DADA
日も沈みかけ、相談者も落ち着きを見せて来ていた。今しがた対応を終えた職員は、聞こえない様に息をつき、時計に目を向ける。
時刻は、現在午後三時。受付終了まで後一時間。ようやく終わりも見え、心の中で安堵する。
「お疲れ様、城ケ崎さん」
「あ、課長! お疲れ様です!」
名を呼ばれ振り返れば、涼子がいつもの柔和な笑みをたたえていた。怒らせれば怖いが、これだけ温和で優しい上司に恵まれた事は此処に務める上で最大の救いかもしれないなと、城ケ崎美和の顔も綻びを見せた。
「いつもいつも、本当にごめんなさい。もう少し対応の幅も広がればいいのだけど……」
「いえいえ! 課長が色々と交渉して下さっている事は知ってますから! 辛い事もあるけど、まだまだ頑張りますよー!」
「……ありがとう。頼もしい部下を持てて、私は幸せ者だわ」
可愛らしい笑顔を浮かべる美和に、涼子も心が温まるのを感じていた。だが、色々とため込ませてしまっている事実が、温まった心に針を刺す。
絶対に、現状を打破しなければならない。それが彼女たちを預かる自分の使命だと、刺さった針を無理やり引き抜いた。
周囲に目を向ければ、他の職員も電話対応や書類整理など必死にやってくれているのを見て、頼もしさと決意が胸の奥から呼び起こされるが、此処で一つ違和感を感じた。
「あら? 篠崎さん、まだ特務課から帰って来ていないの?」
「そう言えば遅いですね。課長からの伝言を渡したのは休憩上がりだったので、もう一時間ほど経ちますけど……特務課の面倒な連中にでも捕まったんですかね?」
噂をすれば何とやら。
エレベーターの奥から、話題に上がっていた職員の声が聞こえて来た。
「ままま待ってください! 私には無理ですよ!」
「施設長からの返答、お前も聞いてただろ」
「で、でも! 私、異能なんて持ってないし何の役にも立ちませんよ!?」
「必要ない。後ろで隠れてるだけで、こっちは大助かりだ」
「篠崎さん、諦めた方が良いですよ。この人は、おそらく梃子でも動きません」
一体何事かと、相談課の全職員が身を乗り出してそちらを見た。
そこには、見知らぬ男性職員に手を引かれる愛花と、その後ろを歩く彩乃の姿。愛花は後ろに下がろうと足を動かし抵抗しているが、男性は知らぬ顔で腕を掴んで引き続けていた。彩乃は呆れた様な、諦めたような、そんな表情を隠さずにいる。
何だあれはと言いたくなるが、思わぬ光景に誰も口を開けずにいた。
「……やっぱり無理です! それに藤野課長だって許しませんよ!」
「だから今こうして聞きに来てんだろ……あぁ、藤野課長」
そこで男性が涼子の姿に気づき、相談課へ足を向ける。涼子も自身が呼ばれた事に気づき、そちらへと歩み寄っていった。
「お疲れ様です、先ほどはどうも。突然のお願いで申し訳ないんですが、篠崎を少し化して頂けませんか?」
「貸す?」
「はい」
「どこへ?」
「……少し外へ、買い物に」
周囲を見渡し、他の課の職員を確認した上でそう発言した男性職員、真島蓮。それですべてを察した涼子は、怪訝な表情を浮かべる。
彼の言いたい事は分かる。やろうとしている事も検討はつく。その上で、この男は何を言い出すのだ、と言う感想が溢れ出て止まらなかった。
後ろの彩乃に目をやれば、表情そのままに、力なく首を横に振るだけだった。
「……施設長には?」
「お伝えしています。藤野課長の許可があるならば、認可するとの事です」
つまり、自分は一存という事か。
涼子は愛花に目を移してみる。そこにいるのは、ぷるぷると震え、助けを求めるように自分を見つめる大事な部下の姿。
涼子も、このサポートセンターが発足した時から職員として関わっている身だ。特務課がどういった状況で、何故彼がこんな事を言い出したのかは想像できる。
しばし脳を動かした後で、涼子はゆっくりと蓮へ近づき――――――彼の耳元へ、自分の唇を近づけた。
「彼女は私にとって大切な部下です。もし掠り傷一つでも負わせてみなさい……私がその脳を撃ち抜くわよ。例え、アナタが誰であろうと」
いつもの柔和な彼女は身を潜め、低くどす黒い声が蓮の身体を駆け巡っていく。聞く者によっては、声だけで委縮し、酷い場合は気を失ってしまうのでは無いかとすら思うほどに、今の涼子は恐怖を纏っていた。
だが、その標的となった蓮はひるむことなく、ゆっくりと首を動かし、視線を彼女とがっちり合わせて見せた。
「……その時は、どうぞお好きに。逃亡も抵抗も一切しませんので」
しばし、無言の駆け引きが行われる。愛花は不安げにその様子を見つめ、彩乃はただじっと、終わりの時を待つ。相談課の職員達も、固唾をのんで見守っていた。
――――――やがて、身を引いたのは涼子だった。その顔には笑顔が戻っている。
「良いでしょう、許可します」
「へ?」
次に涼子の視線は、素ッ頓狂な声を漏らした愛花へと移る。
「篠崎さん?」
「は、はい!」
「……頑張ってね」
「えええぇぇぇぇぇぇぇ!?」
彼女の悲痛な叫びを無視し、涼子は再度視線を戻した。
「真島君、うちの子の事、くれぐれもよろしくね」
「ありがとうございます。ほら、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「藤野課長の許可も得たんだ、もう諦めろ」
足早に去っていく二人――愛花は連行されているだけだが――をしばし見つめた後、彩乃も涼子へ一言礼を述べ、去っていった。
姿が見えなくなったことを確認し、涼子も相談課へと戻っていく。そして、他の相談課職員が何も言わないはずも無く。
「課長、今の人が?」
「えぇ、今日から入った新人さんよ。特務課のね」
「イケメンさんだー!」
「でも何か怖くなかった? 影があるって言うかさ」
「いやいやそんな事より! 愛花ちゃん行かせて良かったんですか?」
「……大丈夫じゃ無いかしら」
多分ね。
そう付け加えた後で自席へ戻る涼子を、ただ茫然と見つめるしかなかった。
職員専用エレベーター。唯一そこからのみ下りる事が許される地下は、公用車専用駐車場となっている。
その中にポツンと取り残されている一台に向けて、三人は歩を進めていた。彩乃が我先にと助手席へ乗り込んでいくのを見て、蓮も運転席へと足を向けた。
「お前は後ろ乗れ」
「ひゃっ!」
半ば詰め込まれる形で、後部座席へと乗り込んだ愛花は、初めて足を踏み入れた車内に釘付けとなってしまった。
乗用車に比べかなり大きなカーナビ、数多く設置された、何に使うのかすら分からないボタン。これから本当に異能者による事件現場へ向かうのだと見せつけられ、不安も重量を増していった。
そんな彼女を尻目に、蓮も運転席へ乗り込むと。
すっ――――――
助手席から、彩乃が何かを自分に渡して来た。彼女を見ても、早く取れと見つめて来るだけだ。彩乃の手にある小さなカードを受けとると、それは運転免許証。顔写真も名前も、確かに自分のもので間違いない。誕生日や住所などは初めて知ったが、それ以上に気になるのは。
「お前、免許証はアパートにあるって言ってなかったか」
「免許不携帯で運転するつもりだったのですか?」
なるほど、どうやら答えはくれないらしい。
しかし察する事は出来る。内容は分からないが、これが彩乃の持つ異能の一部という事だ。だが、今はそれを聞いている場合でも無い。
免許証をサイドポケットへ乱雑に置き、エンジンをかけた。
発車と同時に、彩乃がカーナビを何やら操作し始め、天井中央部を軽く押せば、もう一つ液晶画面が現れた。
そして全ての操作を終えた後で、イヤホンマイクを蓮へ渡す。愛花も一応つけておけ、と言われ耳へはめ込んだ。
「オペレート室、聞こえますか?」
彩乃がイヤホンマイクへ向けて声をかけると、返答はすぐにかえって来た。
『こちらオペレート室、問題ありません』
「第七班、室長の工藤です。これより工藤以下三名、現場へ急行します」
『分かりました。現場状況、対象者情報出します。モニターをご確認ください』
言葉通り、カーナビ部分には対象者の顔写真や経歴、異能の情報等がずらりと羅列する。天井のモニターには、現場へのマップが表示された。
『対象者は鈴木雄一五十八歳。異能は『ベクトル変化』。銃を所持しており、軌道を自在に操り周囲への銃撃を行っています。二十一分前に廃病院へ立てこもり近隣へ向け銃撃を開始。現在は機動隊と非番職員一名が対応しています』
「分かりました。現状での被害は?」
『周辺建造物への被害は見られますが死傷者は無し。しかし事件は現在生中継されており、周囲にはマスコミが押し寄せています。機動隊の方々が止めていますが、流れ弾がそちらへ向かう可能性も否定できません』
「命よりスクープ、か……何処も同じだな」
マイクがオフになっている蓮が、そんな事を呟く。彩乃は無視して続けた。
「複数犯の可能性はどうですか?」
『建物内に他者がいる形跡はなく、手口が感情任せになっている事からも、単独犯の可能性が極めて高いかと』
マップに示された場所へ向かいながら、蓮は黙って会話を聞いていた。その様子は何かを考えているようにも、運転に集中しているだけにも、愛花には見えた。
「情報ありがとうございます。建物内部の構造と中継画面を映せますか?」
『上部モニターを二分割し、内部構造出します。中継画面は下部モニターをご覧ください』
オペレーターの声の直後、言葉通りに画面が切り替わった。蓮は運転しながらも、ちらりとモニターを確認し、しばし時を流した後で眉をひそめる。
その様子を、助手席の彩乃は見逃さなかった。
『現場到着まで、後四分です』
その言葉を受け、彩乃は蓮をじっと見つめた。蓮も彼女を一瞥すると、やがて左手を振る。
何をやっているのかは、後部座席から一部始終を見ていた愛花にもさっぱり分からなかったが。と言うより、彼女は一刻も早く、無事に帰りたいとしか考えていないのだが。
「…………どうしますか?」
やがて、マイクをオフにした彩乃から、そんな言葉が吐き出された。蓮はしばし黙った後、
「―――――このまま行く。この車、オートって出来るか?」
そんな事を言ってのけた。
彩乃は「はぁ…」とため息を漏らし、再度マイクをオンにする。
「オペレート室、こちら工藤、聞こえますか?」
『はい、問題ありません』
「操縦をオートモードへ変更してください」
『え?』
オペレーターは思わず聞き返した。だが、彩乃の返答は変わらない。
「このまま……車内からの解決を図ります。オートモードへ変更してください」
『……は、はい』
少し躊躇いながらも、オペレーターがカタカタと何かをいじっているのが聞こえて来た。
『お待たせしました、オートモードへ変更完了です』
「ありがとうございます。では現場が右手になる様に向かい、機動隊の方にも連絡をお願いします」
『分かりました』
それを待っていた、と言わんばかりに蓮はハンドルから手を離し、胸元へ手を入れる。
そこから取り出されたのは―――――ハンドガンだった。
慣れた手つきで銃弾を入れ、サプレッサーを取り付け始める。
「一応確認しておきますが、本当に良いんですね」
「ああ、問題ない。一発で片を付ける」
「車道から対象者がいるであろう場所まで数十メートルありますし、その銃で届くとは思えませんが」
「普通のハンドガンならな。コイツは俺が優秀な武器職人から指導を受けて作った特注品だ。数百メートルなら問題ない」
「……対象者はベクトル変化による特殊な軌道で銃撃を行っています、正確な場所も特定できていませんよ。どうやって特定するおつもりですか?」
「現場で特定する」
現場で、と蓮は言うが、彼のやり方で言えば現場は通り過ぎるだけだ。例え徐行したとしても数秒にしか満たない。そんな中でどう特定するのか。
しかし――――――彩乃はそれを受け入れる。
「はぁ……分かりました。その言葉、信じていいのですね?」
「大丈夫だ、俺を信じろ」
初対面の相手をどう信じればいいのだろうか。愛花がそんな事を考えていた時だった。
「篠崎」
「え? あ、は、はい!」
急に名を呼ばれ、思わず背筋を伸ばした。
「万が一に備えて、お前は屈んでろ」
「わ、分かりました」
「それと……ちょっと窓あけるぞ。寒いかもしれんが、少しだけ我慢してくれ」
「は、はい……」
『現場到着まで、後三十秒です』
会話の最中、オペレーターの声が響く。前を見れば、既に現場は見えてきており、多数の機動隊の姿と飛び交う銃弾。そして彼らの前には、特務課職員の姿が見えた。
防御型の異能なのだろう。銃弾は機動隊に届く前に、見えない何かに阻まれた様に跳ね返っている。
蓮はその様子をしばし見つめた後、窓を少しだけ開け、目を閉じた。
「あ、あの……」
「しっ。静かに」
「は、はい……」
彩乃に咎められ、愛花は口を両手でふさいだ。屈んでいる彼女から表情は見えないが、並々ならぬ集中力である事だけは見て取れる。
そして、一刻と現場が近づいていく。銃撃音も、徐々に大きくなっていった。
百メートル……
五十メートル……
二十メートル……
そこで蓮は目を開き、窓から銃を覗かせ―――――――発砲した。
車は止まらず走り続ける。
しかし―――――――――数秒の後、銃撃が、止まった。
現場の真横を通り過ぎれば、機動隊員たちが何が起こったのかと混乱しているのが分かる。
蓮はそれに目もくれず、銃から吹き上がる硝煙を吹き消し、何事も無かったかのようにサプレッサーを外し、再度胸元へ戻した。
しばしの静寂。
そして。
『……じ、銃撃の鎮静化を確認……現在、機動隊が内部へ進入開始しました……』
オペレーターの声が、やけに大きく聞こえた。
蓮は何も答えず、窓を閉め、ハンドルに手をやる。それを見ていた彩乃は、ゆっくりとマイクを入れ、話し始めた。
「第七班、任務完了。これより帰還します。オートモード、解除して頂いて構いません」
『は、はい! お気をつけて!』
車は再び蓮の指揮による走行をはじめ、帰路につく。
本当に、一瞬の出来事だった。後ろで屈んでいた愛花には、何が起きたのかさっぱりだ。
ただ一つ分かる事。それは、今目の前に座る真島蓮と言う男が何かしたのだと言う事だけだった。
「篠崎」
「っ、はい!」
「もう、身体起こしても大丈夫だぞ」
「あ、はい……」
言われて、愛花は再び後部座席に座り直す。事を終えた後の車内は、本当に何事も無かったかのようで、ただドライブをしに来ただけなんじゃないのかと錯覚してしまう。
「なぁ、工藤」
「はい」
「……問題だな」
「……はい、山積みです」
二人が何を考えているのか。それもまた、愛花は知る術を持たなかった。
第七班が任務を終えた後、オペレート室は騒然としていた。
何が起きたのか。
何故、あの状況で車内から射撃を成功させられたのか。
そして、そんな嘘のような事をやってのけた真島蓮という新人は、一体何者なのか。
オペレーター達がざわつく中。
「ふ~ん……こんな面白い子入ったんだ~……」
その様子をソファに座って後ろから眺めていた一人の女性が、口角を吊り上げていた。