後の祭りの後で
やけっぱちのように金色の花火が夜空に炸裂する。屋台の並ぶ参道は昼間のように明るくなって、白く光を反射した。
ケバブだのトッポギだの商品の種類やテキ屋の顔ぶれは変わったが、スターマインで締めくくる花火はガキの頃とまったく変わらない。
やがて腹に響く轟音が止み、火花がパチパチ弾ける音だけが残る。
空に漂う煙幕が薄くなるにつれ、夢から覚めたように見物客の足が動き出した。
俺も鉄板の上に散らばるキャベツや焼きそばの麺をヘラでかき集め、次々とパックへ詰めていく。そろそろ店じまいだ。
長いこと勤めた塗装会社を休職し、地元に戻って来てみればいきなり青年団の仕事に駆り出された。腰を壊して会社を辞めるっつっただろうが。
若手だからと持ち上げられつつ、屋台の設営やら食材の仕入れやらしっかりこき使われた。もうすぐ五十に届こうという俺でもここじゃ若手の部類に入るらしい。
座りながらでいいからとパイプ椅子を貸し出されたが、んなもんに座ってちゃ焼きそばを焼きながら客をさばけるわけがない。
鉄板に残っていた焼きそばを全部パックに詰めると、パイプ椅子に腰を下ろし2リットル入りのペットボトルをあおった。すっかりぬるくなった麦茶をガブガブと喉に流し込む。停滞する熱気と照明の熱に蒸され、喉が渇いて仕方ない。
引き上げる準備をしてさっさと帰りたいところだが、椅子に座ったらもう駄目だった。途端にケツが重くなり、ペットボトルの蓋を閉める気すら湧いてこない。
帰路に着く客の流れをぼうっと眺めた。小学生くらいのガキの集団が目の前を通る。あれくらいの年のころは、自分が屋台のオッサンの立場になっているなんて想像もしていなかった。
「道雄!」
誰かに名前を呼ばれた気がした。参道に目を向けるが誰もいない。
「オレだよ!山田勝也!」
積み重ねられた焼きそばのパックの横から、ひょこりとガキの顔が現れた。だいたい小学3、4年生くらいだ。
「誰だよ・・・」
だが聞き覚えがある名前だった。同級生か誰かのガキか?地元に帰ってきたばかりだから把握はしていないが。
「お前のアニキだろ!忘れたのか?」
「は・・・・・・?カツ兄・・・か?」
誰だか思い出すより先に、その呼び名が口をついて出た。ああ、確かにいた。カツヤ、山田勝也。俺が小学生だったころ、夏休みの間だけ毎年やって来ていた一つ上の少年。
俺が一年生の頃は高学年のガキが多く、遊び相手がいなかったから歳の近い勝也と一緒につるむようになった。毎日セミやトンボを獲ったり駄菓子屋でカチコチのアイスを分け合ったり。家で閉じこもってゲームばかりしていた兄貴と違って全力で遊んでくれたソイツを、俺はカツ兄と呼んで慕っていた。
勝也は中学生になった途端、ぱったり姿を見せなくなったが。
もう一度言うが、俺が小学生の時の話だ。今目の前にいるガキの顔は、あの頃のまま変わっていない。
タチ悪い冗談だと思いたいが、くりくりした目や鼻の形、口の端にある黒子の大きさまで、見れば見るほど勝也そのものだ。
「お前、アイツの親戚か?親はどうした」
「知らねえ。気がついたらここにいた」
「は?迷子か?じゃあ本部が境内の階段下にあっから、ここを真っ直ぐ」
「だから、迷子じゃねえしガキでもねえって。一つしか変わんねえじゃねえか」
だったらこのガキは今年四十八になるってのか?あれか、その手のドッキリの動画とか流行ってんのか?
「どうかしました?」
はす向かいのチョコバナナの屋台から、神農組合の若いのが声をかけてきた。日雇いのバイトらしい。
「迷子だってよ」
「オレ本部に連れていきましょうか?」
「俺は道雄と行く」
「知り合いでした?まあオレ相方いるんで店見ときますよ」
「悪りぃな」
俺は重い腰を上げ、ペットボトルをクーラボックスの中に戻した。
表に出てこれば、勝也を名乗るガキはすげえ形相で若い男を睨み俺の手を引く。そして参道をずんずん歩いて行った。
「オッサンになってもぼけーっとしやがって。オレがいねえと本当にダメなやつだなお前は」
この肩をいからせて進む背中は、ガキの頃嫌ってほど見てきた。当時はやたらデカく頼もしく見えたもんだが、今では頭のてっぺんから見下ろすことができてしまう。カッコつけてたんだろうなあ、弟分の前では。
「ケバブ?こんなもんあったか?」
キッチンカーの前でガキは足を止める。中では塊肉がゆっくりと回転していた。
「腹減ってんのか?」
「俺は別に」
「ケバブ二つ。カップで」
ガキを無視して外国人の店員に声を掛けた。店員は閉店の準備をしていたのか一瞬顔を歪めたが、カタコトで返事をしてトレーを出す。
「いるなんて言ってない」
「俺が腹減ってんだよ」
「馬鹿だな。何入ってっかわかんねえもん食えるかよ」
「駅前の店から出店してんだとよ。他の店よか多少はマシだろ」
自分でやってみて分かったが、屋台の衛生管理の杜撰なこと。一日だけのことだから保健所の目もザルだった。
ケバブの入ったカップをガキに渡し、歩きながらザクザクフォークでブッ刺し口に運ぶ。千切りキャベツとポテトで底上げされていたが、カレー風味の肉はしっとりと柔らかく味は悪くない。
花火が終わったからか、随分景色が寂しくなった。人通りが少なくなり、灯りが消えていたり商品が綺麗さっぱり片付けられていたりする屋台もある。気温までぐっと下がった気がした。
「悪くねえな」
ガキはケバブを頬張りながら、一丁前に俺と同じ感想をこぼした。「ビールは?」とこっちに顔を向ける。
「アホか。ガキはジュースでも飲んでろ」
「チッ、そうだった」
ガキは舌打ちして顔を顰めた。
「なんでまたこんなナリになっちまったんだろうなあ」
でっかいため息をつきながら、日焼けした細い足で追いかけてくる。そうか、俺が歩幅を合わせないとすぐ置いてきぼりになっちまうのか。めんどくせえ。
「お前が仮にオッサンだったとしてな、今までどこで何をしていたんだ?」
「・・・忘れた」
木のフォークを噛む横顔は硬かった。人に言えないような事情でもあるのか、本当に覚えていないのか。少なくともふざけているようには見えなかった。
「おっ、ラムネ」
ガキは「まだ売ってたんだな」とクーラーボックスの中を覗きこむ。氷はすっかり溶けて、ペットボトルの飲料だけがぷかぷか浮いている。
「喉渇いた。なんか奢ってくれ」
「図に乗んなよ」
「あとで払う」
「親が来るまで俺に待てってか?」
「だから、ガキじゃあねえって」
仕方なくラムネを二本買った。栓をポンっと押し込みビー玉を沈ませ、ケバブの塩分で干上がった喉を潤す。
ガキは栓を差し込み、掌の底で軽く押し込んだ。そして二回叩いてビー玉を取り除く。
俺は目を見張った。勝也がラムネの栓を開ける時とまったく同じ手つきだったからだ。記憶の回路が昔と今の光景を繋げる。
あの頃はなけなしの小遣いで、なんでも半分にして分け合っていた。祭りのたこ焼きやフランクフルト、焼きとうもろこし、ラムネなんかも。
回し飲みしていたら男同士で間接キスしているなんて高学年のヤツらに揶揄われて、勝也は顔を真っ赤にして怒っていた。
やり返した後も勝也の顔は赤いままで、照れくさそうに残りのラムネを俺に全部譲ってくれた。
あの気まずい雰囲気まで思い出して背中がむず痒くなる。
「・・・やっぱり返さなくていい」
ガキは俺を見上げる。
「昔、奢ってもらったからな」
「あ?いつの話だ」
「高学年のヤツらが間接キスだって騒いだ時」
「あっ」
ガキの顔は茹だったみてえに赤くなる。記憶の中のままの表情と顔色だ。
「なんでそんなどうでもいいことを覚えてんだ・・・」
と顔を背ける。
まさか、本当に、そうなのか?もう少し突っ込んでみるか。
「アイツらの名前、覚えてるか?ほら、三組の」
「高橋と山中。あと、里田だったか?いや、里田は学年違うだろ」
カマをかけてみたが、正確に言い当てた。ラムネを飲み干したばかりなのに喉が乾いていく。
「本当に、勝也なのか?」
そうたずねる声が震えた。
「はあ?まだ信じていなかったのか?最初からそう言ってんだろ」
正直言って、まだ半信半疑だ。だが、もう一つ確かめなければならないことがある。
「・・・なあ、お前、なんでこっちに来なくなったんだよ」
勝也がいない夏休みは退屈で仕方なかった。毎年送りあっていた年賀状もパタリと来なくなり、薄情者めと不貞腐れたもんだ。中学で同年代の連れができたら、俺も段々と忘れていったんだからあいこだがな。
「親が離婚して、親父の方について行っただけだよ。ここではお袋の実家に世話になってたんだ」
「それは知ってる。噂になっていたからな。それから、もう一つ聞いたんだが」
唾を飲み込み、引っかかっていた言葉の滑りをよくする。
「勝也は、高校ん時、事故で死んだって」
勝也は目を見開いて瞬きした。それから胡乱な目つきで
「まあ、そうした方が都合がいいわな」
と鼻を鳴らし笑った。やっぱりただの噂か。しかしなんだその引っかかる言い方は。
「お前俺が幽霊だとでも思ったのか?」
「ガキがからかってるだけだと思った。本当のところはどうなんだよ」
「さあな」
勝也は悪戯を思いついた時のようにニヤリとした。そんな表情まで昔のままだ。
確かに勝也そのものなんだが、どこか自分の思い出を俯瞰しているような、遠くから眺めているだけなような気もする。
だから、ついうっかり口に出ちまった。コイツに対して思っていたことが。
「俺は、勝也が来なくなって、結構寂しかったんだぜ」
勝也はハッと目を見開いて、照れくさそうに口を引き結んだ。
「やっぱり言っときゃよかった」
と勝也はぼそりと呟く。なにがだと聞こうと口を開いたが、ここで本部のテントが見えてきた。
「どうする?」
勝也を見れば、行かないと首を振る。まあそうだわな。
「ここらでお開きにするか。悪かったな、店あんのに」
「どこ行くってんだよ」
「お袋の実家行ってみる」
「そうか、じゃあ送るわ」
「いいって」
「店片付けてくるから本部で待ってな。勝也の親戚っつっとく」
本部のテントまで手を引いていこうとするが、勝也の腕はぴんと張った。手を軽く引くが、足を踏ん張り進もうとしない。
勝也は俺の手を振り払った。ラムネの瓶が石畳に落ちて割れ、ケバブのカップが地面に転がった。
勝也は境内に続く階段に飛び込む。立ち入り禁止の札がかかったロープをいとも簡単に乗り越え階段を駆け上がっていく。
俺はロープに足を引っ掛けながら鳥居をくぐり、よたよたと階段に足をかける。
クソッ、ちょっと早足で登ったくらいで息が切れる。歳はとりたくないもんだ。
「勝也!」
「着いてくんな!」
勝也の背中はどんどん離れていく。重い足と腰を引きずりながら追いかけた。
「待てよ!なんで逃げんだ!」
勝也は不意に振り返り、俺を突き飛ばす。けれども、その衝撃は伝わらなかった。勝也の腕は、俺の胸をすり抜けていた。
「勝也、お前・・・」
「うるせえ!帰れ!」
勝也は蹴りを入れるが、それも俺の脚を素通りする。
「なんでだよ・・・今じゃねえってのに・・・」
勝也は奥歯を噛み締め、眉間にこれでもかと皺を寄せる。
俺は、黙って境内に向かった。勝也の行こうとしていた方向へ。何かわかるかもしれない。
「やめろ!行くな!」
勝也の手や声が俺を引き止めようとするが、無視して突き進む。
「道雄!よせ!見るな!」
階段を登った先の鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れる。誰もいない。もう夜中だってのに蝉の鳴き声が聞こえる。勝也の喚く声も同じくらいうるさい。
拝殿に提灯がかかっていて、黄色い月が二つぶら下がっているようだった。その灯りが、土についた跡を浮かび上がらせる。何かを引きずったような跡だ。それを辿って本殿の裏に行けばーーー
人が、俺と同じくらいの年頃の男が、腹から血を流し倒れていた。
「勝也・・・」
「お前は何も見ていない。帰れ」
「これお前なのか?」
だいぶ歳はいっているが、大きな目や鼻の形、口の端の黒子に面影が重なる。
「もう俺に関わるな」
勝也は諦めたように呟いた。
膝から崩れ落ちそうになる。全身に汗が滲むのに脚が震えた。
「じゃあ、なんで、のこのこ俺んとこに姿を現したんだ。もっと、もっと早く言えば・・・」
助けてくれって一言でもあれば、ここに誰か連れてこれば、勝也は助かったかもしれないのに。
「なに呑気に屋台で飲み食いしてんだ。馬鹿なのか?」
「俺がそうしたかったからに決まってんだろ。ああこれは死ぬなって思った時にな、お前のこと思い出したんだ」
思わず勝也の顔を見る。
「ここによく来てただろ。なーんにも考えずにアホみてえにセミ捕りしたりイタチやネズミ追い回したりしてさ。親父は俺を殴らなかったし、ばあちゃんが毎日美味いメシ食わせてくれた。お前といた時が、一番楽しかった」
勝也がべらべら喋るものだから、俺が口を挟む隙はなかった。それに、勝也はなんでーー
「あの頃に戻れたらって思ったら、焼きそばの屋台の前にいたんだ」
なんで、勝也は笑ってやがんだ。そんな満足そうに。なんの未練もなさそうな顔しやがって。ふざけんな。ちくしょう、ちくしょう!
「おい!起きろ!勝也!」
倒れているオッさんの胸ぐらを掴み揺さぶった。
「また黙って俺の前からいなくなる気かよ!ふざけんな!」
勝也のジャケットが肩からずり落ち、立派な彫り物がタンクトップから覗いてハッとする。勝也がこんな目にあった理由が朧げながらに予想できた。
俺に、関わるなと何度も言った理由も、死んだということにされている理由も。
「勝・・・」
勝也の方に振り返るも、もう小学生の勝也の姿はなかった。蝉の声と暗がりだけが残っている。
「何してるんですか?」
代わりにやってきたのは、チョコバナナの屋台にいた若い男だった。手にビニール袋を下げている。
「中々戻ってこないから探したんですけど・・・その人・・・えっ・・・」
俺は自分の状況に気づいた。倒れた男の胸ぐらを掴み、片方の手には血がついている。
男は息を吸い込み、叫びながら階段に向かって走る。
「誰か・・・!救急車、いや、警察・・・!」
「待ってくれ!」
すぐさま追いかけ、男の腕を引く。ビニール袋が落ち、中身が飛び出した。それは、布に包まれた果物ナイフだった。刃はピカピカだが、布には血糊がべっとり付いている。
それが何に使われたのか、想像が湧き出て背中に鳥肌が立つ。
腹に拳が飛んできて、避ける間も無くめり込んだ。その場にうずくまると、ケバブの匂いが胃からせり上がる。
すかさず顎を蹴り上げられて脳が揺れた。動けずにいると、手にナイフを握らされる。
「これでオレは正当防衛ですよね」
男はニヤリと嗤い、両手を合わせて組んで振りかぶる。
冗談じゃねえ。俺が勝也を刺すわけねえだろ。目の前のコイツをぶん殴ってやりたいところだが、情け無いことにまだ指一本動かねえ。
男の手が、ピントが合わないくらい顔に迫る。くらったら意識が持つかどうかもわからない。
だが、それが俺に届くことはなかった。目の前に誰かが立ちはだかり、男をぶん殴る。
「おまっ・・・まだ生きてーーーーうわああぁぁぁ!」
後ずさった男は、階段を踏み外し派手な音や叫び声をあげて転がり落ちていった。本部のあたりがざわつき始める。
俺の前に立ちはだかっていたヤツも地面に倒れる。その男は、まぎれもなく
「勝也!」
俺は這いつくばりながら勝也に近づく。思うように手足が動かなくて苛ついた。
「馬鹿野郎!本当に死ぬぞ・・・!」
やっと顔を見せたかと思えばカッコつけやがって。昔っから俺の前でイキってたのは知ってんだぞ。
「・・・死ねるかよ・・・」
掠れてざらついた声が、勝也から這い出てきた。
「惚れたヤツも、守れねえんじゃ・・・」
勝也はそれきり黙りやがった。なんだよそれ。今言うことかよ。もっと早くに言っとけ。遅いだろうが、なにもかも。
俺は死にものぐるいで階段の上から呼びかけ手を振る。階段の下に本部の爺さんたちが集まってきていたからすぐ気づかれた。
あの男も勝也も救急車で運ばれていった。俺はタクシーで病院に向かったが、打撲だけで済んだようだ。応急処置が終わると警察がやって来て、勝也を見つけた時の状況やら勝也との関係やらを聞かれたが、後ろに手が回ることはなくホッとした。
後で分かったが、あのアルバイトの男は神農組合のバックにいたヤクザが送り込んだらしい。勝也の組はその組と縄張り争いで揉めていたそうだが、それ以上の情報は耳に入ってこなかった。これも噂程度のもんだからどこまで本当かはわからねえが。
ちなみに勝也とは、あの夏祭りの日から一度も会っていない。
夏が終わると、俺は仕事に復帰した。人手が足りないと何度も職場から連絡があり根負けしちまった。出勤の日を減らし、他の日は工場でライン作業や工業部品の組み立てのアルバイトをするというサイクルに落ちついている。
そうやって数年をやりすごし、久しぶりに夏に長い有休を入れた。
カラッと晴れたクソ暑い日だと言うのに、俺は電車である場所に向かう。
地元から三つ離れた駅には競艇場があり、ここで降りるのはほとんどオッさんだ。だがたまに、改札口に思い詰めたような顔をした若い女や、ベンチから動こうとしない爺さん、子どもを連れた母親なんかがうろついている。
親からはこの駅に降りるなと言われていて、ガキの頃は競艇場があるからだと思っていた。しかし大人になってから、この駅が刑務所の最寄駅だと知った。刑務所から出てくる人間は、必ずこの駅にやってきて、故郷や見知らぬ街に運ばれていく。
俺は今日、初めてこの駅に降り立った。
切符を改札に通し、構内のベンチに座る。壁に取り付けられた扇風機は熱風を吐き出すばかりで、座っているだけで汗が滲む。なんで朝っぱらからこんなに暑いんだ。
じっとしていられず、立ち上がって自販機でスポーツ飲料を買ったり意味もなく時刻表を眺めたりしていた。
すると、髪を短く刈り込んだ、どっかで見たような背格好の男が歩いて来た。随分白髪が増えているが、口の端にある黒子の位置は変わらない。
勝也だ。
「よぉ」
俺が声を掛ければ、垂れた瞼が持ち上げられ、本来の大きさの目が現れる。
「道雄・・・。お前なんでここに」
「お前の母ちゃんに出てくる日を聞いた」
「俺に関わるなっつったろ」
苦虫を噛み潰したような顔を向けられる。
「ケバブとラムネ」
勝也は今度は怪訝に眉を寄せる。
「お前、後で払うっつったじゃねえか」
俺が手を差し出せば、勝也はポカンとする。やがて喉を鳴らして肩を上下させ、仕舞いには声を上げて笑っていた。
「ハハッ、ハッ、お前、ヤクザから金取り立てようってのかよ」
「関係ねえだろ。さっさと返せよ」
「一文無しなんでな。そのうちな」
そんなことは知っている。ただ、口実を作りたかっただけだ。
「しょうがねえなあ、待ってやるか」
「やけに大人しく引き下がるじゃねえか」
そんなもん決まってんだろ。今度は逃してたまるかよ。
俺はなんでもないようなツラして、勝也にこう言ってやった。
「そりゃあな、惚れた弱みってヤツだよ」
ーーーー終ーーーー