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ハルト・カノニア 6

 外に出ると、ほんの数時間前までは普通の山だった景色が一変していた。

 戦場に面する方向には土壁が盛られ、知らない間に兵隊の数も随分と増えている。

 私に気がついたベッケが軽く手を振ってきたので会釈した。

 土は後方から運ばれてくるのか、木製の荷車がどんどんとやってくる。

 ベッケはひとつ土を乗せた荷車が来ると、その荷車を受け取って額に汗をかきながら運んだ。


 明日にでもここで戦いが始まるのかと思うと、胸が締め付けられるように、呼吸が浅くなる。


「さあ、この中へどうぞ」


 歩いていると、軍医が突然足を止めた。

 周りを見ていたせいで気が付かなかったが、目の前には、保健室のような、茶色い布で囲われたスペースがあった。

 保健室のようにカーテンという訳では無いが、四角い長方形のスペースは、外からは何も見えないようになっている。


 そういえば、私のことを調べるのは、女性が行うと言っていた。

 

「この中に担当の看護婦がいますから、彼女の指示に従ってください」


「そうですか。ありがとうございます」


「さあ、どうぞ」


 軍医が天幕を開ける。

 中に木造の椅子と、看護師の姿が見えた。

 一礼しながら中に入り、顔を上げる。


 すると、看護師さんはブロンド色の髪を耳にかき揚げながら、にっこりと笑いかけてきた。


「あなたが彩葉さんね。話はブリッツ伍長とヴィルヘルム1等兵から聞いてるわ」


 サイドポニーテールの髪を胸まで垂らした女性は、浅葱色の風通しが良さそうなワンピースを着て、上から白い袖無しエプロンを付けている。

 本で見た事がある、古い外国の看護師の姿を想起させた。


「ヴィ、ヴィルヘルム1等兵?」


 ブリッツ伍長というのは、恐らくは最初にここに来た時に話した人の事だろうが、ヴィルヘルムという人が誰だか分からない。


「ああ、ベッケルトのことよ。話したでしょ?」


「あ、ベッケさんのことですか。すみません。ハルトさんがベッケベッケと呼んでいたので」


 私は言いながら横目でこの天幕の中の隅を確認した。

 入ってすぐは気が付かなかったが、女性兵士が銃を持って直立している。

 何かあれば私を射殺するつもりなのだろう。

 そこはさすがに警戒されている。

 女性兵士は私と目が合ったが、すぐに何事も無かったかのように逸らした。

 別に敵意がある訳では無いのだ。ただもしものために待機しているだけで。


「じゃあ彩葉さん、さっそく身体チェックさせてもらうわ」


「は、はい」


 サファイアのような青く透き通った看護師さんの両目が、私の足元から上まで確認する。


「まあ、見たところ武器どころかクッキーのひとつも持ってなさそうだけど一応ね。ハルトはなにも確認しなかったでしょ?」


 私は服に手をかけ、セーラー服を捲りあげながら頷いた。


「全く、ほんとそういう所不用心なんだからあいつは⋯⋯」


 呆れたように鼻息を吐きながら、看護師さんは私に手を伸ばした。

 服を渡すと、看護師は両手で肩の部分を持ちながら、まじまじと観察し始めた。


「それにしても、この服どこで売ってるの? オシャレでいいわね」


「あー、えっと⋯⋯私の国の女学生が着る制服みたいなもので」


 みたいなものでというか、制服その物である。

 いや、自衛隊も似たような物を着るはずだった。


「へえ、学生がいきなりこんな戦場の傍にいるなんて⋯⋯中々おかしな話ね」


 看護師さんの双眸が鋭くなり、下着姿になった私の体に視線が注がれる。

 さすがに物怖じして顔が引き攣りそうになったが、余計な行動で疑いの目を向けられたくないので、唾を飲み込んで耐えた。

 すると次の瞬間には、看護師さんの両目は開かれ、温和な表情に戻っていた。


「ま、別になんでもいいんだけどね。規則だからこうやって形だけはしてるだけだし。もうそのスカートは脱がなくていいから。はい」


 セーラー服が手元に戻ってきたので、また着用する。

 正直全裸にさせられるくらいは覚悟していたので、色々と拍子抜けだ。


 服を着て皺を伸ばしていると、看護師さんは椅子に座って腕を組んだ。


「ま、じゃあ今からは事情聴取ね。ルイーズ、記録係を呼んできて」


 看護師さんは見張っている兵隊に言うと、兵隊が幕の外へ出ていった。


「ほら、彩葉さんも座って座って」


「は、はい⋯⋯失礼します」


「そんなに緊張しなくていいから。ね? 肩の力抜いてリラックスよ」


 看護師さんは「ふふふ」と笑うと、にこやかに言った。

 そうは言われても、この状況でリラックスしろなんていわれても、一般的高校生には無理な話だろう。

 

 すぐに兵隊さんが戻ってきて、その後ろから若い男性が入ってきた。

 男の兵隊は学校の美術で使ったような画板を持ち、鉛筆に似たペンと紙を乗せている。


 男性は黙ったまま私と看護師さんの間に、三角形を作るように立つと、「どうぞ」とだけ口を開いた。


「じゃあ始めるわね彩葉さん。ほらぁ⋯⋯そんなに強ばらないの」


 クスクスと笑みを零しながら、看護師さんは太ももに肘をつき、手に顔を乗せた。


「す、すみません⋯⋯」


 リラックスとか肩の力を抜けと言われて本当にリラックス出来る人間は、人類の中でいったいどの程度の割合そんざいするのだろう。

 そんなことでリラックスできるならメンタルトレーニングなんてものは存在しないのだ。


「じゃあ彩葉さん。あなたの出身国と地名を教えて」


 もうこれを聞かれるのは3度目だ。

 まるで入学したての頃、クラスメイトに1日何度も出身中学を聞かれるような現象だ。


「日本の東京都です⋯⋯」


 まさか東京のどことまで言う必要は無いだろう。


「うーん。初めて聞く名前ね。あなた聞いたことある?」


 看護師が記録係に尋ねるが、首を横に振るだけですぐに調書を記しだした。


「じゃあ予定を変えるわ。エルトリシアとリュミエールという名前の国は知ってる?」


 初めて聞く国名に、黙って首を横に振る。

 看護師さんは片眉をビクッと上げると、上体を起こした。


「今向こうで睨み合ってる両国の名前なんだけど⋯⋯本当に知らない?」


「知らないです⋯⋯初めて聞きました」


「えーっと、じゃあ知ってる国名をいくつか挙げてくれる?」


「はい⋯⋯アメリカ中国ロシアフランスイギリス韓国⋯⋯」


「ああ、もういいわ。うん。ありがとう」


 看護師さんは頭を抑えながら、私に向けて伸ばした手を振った。


「うん⋯⋯ひとつも分からない。なに? 別の世界の住民?」


「そう言われたら⋯⋯否定は出来ないです」


「そこは否定して欲しいんだけどね⋯⋯」


 看護師さんは困ったと言いたげに顔を顰めながら頬を掻いた。

 斜め横にいる記録係は淡々と内容を書き起こしているが、人に見せたところで納得してもらえるのだろうか。


 別の世界という概念がこの世界にもある事に驚きかけたが、昔から異世界を描いた物語などは存在しているからおかしくない。


「じゃあもうはい! 調書はいいでしょ! ほら出てった出てった」


 突然看護師さんは手を叩くと、しっしと記録係にジェスチャーした。


「何言ってるんですか⋯⋯もっと色々と聞き取りしてくださいよ」


 記録係の兵隊さんは目を細めながら引き下がるが、看護師さんはさらに追い払うように腕を動かした。


「もう聞くことないでしょ。聞いたところで上も何も判断できないでしょうし。明日下山させるでいいでしょもう。ほら、今から男には聞かせられない話するから早く出ていって」


「⋯⋯怒られたらあなたに責任取ってもらいますからね」 


 看護師さんに気圧された記録係は渋々とゆっくりとした足取りで外へ出ていった。

 調書を見た上官が立腹すれば、私が更なる取り調べを受けることになるのではと思うが、口に出して目の前の看護師さんを怒らせるのが怖い。

 気がつけば見張りの女性兵士は地べたに座ってうとうとしているし、色々と緩すぎて不安になる。


「じゃあ彩葉さん。折角だからガールズトークしましょうか。ルイーズも⋯⋯って寝てるのか。じゃあいいわ」


 いいんですかとぼやきたくなるのを抑え、ガールズトークという何だか懐かしい言葉を頭の中で何度も呟いた。


「ガールズトーク⋯⋯ですか」


「うんうん。私と彩葉さんでね」


「看護師さんと⋯⋯私で⋯⋯」


「あー、そういえば名乗ってなかったわね」


 あちゃーとどこかから聞こえてきそうな素振りでおでこを手のひらの付け根で叩きながら、看護師さんはようやく名乗った。 

 

「フランカ・プロイセン、これが私の名前ね」


「えっと、すみません。どっちが名前ですか?」


「え? フランカだけど」


「あれ⋯⋯でもハルトさんは⋯⋯」


「ああ⋯⋯ハルトは島出身だからよ。あいつの出身地は苗字が先に来るの」


「なるほど⋯⋯」


 私の疑問にすんなりと答えてくれる。

 この人かなり察しがいい。

 さっきの聴取でも、私にこの世界のことを聞くのではなく、私の知識を聞き出そうとしたことから他の人とは違うように思える。

 

  

    

 



 

 

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