ハルト・カノニア 7
「それで彩葉さん。ハルトのことどう思う?」
いきなりド直球な質問が投げつけられる。
たしかにガールズトークといえば大体が男の話と流行の話だとは思うが、それしても真っ直ぐで清々しい。
彼のことをどう思っているか。そう言われても、出会ったばかりで抱く感情なんて限られている。
「優しい人だと思います」
「へえ、優しい⋯⋯そうなの」
何か言いたげに右頬をつり上げるフランカに首を傾げる。
「最初こそ銃口を向けられましたけど、すぐに私の事を哀れな遭難者とでも思ったのかして保護してくれましたし」
「怖くなかった? あいつに銃口を向けられた時」
「それは、いきなりの事でびっくりしましたけど」
本当はあの時かなり落ち着いていたような気がするが、それは自分が死んで変な場所に来たという事実が存在していたからで、私自身の性格の本質とはほぼ遠い。
もし現代日本で知らない人に銃口を突きつけられたとしたら、十中八九泣き叫んでいた。
「うーん。そういうのじゃないのよね」
私の答えでは不満なのか、フランカは唸り声を漏らし、頬に添えた人差し指をトントンと動かしながら首を捻った。
「もっとなにかこう⋯⋯純粋な殺意とか、目だけで人を殺せそうな鋭い眼光とかそういうのなかった?」
記憶の中のハルトは、決してそんな風貌ではなかった。
少し目に翳りが見えたりもしたが、あれは殺意のような敵意ではなくもっと別の、言うなれば郷愁のような感情が滲んでいた気がする。
「そんな風には見えませんでしたけど⋯⋯もしかしてハルトさん、結構怖い人ですか?」
私が聞き返すと、フランカはニヤッと小さく口を開けて笑った。
それは待ってましたと言わんばかりの微笑に近いが、それよりも、私が質問してきたこと自体に笑っている気がした。
理由は分からないが、どうやら私は自分から言葉を発するように誘導されているらしい。
ただ話し相手が欲しいからなのか、好奇心なのかは知らないが、とにかく私は今、ハルトが怖いという情報をフランカによって想起させられ、まんまと問いかけてしまった。
「私は直接見たことないだけど、ヴィルヘルムや他の人に聞いたところ、あいつ敵と戦う時の顔が怖いらしいのよ」
「⋯⋯それは当然の事じゃないんですか?」
まるで珍しいことかのように話すフランカに、頭の中ではてなマークを浮かべる。
「命を懸けた場だと、人が豹変するのは当たり前だと思いますけど」
フランカの碧い双眸が微かに光って見えた。
彼女は胸ポケットをまさぐって何か取り出そうとしたが、どうやら何もなかったらしく、残念そうにため息をついた。
「そうね。それが普通よきっと。私や彩葉さんだって命を懸けた局面になればそうなるはずよ。でも、それでもその時のハルトは異常なのよ。同じ軍人から見ても怖いと感じる程度にはね」
あの彼が豹変する姿は想像したくないし、したくない。
だがきっと、彼女の言っていることは真実で、彼はそういう死地に身を置いているのだ。
「ああ、彩葉さん。あんまり怖い顔して考え込まなくていいから」
私は知らない間に顔を強ばらせていたのだろうか。
フランカが笑い声をふきこぼす。
「ただ、もしあなたがあいつの庇護を受けるなら⋯⋯知っておいてほしいの。あいつの優しさの裏には恐れがあるって」
「恐れ⋯⋯ですか」
「ま、私の勝手な見立てだけどね。昔からそうなのよ⋯⋯あいつは人より恐れてるの⋯⋯何かを失うことを。ひとつ分かってることは、自分の命では無いって事ね。命が惜しいならあいつは現場に出る必要ないし」
物思いにふけるような遠い碧眼に、私の姿が映る。
世のことなど何も知らない、無知で薄弱な人間の姿だ。
ならばせめて、私に手を差し伸べてくれる、彼のことだけでも少しは知りたい。理解したい。
「フランカさんって、ハルトさんとは長いんですか?」
また私から口を開くと、フランカは嬉しそうに頬を緩め、左手の人差し指と中指を伸ばして若干の隙間を当て、唇に当ててタバコを吸うような素振りを見せた。
恐らくだが、胸ポケットから取り出そうとしたのはタバコだろう。
こんな美人がタバコを吸うなんて、中々に想像できない。
「そうね⋯⋯10歳くらいの時かしら、あいつは近所の家に養子に来たのよ。島出身ってことくらいしか語らなかったし、最初は無口でひとりでいる事が多かったから、私や当時の友人達もあんまり近寄らなかったんだけど、私とハルトはすぐに士官学校に入れられてね。そこから同郷のよしみで話すようになったわ」
「なるほど⋯⋯」
「それでまあ、あいつはいけ好かない事に成績優秀で卒業して、将校候補として幹部学校に進むことも出来たのに、卒業するとすぐ軍に入ったのよ。私は看護学校に行ったけどね」
空が灰色に染まっていたと思えば、もう月と星が顔を出している。
もう時期夜の帳が降りる。そのせいなのか、向こうの山ではもう砲撃は行われていないようだ。
「私は詳しくないんですけど、成績優秀ならやっぱり幹部学校に入る人の方が多いのでしょうか」
素人質問をぶつけると、フランカは目を見開き、びっくりしたように唇を突き出した。
「そ、それはそうよ。将校になればこんな前線まで来ることも減るし、何より給金が段違いよ」
「ではなぜ⋯⋯」
「さあ、それは本人に聞いてみたらいいと思うわ。多分はぐらかされるでしょうけど」
その口ぶりからして、フランカも尋ねたか満足な答えを得ることが出来なかったのだろう。
色々と彼について気になることは多いが、とにかく私は明日の朝この場所を去らなければいけない。
そして彼の帰りを信じる必要がある。
天幕の向こう側で、篝火が揺れているのが見える。
今晩はこのまま兵隊達もここで待機するのだろう。
山の向こうの軍がいきなりこっちに標的を変えたりしなければ、最低限の睡眠は取れるだろう。
「あーそうそう彩葉さん」
「はい」
「今日は私達と寝てもらうから。ハルトに会いたいなら今のうちにね。日が暮れたらすぐに休んでね」
「は、はい」
「じゃ、後で声掛けるから」
伝えることを全て言い終えたのか、フランカは天幕を開けて外へ出ていった。
天幕の中に残された私は、ずっと私たちを見張っていた女兵士と目が合った。
だからと言ってなにか言葉を交わすことも無く、何となく気まづくなって天幕を出た。
天幕の外は騒がしい。というより、言葉にできない緊張感に包まれていた。
何人かの兵士は、土を持った壁の上に身を乗り出し、小さなあかりだけが見えるふたつの軍の陣地を観察している。
ふたつの軍、たしかフランカはエルトリシアとリュミエールと言っていた。
どっちがどっちなのかはさっぱり分からないが、ハルト達はどちらかの同盟者か、第三勢力なのだろうか。
自分で考えても時間の無駄だ。どうせハルトに会えれば彼に尋ねればいい。
ハルトが居なくても、ベッケを見つけたらきっと教えてくれる。
キョロキョロと周りを見渡すが、ハルトの姿が見つからない。
みんな同じような軍服に帽子という似たような格好で、そもそも人の区別がつかない。
恐らく階級の違いなどは、胸に装飾されたバッジによって違うのだろうが、見ても何がなにやらさっぱりだ。
動いて邪魔になっても申し訳ないので、天幕から少しでたところでじっと待っていると、目当ての人が私の前に現れた。
「どうした彩葉。もう終わったのか?」
その人は相変わらず帽子を被らずにいるが、外套にきちんと袖を通し、ボタンを全て閉めている。
そういえば少し肌寒い。日が出ている間は気にならなかったが、まだまだシャワーで済ませるには厳しい気温だ。