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そっけない

 休息の時間と言うのは、どうしてこうもすぐに過ぎ去っていくものなのか。

 文句を言うつもりは毛頭無いが、蓮はそう感じずにはいられない。自分より休めていない室長にんげんがいる、という事は重々承知しているが、だからといってこの言いようのない複雑な心情を理解することも出来そうにない。

 ……なんて。

 そんな事を考えていても仕方がない。蓮はすぐにそのグチャグチャに折り重なった感情を丸めて捨てた。よほどの事でも無い限り、こうしてすぐに切り替える事が出来る便利な心を持った事は自分の美点だと感じながら特務課へと戻れば、今日も今日とて由衣が笑顔で出迎えてくれた。


「お疲れ様です、真島さん! 休憩あがりですか?」


「えぇ……鈴原さんは食事食べられたんですか?」


「はい、先ほど!」


 しばし由衣を見つめ、そして理解する。

 やはり自分より忙しく、休息の時間から遠ざかっている人間はごまんといると実感する。新人いまのうちに、この時間を謳歌しておきたいものだ。


「そうですか。鈴原さんも、無理しないで下さい」


「ありがとうございます! でも、私は大丈夫ですよ。皆さんと違って現場に出る様な事も無いですから」


「現場に出ていようと、そうでなかろうと、そこに待遇の差があってはならないと俺は思ってます。鈴原さんが倒れるような事があっては、俺達の仕事にも支障が出ますから……」


「っ!? あの……ま、真島さん?」


 急に蓮が言葉を止めたかと思えば、すぐに由衣の顔が真っ赤に染まっていく。

 理由は? そんなの簡単だ。蓮がその右手を、由衣の顔へそっと添えたから。必然的に顔も近くなり、その端正な顔立ちと心地よい冷やかさを持つ手の感触に、体温が上昇していくのが分かる。

 何も言えず、されるがままになっていれば、やがて蓮の方から離れていく。 


「顔色、よくないですよ。明日も仕事ですか」


「あ、いえ。明日から二連休ですが…」


「では、しっかりと英気を養ってください。先ほども伝えましたが、鈴原さんは俺達にとって必要不可欠な存在です。当然、もう一人の事務の方も。なのでしつこいようですが、あまり無理しない様に」


 では、これで。

 蓮は言うだけ言って、すたすたと遠ざかって行った。

 一体何だったのかと、先ほど蓮が触れた部分を撫でてみた。その時に気付いた違和感に、由衣は再び顔を赤らめるのだった。













 由衣とのひと時を終え、第七班の事務室が見えて来た。彩乃はまだパソコンと睨めっこをしているのだろうかと考えながら、扉の前に立つ―――――事は無く、蓮を無視するかの様に開かれたそこから、一人の女性が出て来た。

 彼女も蓮に気付いた様で、しばし見つめ合う。この部屋から出て来て、こうして自分から目を離さないという事は、もしかしたら自分に何か用でもあるのだろうか。

 それに、この女性……見覚えがある。


「お疲れ様です」


 考えていても仕方がないので、蓮は自分から姿勢を崩し、会釈して一言添えた。

 すると女性も表情を変化させ、綺麗な微笑みで自分と向かい合う。


「お疲れ様、真島君。昨日はありがとう、助かったよ」


「昨日……あぁ」


 あの時の、非番の中で事件に出くわした運の悪い職員かと分かれば、見覚えもある筈だと一人納得した。


「自己紹介がまだだったね。私は千堂亜希奈。第三班室長を務めている。今後ともよろしく」


「どうも。知ってるようですが、真島蓮です」


「あぁ、知っているさ。君と話してみたかったんだ」


 どうやら本当に、自分に用事があった様だ。


「俺に、何か?」


「……いや、今はいい。申し訳ないが、私にも仕事があるものでね」


「うちの室長といい、管理職も大変ですね」


「ははっ、お気遣い感謝するよ。だが、もう慣れたもんさ。君のところの室長も、じきにそうなっていくさ……」


 亜希奈は、その美しくも怪しく光る顔を蓮に近づけていく。

 じろじろと彼の顔を見渡し、時には首筋に近づいて匂いまで嗅いできた。

 

「そういう趣味の方でしたか」


「心外だ、とだけ伝えておくよ」


「今の光景を見られたとして、貴女に弁明の余地はないと思いますよ。勘違いされたくないのなら……言葉で伝えて頂かないと」


 思わず吹き出しそうになるのを、亜希奈は必死にこらえる。

 脳裏に浮かぶ鉄仮面の女性と目の前の蓮を見て、まぁ似た者同士という事かと、こみ上げる笑いをすとんと心へ落とした。


「なら、君にも直接伝えておこう――――――真島君、私は君が欲しい」


 蓮の表情は変わらず、その瞳は亜希奈を掴んで離さない。こういう所も同じかと感じながらも、亜希奈は口を動かし続けた。


「真島君、私はね? 酷く利己的で、愚かなほどに我儘で、そして……救いようがない程、独占欲の塊だ。自分で言っていて哀しいけどね。しかし、嘘偽りない私の素顔だよ、それが」


「千堂さんの事はよく知りませんが、自己分析が出来ているのは美点の一つだと思いますよ」


「君は本当に優しいんだな」


「他人の分析は不得手のようですね」


 蓮が吐き捨てれば、亜希奈は笑った。

 だが、それも束の間。すぐにまた、あの妖艶で不気味な笑顔に戻る。


「私は、欲しいものは必ず手に入れる……どれだけ困難であろうと、どんな手を使おうとも、ね。これだけは伝えておく事にするよ……せいぜい覚悟しておくんだね」


 再び、無言の戦争が始まる。蓮は表情を変えず、ただじっとその笑顔を見つめていた。

 彼女はおそらく本気だ。本気で、自分を第三班へ引き入れようとしている。スッポンのような人だと言えば、どんな反応を示すだろうか。興味はあるが、今は止めておく。

 だが彼女が本気ならば、こちらも答えなければいけない。それも難しい事ではない。たった一言で済むのだから。


「俺は、誰かが示した道を歩いてやるほど、素直な人間じゃありませんよ」


 亜希奈は、ただ笑った。

 それでこそだ。それでこそ―――――面白い。


「……まぁ、今はそれだけだ。君とは、もっとゆっくりした場所で、食事でもしながら話したいものだね」


「千堂さんの奢りなら良いですよ」


「ははは! 君はハッキリとものを言うんだね! ますます気に入ったよ!」


 この人の頭はどうなっているのだろうか。そんな感情は表に出さず、蓮はただじっと彼女見つめたままだった。


「長々と立ち話に付き合わせて悪かったね、真島君。じゃあ、私はこれで」


 宿っている異能と違って、随分と攻撃的な人だ。

 去って行く亜希奈の背中を見つめながら、蓮は自動ドアの前に立てば、今度は素直に自身を招き入れてくれた。

 

「遅かったですね、五分すぎていますよ」


 聞こえて来るのは、昨日の今日で既に聞きなれてしまった室長の声。視線を向ければ、いつもの鉄仮面で手にはファイルを携えた彩乃の姿があった。


「あぁ、悪い。そこで千堂さんとやらに捕まってな……と言うか、お前も此処にいたんなら分かってるだろ」


「えぇ、知っています。ですが、時間が過ぎているのも事実ですので」


 真面目なもんだ。しかし、彼女は休息らしい休息を取れていないのも知っている。遅れたことに対しては、「悪かったな」と素直に謝罪の言葉を述べ、自席へと歩いていく。


「千堂さんと、何を話していたのですか」


「口説かれた」


 椅子に座ってそう答えれば、彩乃は思わず蓮を睨みつけた。


「それは良かったですね。彼女のような美人に口説かれるなんて」


「お前、分かってて言ってるだろ」


「はい」


「……大したもんだな、うちの室長は」


 ため息交じりにそう言ってみるが、彩乃に変化は無かった。だが表情こそ怖いが、怒りはそれほど感じない。どちらかと言えば―――――――不安や嫉妬。それに近い感情が見え隠れしている様に、蓮には思えた。


「……どうしたのですか」


「何がだ」


「分かっているでしょう? ……どう、返事をしたのですか」


 ビンゴ。どうやら自分の推測は正しかったらしい。

 そんな感情をさらりと風に乗せ、蓮は口を開いた。


「振ったよ。俺は誰かが示した道を歩くほど素直じゃないってな」


「……そうですか」


「当然だ。俺の道は俺が決める……此処に異動する事を決めたように。それだけだ」


「我儘な職員ですね」


「それに関しちゃ諦めろとしか言えないな……こんな職員をここで匿う羽目になった不運を恨め、室長」


 室長。

 その言葉に、彩乃ははぁ、とため息をついて背を向けてしまった。


「本当に……面倒な班員が入ってしまったものです」


 それを最後に、彩乃は部屋を出て行ってしまった。報告書を課長のデスクへ提出する為に。

 だが、蓮は見逃さない。

 彩乃が自分に背を向ける直前、わずかに口元が緩みかけていた事を。


「面倒な班員には、面倒な室長がお似合いだろ」


 誰も居なくなった室内で、蓮は自分のパソコンを立ち上げた。さて、休息は終わり。自分も、出来る範囲の仕事はしなければ。

 カチカチとマウスを動かしながら、蓮はしばしの静寂を堪能するのだった。

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