夕霧
『―――――次のニュースです。本日午後二時四十五分、都内廃病院にて起きた立てこもり事件は、突如犯人が銃撃を止め、機動隊が突入した事で収束を向かえました。犯人は都内に住む鈴木雄一無職で、右手に重傷を負っており……』
相談受付時刻を過ぎ、帰り支度を終えた相談課の職員達は揃ってテレビの前に張り付き、流れて来るニュースに耳を傾けていた。
「課長の話だと、確かこれだよね? 愛花ちゃんが連れてかれた事件って」
「うん、そう言ってたけど……」
「愛花ちゃんどころか、あの特務課の人も工藤さんも映ってないんだけど……」
こんな現場に連行されたと聞けば、無事に帰って来てくれるかと心配していたが……映像を見れば摩訶不思議。三人の姿は何処にも無かった。
「無事、だよね? 愛花ちゃん……」
「何不吉な事言ってんの!」
「でもあのイケメンさん、新人なんでしょ?」
こういう状況に陥った際、何故こうも不安が顔を出してくるのか。ざわつく心を何とか紛らわせようと会話を続けていた時だった。
「失礼します」
「っ、はい! って……さっきの新人さん?」
一人が言えば、全員が声の主へと視線を向けた。そこに立っていたのは、確かに先ほど愛花を連行していた新人職員、真島蓮である。
「そういや、自己紹介がまだでしたね。本日付で此処の職員になった真島蓮です。どうぞよろしく」
「あ、どうも……」
蓮が会釈すれば、また全員が同じ様に頭を下げた。随分と息の合ったチームだな、なんて考えながらも、蓮は本題を口にする。
「先ほどは不躾なお願いをしてしまい、すみませんでした。要件は終えましたので、篠崎はお返しします」
その言葉の後、蓮の後ろから恐る恐る顔を出したのは、全員が待ち望んだ人物。
「も、戻りました……」
「愛花ちゃん大丈夫!?」
「怪我はない? みんな心配してたんだよ!?」
「あ、ありがとうございます! この通り、どこも怪我なんてしてません!」
確かに愛花の姿は出立前と変わっておらず、何事も無かった事が伺える。
ほっと胸を撫でおろしていた時だった。涼子が相談室の扉を開けた。
「皆どうしたの……あら、おかえりなさい篠崎さん」
「あ、はい! ただいま戻りました!」
いつも通り柔和な笑みを携えて、愛花の前へ立つ。
「身体はどう? 何処も怪我はしていないかしら?」
「はい、この通り大丈夫です。それに一瞬の事で、私には何が起きてたんだかさっぱりでしたし……」
その答えを聞けば、涼子は蓮へと視線を移す。
涼子も中継は見ていたが、彼らが車から降りた形跡すら見られなかった。一体どんな魔法を使ったのかと言いたい所だが……。
「……お疲れ様、真島君」
「お疲れ様です、藤野課長。先ほどは急なお願いにも関わらず許可を頂き、ありがとうございました」
礼を述べ頭を下げる蓮の肩に、涼子は両手を添えた。
「いいのよ、こうして約束も守ってくれたわけだから。でも、出来ればこんな事はこれっきりにして欲しいわね。私も寿命が縮む思いがするわ」
「……まぁ、善処はします」
答えを聞いた一瞬だけ、涼子の表情が歪むのが分かったが、すぐにまたいつもの笑顔に戻ったため、あえて追及はしないでおく。
「では、俺はこれで。皆さんもお騒がせしました」
再度全員に頭を下げ、蓮はスタスタと歩き出してしまった。その後ろ姿を全員で興味深く見つめてみるが、やがて愛花だけが視線を逸らし、テレビから流れるニュースに目線を押し付けた。
本当に、自分がこの現場にいたのか……今一つ、信じられない。もしかしたら、自分が見ていた夢だったのではないかと錯覚してしまう。
「―――――……え?」
そして、犯人の顔が映し出された時。
本当に、全部夢だったならよかったのに。
愛花は心の底から、そう思った。
「初任務、お疲れ様でした」
第七班専用室へ戻れば、室長から労いの言葉を賜る。言葉で答える事はせず、蓮は最奥に扉と向かい合う形でおかれたデスクへと腰かけた。
「普通、こういう所は室長の席だと思うんだが」
「ご心配には及びません。私のデスクはあちらにありますので」
彩乃が指さす方向へ目をやれば、ガラス戸一枚挟んだ向こう側にもデスクが一つ置かれているのが分かり、納得する。
「班内でも守秘義務はありますから。こういった職場では、特にそうです」
「……まぁ、俺達の存在自体が表沙汰に出来ないしな。しかし、室長も大変なこった」
「今後そうなって行くのでしょうね」
言葉の意味を逡巡した後で、蓮は天井を見つめる。見慣れている様で、それでいて新鮮な、何とも言えない感情が体内を駆け巡った。
「今日は後なにすればいいんだ。特務課の課長さんに挨拶か」
「本来ならばそう言いたい所ですが、本日より課長は出張で別支所へ行っております。戻られるのは三日後になりますので、また紹介します」
「そうか」
「本日中に真島さんがやるべき事はアパートの案内と、オペレート室への挨拶くらいですが……明日にしますか」
「そりゃ有難いな」
此処に来る途中も、オペレート室から覗く多数の視線にさらされたばかりだ。質問攻めにあうのは目に見えており、億劫に感じていたところだ。おそらく彩乃も帰還した際、同じ目にあったのだろうと推測する。
「それと……先ほど警視庁から感謝の電話が入ったとの事です。対象者は右手に重傷を負っていましたが命に別状はなく、現在警察で取り調べを受けているとの事です。鈴原さんから聞いた話では、機動隊の方々は誰も私達の姿を見ていないそうですよ」
「……それで良かったのか」
「はい、結構です。『執行許可』も出ていませんでしたから」
『それは良かった』という文字だけが、蓮の脳裏を足早に過ぎ去っていった。
そして、沈黙。互いの呼吸音がやけに大きく聞こえて来る。この世界には自分たちしかいないのではないかとすら思えてしまいそうだ。
「何も言わないのか」
「……どういう意味でしょうか」
沈黙を打ち破る蓮の言葉へ、彩乃はそう返した。
「今日俺がやったやり方は、お前等の美学やマニュアルに沿ったもんじゃない事は自覚してる。それに対して、お前からお咎めや質問は無いのかって聞いてるんだ」
あの短時間で、しかも車から降りる事も無く、どうやって対象者の居場所を特定した事。
時速五十キロで走る車の中から、たった一撃で正確に射撃した事。
そして――――――――無関係な愛花を巻き込んだ事。
確かに蓮がやった事は、今まで殆ど前例のない事だ。いくら施設長や課長の許可があったとは言え、普通ならば注意の一つでも受けようものだが……。
「私が自分なりに考え、それでもなお納得出来ていなかったならば、そうしたでしょうね」
夕暮れに沈む街並みを眺めながら、控えめに落とされた彩乃の言葉。
「……そうか」
蓮にとっては、それで十分。彩乃の隣に立ち、彼女に倣って街並みを眺めてみた。
行きかう人々、けたたましい叫び声を上げる車。いつもと変わらない街の風景がそこにある。
「……良いもんだな、こういう景色も」
「そうでしょうか」
「アンタは見慣れてるから、そう感じるだけだろ」
自分からすれば、十分すぎるほどいい景色だ。
そんな事を言ってのけた蓮の横顔を見つめてみる。言葉の割には笑顔を浮かべるわけでも、穏やかな表情をしている訳でも無い、会った時と変わらぬ無表情。だが、彩乃にはどこか――――――。
「ただ俺には、少し眩しすぎて生きづらそうだな」
それは独り言なのか、それとも彩乃に向けた言葉なのか。
「………見てるだけで腹いっぱいだよ、ああいうのは」
答えは、蓮にしか分からない。