐怖の正体が、実は、究極の「愛」だった、なんてな。一番救われなくて、一番、残酷な愛だ。