ハルト・カノニア 8
天幕の外は騒がしい。というより、言葉にできない緊張感に包まれていた。
何人かの兵士は、土を持った壁の上に身を乗り出し、小さなあかりだけが見えるふたつの軍の陣地を観察している。
ふたつの軍、たしかフランカはエルトリシアとリュミエールと言っていた。
どっちがどっちなのかはさっぱり分からないが、ハルト達はどちらかの同盟者か、第三勢力なのだろうか。
自分で考えても時間の無駄だ。どうせハルトに会えれば彼に尋ねればいい。
ハルトが居なくても、ベッケを見つけたらきっと教えてくれる。
キョロキョロと周りを見渡すが、ハルトの姿が見つからない。
みんな同じような軍服に帽子という似たような格好で、そもそも人の区別がつかない。
恐らく階級の違いなどは、胸に装飾されたバッジによって違うのだろうが、見ても何がなにやらさっぱりだ。
動いて邪魔になっても申し訳ないので、天幕から少しでたところでじっと待っていると、目当ての人が私の前に現れた。
「どうした彩葉。もう終わったのか?」
その人は相変わらず帽子を被らずにいるが、外套にきちんと袖を通し、ボタンを全て閉めている。
そういえば少し肌寒い。日が出ている間は気にならなかったが、まだまだシャワーで済ませるには厳しい気温だ。
「はい」
「嫌なことや怖いことは無かったか?」
「全く何も⋯⋯優しい人でしたよ」
「そうか」
彼は顎に手を当てながら上を見た。
ハルトの知り合いであるフランカが看護師だったことは、まだ知らないはずだ。
「あの⋯⋯ハルトさん?」
「ん? どうした」
「ハルトさんはどうして軍人になったのですか」
ハルトは顎に手を当てたまま私を見下ろすと、口を小さく開いて何度も瞬きした。
瞼以外の肉体が全て停止したかと思えるほど動きがない。この質問はタブーだったのだろうか。
「さては⋯⋯看護師はフランカだったな」
名前を口にすると、ハルトは溜息をつきながら微笑した。
「よく分かりましたね」
「いきなりそんなこと聞いてくるとしたら、誰かに影響されたと考えるのが普通だからな」
「それは⋯⋯ちょっとひねくれてませんか?」
なんとなく話をする時に、進路を決めた理由を聞くのは至って普通のことだろう。
私だって去年は、友達と何度も「どうしてその高校にしたの〜」なんて建設的とは言えない会話を何度も繰り返した。
「ひねくれなのかこの考え方は⋯⋯」
「だってこんななんてことの無い会話、何も気にせず答えるのが一般的じゃないですか?」
「そりゃ靴職人とかパン屋とかの話だろう。軍人となれば少し話が違う」
ハルトが頭を捻る。言われてみれば確かにそうかもしれない。
現代日本の自衛隊員ならともかく、この世界での軍人となると少し内容がセンシティブかもしれない。
だって実際、この人達は今殺し合いの場のすぐ側にいるのだから。
「それもそうですね。すみません」
「⋯⋯別になんとも思ってないから気にしなくていい。じゃあ、少し歩きながら話そう。ここにいると幕の裏から聞かれそうだ」
変わらない様子でハルトは言った。
そして私を一瞥すると、ゆっくりと足を踏み出した。
ただ行く宛てもなく、この切り開かれた山頂をおもむろに歩く。
ふと考えてみれば、学校行事以外で男と隣同士で歩くなんて経験覚えがなかった。
「まあ、大した理由なんてないんだけどな」
ハルトは隣で頭を掻きながら口を開いた。
時折篝火が彼の顔を照らす。
他の兵隊さんたちは見張りをしたり休んだりしているが、彼は何もしなくていいのだろうか。
「俺は⋯⋯大砲が好きなんだ」
「大砲⋯⋯ですか?」
私が聞き返すと、黙って頷いて続けた。
「と言っても、勘違いされたくないから言うが、別に大砲で人が死ぬところが見たいわけじゃないぞ? ただあの構造や見た目が好きなんだよ」
「はあ⋯⋯」
私の脳内に、黒い鉄の筒と車輪をつけた大砲の姿が浮かぶ。
この世界の大砲が同じものなのかは定かではないが、完全に異なるということはないだろう。
銃や戦車などを好きな人が自衛隊に入るのと同じような感覚なのだろうか。だとしたら私にはその気持ちはいまいち理解できない。
「それでまあ、最初は設計士になりたかったからとりあえず最初は色々と潰しがきく士官学校にいって、それから設計を学ぶつもりだったんだ」
山を反時計回りに、左に向かって旋回する。
誰かとすれ違うたび、視線が私達に突き刺さる。
周りから見れば奇妙な光景だろう。
保護された民間人と兵隊がただ話しながら散歩しているのだから。緊張感も何も無い。
「でも⋯⋯突然父親が倒れて、士官学校を出てまた学校に⋯⋯なんて余裕は無くなったから、手っ取り早く金が貰える軍人になった。まあ、そんなところだ」
最後には声は平静に戻っていたが、途中若干言葉につまり、声色が暗くなっていた。
私は足を止め、ほんの数十センチだけ前を歩く彼の背中を見つめた。
物理的にはそれほど大きくないが、若くして様々な経験を積んでいるからなのか、精神的に大きく感じた。だが俗に言う父の背中とも少し違う、形容し難い感覚だ。
「そう⋯⋯ですか⋯⋯」
なんて言葉をかけたらいいのか浮かんでこない。
何不自由なく暮らして来た私の人生経験では、彼の経験にかけられる言葉なんて無いのだろう。
「彩葉」
彼が振り返る。
笑っているわけでも、怒っている訳でもない、出会った時から変わらない優しい顔だ。
その顔で私を見つめたまま、ハルトは炎に照らされた淡い唇を動かした。
「君は何か思い違いをしている」
「え?」
「別に君が俺の境遇を気に病んでも、現実は変わらない。それなら哀れまれるよりも適当に聞き流される方が俺は好きだ」
言われてみればそうだ。
同情なんてものは、親切の押し付けでしかない。
同情されても現実は変わらないし、余計に落ち込むことの方が多い。
万人がそうだというわけではないが、少なくとも私も下手に同情されるのは嫌いだった。
ではなぜ、私は自分がされたら嫌なことを彼にしてしまったのか。
答えは簡単、同情は軋轢を生まない安全策であり、何も考えずにできる妥協策だからだ。
「そうですよね。すみません」
謝るがすぐに顔を上げ、卑屈になる姿を見せない。
彼のことを思うなら、今の彼の発言も私の同情も、全て薄れゆく過去として水に流してしまうことだ。
「でも仕方がないじゃないですか。私のいた世界では病気になっても安心して治療できる制度がありますし、お金が無くても低金利で借りて学校に行く方法もありますから」
これは少し開き直りすぎだろうかと思いつつ、彼の求めるであろう普段通りの自分を演じる。
いや、いつもの私は同情してこんな余計なこと言わないのだから、普段通りでは無い、新しい自分だ。
「まあたしかに、保険と奨学金はいい制度だよほんと⋯⋯」
「え?」
「どうかしたか?」
目を大きく見開きながら、ハルトは不思議そうに首を傾げたが、今確かに彼の口から保険と奨学金という言葉が聞こえた。
「今⋯⋯保険と奨学金って言ってましたけど⋯⋯」
「あ、ああ⋯⋯俺達の国には成績優秀者への奨学金くらいしかないけど、他の国では結構充実してるらしいんだ⋯⋯保険もな。一応俺も怪我して働けなくても多少の見舞金が出るし。ていうか彩葉のいた世界では充実してるんだな。いいことだいい事だ」
苦笑いしながら早口で語る彼にある疑惑が浮かび上がる。
もしかしたらこの人は私と同じ世界から来た人間では無いかと。
だが直接聞いたところで、「違う」と言われてしまえばそこでおしまいだ。
それに私以外にそんな地球そっくりの星が見つかるよりも確率の低いことを起こした人間がいるのだろうか。
それに何しろなんの証拠もないし、彼の言う通りこの世界のシステムの話をしている可能性は大いにある。
「そうですね⋯⋯恵まれてます」
グッと聞きたい気持ちを飲み込み、話を元に戻して少し嫌な人間を演じる。
だが彼はそれが心地いいのか、頬を緩ませながら優しく目で笑った。
「まあ、心配しなくていい彩葉。同じようには不可能だが、少しくらいなら俺が守ってやるから」
そう言って私の頭をぽんぽんっと撫でた彼の手は、ごつごつとして固かった。
いままで異性に頭ポンポンされたいなんて思ったこともないが、彼よって経験した初体験はとても心地がよい。