プロローグ
ぼちぼちと書いていきたいとおもってます。
どうぞお付き合いいただけたら幸いです。
「彩葉ちゃんっ!!」
目の前が真っ暗になる直前、友達が怯えた表情で叫んだ。
飲酒運転なのか、ただの信号の見落としなのか、夕方から勢いよく私に突っ込んで来る車体。
十中八九死ぬとわかってしまえば、恐怖も後悔も怒りも感じなかった。ただ理不尽だと、ただそれだけ思った。
随分と長い間、私の目には自分に向かってくる車と、状況が理解出来ずただ戸惑い、驚いているだけの民衆の顔が見えた。
死ぬ前に走馬灯が見えるというのは与太話でしかなかったが、世界がスローモーションになるのは正しかったようだ。
──ああ、死ぬ。
私は、この理不尽に襲ってきた死へのせめてもの反抗として、笑ってみせた。
────
あの世というものがあるのかは定かではない。
ただ、あの世では生前の姿が与えられる可能性が、ほんの少しだけ浮上した。それが吉なのか凶なのかいまいち分からないが。
私の視覚や聴覚といった五感は失われず、肉体も傷ひとつ負うことなく無事でいた。
死ぬ直前まで着ていたセーラー服には、ほんの少しだけ土汚れが付着している。
当然だ。私はこの傾斜がある土の地面に寝転がっていたのだから。
車に轢かれる直前、私のローファーはコンクリートの上に描かれた白線の上にあったはずなのに、今は雑草を踏んでいる。
人は天国といえば、お花畑のようなものを想像するだろう。
だが残念ながら、私がいるのは山だ。
それも花なんて見当たらない。雑草と木が生い茂るただの山だ。
「どこ、ここ⋯⋯えっ⋯⋯」
顔を上げて、私は言葉を失った。
私という人間は生前、自分で言うのも恥ずかしいが、それなりに模範的な子だったと思う。
人並みに親と口論になることはあったけれど、学校や家庭で誰かを陥れたりするようなことや、騙すようなことはしていない。
人並みに親や友人と付き合い、最低限の勉強もし、ある程度その時の空気感や流れに合わせて、人助けをすることもあった。
ではなぜ、私は地獄に落とされたのだろう。
親より先に死んだのがいけなかったのか。
勉強しろと口酸っぱく言われたのに漫画を読んだり動画配信を見ていたのがいけなかったのか。
母が買ってきた兄と私のアイスを、兄の分も食べてしまったことが閻魔様の怒りに触れたのだろうか。
その程度でも地獄行きになるなら、多分天国に行ける人間なんて存在しないだろう。
修行僧や慈善家でも多少の悪行は、生まれてからどこかで行っているはずだ。
荀子の言う通り、人は生まれた時は悪で、教育を受けることで善に変わっていくならば、天国へ行くということは、不老不死になることと同じくらい不可能だろう。
なぜ私ごときがそんなことが言えるのか。
これは傲慢かもしれないが、ある程度自分を客観視しての推測だ。
私が天国に行けないのであれば、他に行ける人なんて限りなくゼロに等しいだろう。
ではなぜ、私は自分が天国にたどり着けなかったと思ったのか。
それは、目の前に広がる光景が、物語や絵画なんかで見る地獄の姿より、遥かに恐ろしく、釜茹で地獄や針地獄の方がマシに思えるからだ。