未知の果てを求めて 旅へ
私は線路を見ていた。ここから私の旅が始まると考えるととても感慨深い。またレールは陽光を反射させギラギラと輝いていた。そして線路は果てしなく続いていた。
尼崎駅には7時40分頃には着いていた。遂にこの日が来たと思うととても興奮してきた。いつも見る駅名標も今日はとても特別なもののように見えた。ここまで駅名標を特別なもののように見たことがないのでまじまじと観察していたら後ろの方からとてつもない異様な存在を体で感じた。ふと後ろを見てやると青と赤の汽車が猛スピードで通過していった。その汽車の名は智頭急行HOT7000系気動車。すなわちスーパーはくとと呼ばれるものだ。かの列車この駅を振り向くこともせずに鳥取へと向かっていった。朝からとんでもないものを見たと唖然としているといつの間にか姫路行き新快速(225系)が堂々と凱旋してきた。そして停車して扉を開いた。すぐさま乗り込み必死になって海側の席を探した。そしてボックスシートが空いていた。ここに座ろうと考え座ると列車はすぐに出発した。
特にすることもなく本を読んだりスマホをいじったり大回りのルールを再確認しているといつの間にか阪急のマルーンを見た。私はまたまた驚いた。もう三之宮に着いたのだ。体感5分ちょいである。この速さは特急もどきやら関西最強の列車という異名も納得できる。ここを過ぎると神戸駅である。ただ東海道線の終着点が神戸であることを忘れていた当時の自分にしてみればどうでもいい話である。そのため特に何も思わず車窓を眺めていたらヴィッセル神戸のシンボルの旗が規則的に並んでいた。「神戸らしいもの」を見て少し得した気分になった。そして神戸駅に着いたとき一つ変なものが見えた。その正体はなんと東海道線と山陽本線の境目を指すものであった。そうぼーっとしていたら日本一の路線は終わり山陽本線の始まりに早変わりした。この事実にきずくと旅が始まったということを改めて知った。こうして東海道線を後にしてさらに西に向かった。そしてまたスマホをいじっていると関西有数の車窓スポットと勝手に思っている須磨~朝霧間にたどり着いた。瀬戸内はとても波が静かでとても明るかった。特に瀬戸内の海を借景した明石海峡大橋の白さは人工物と自然という相反するものが調和し、共存しているというとても不思議なところである。下に山陽電鉄が走るのもまた爽快で良い。うってつけは奥に見える淡路島。日本神話では伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八島の中で一番初めに御創りになられた島であり神話の島である神聖な島でもあるがこれが一面青々としている海を面白くしてくれるのである。その後明石に着いた。電車から見える明石城は白鷺城と呼ばれる姫路城よりも美しかった。天守閣もなく白鷺のごとく建物が美しいわけでもないのだが周りの緑のせいで姫路城以上に綺麗に見えるのだ。そして明石を後にするともう何も話すこともなく姫路にたどり着いた。
さてそろそろ朝食をとらねばと思った。そしてここは姫路駅。こうなったら食べるものはただ一つ。そう駅そばである。そして構内の駅そばの店に行った。券売機に直行した。中の具は甲乙つけ難いが今日は天ぷらにした。なんの天ぷらか分からないからわくわくしてきた。そして駅そばを頼んだ。すすればすするほど和風のだしと中華の麺が一度に楽しめるのはとても良い。天ぷらとともに食べるのも美味しかった。ただ一つ心残りだったのは天ぷらがなんの天ぷらなのか分からなかったということである。これを知りたいので知っている人がいたら教えてほしい。そして駅そばを食べ終わるとホームから白鷺城とも呼ばれる真っ白なお城を見ることができた。私は遥か昔に姫路に住んでいたが基本的に改装中のころに住んでいたので綺麗なお城を見る機会はあまりなっかったはずだが鮮明に改修前の姫路城との思い出を持っている。そんな姫路城は私の人生の一部でもある。そして日本の城は全てあの白色ですべてあの大きさであると思ってい城の基準になっていたのは懐かしい。昔を回顧してたら時間になりそうだったので急いで中間改札に行きチャージをして突破しようとした。そしたらなんとまだまだお金が足りなかった。そのため更にお金をチャージして何とか突破した。(因みに大回り中であることを伝えたら普通に通してくれたみたいである。まあ中に入っていたお金は某度し難い漫画に投入したからヨシ)そしたらトンボのマークで名を得たる姫新線のキハ127系とお目当てに列車である赤い色をした寺前行き播但線の国鉄103系が入線していた。姫新線はたぶん乗る機会もそうそうないから写真に収め播但線も恐らく乗ることもないので写真に収めズカズカ中に入っていった。
席はロングシートのくせして座り心地は悪くない。むしろこれがホントに190円で乗れるのかと疑問に思ったほどである。そんな疑問でそわそわしていたらいつの間のか電車は出発していった。ローカル線のわりに人が思っていた以上に乗っていたことに驚きを隠せなかった。播州一の大都会から少しずつただ着実に離れて行っていることがなんとなく体感できた。そしていつしか少し前まで播州一の大都会、姫路にいたとは到底思えない風景に様変わりした。此処までくるとローカル線の雰囲気が出てとても興奮してきた。さてこうして乗っているとこの列車に興味を持つのは必至であるのだ。ましてやこののちには永遠に使うこともないかもしれない。だったら少しだけ列車を探検(というのも少し言葉としてずれているかもしれないが)してみてもいいかもしれない。そう思い探検をしてみたのだ。そしたら整理券発行機があった。列車ににあるととても田舎感があって好きである。もちろんわかっていると思うが私はICOCAを使っているためこいつから整理券を貰っていないのである。(ICOCAを持っていなくても姫路から乗っているためどちらにせよいらないが)そして今度は前の車両に行こうとすると車体がかなり動いているのだ。少々驚いて速度を調べられるアプリで調べたら時速90kmを示していた。この豪快な走りはここまで早いからかもしれない。そしたら鶴居駅に停車した。そして向かいの列車の通過待ちを始めた。単線は難儀である。少し暇だから車上の外に出て外の空気を吸い写真を撮り通過を待った。そして姫路へと向かう列車(こいつも国鉄103系)が到着するとそろそろこちらの列車も出発しそうだったため急いで乗り込み寺前駅へと出発したこの地から強い走りへの別れを感じながら終点の寺前駅に到着した。
真っ赤な彼の列車との別れを惜しみ寺前駅に降り立った。そして次の和田山行きの列車もすぐ来るだろう。そう思っていた。しかしそれは誤算であった。それはなぜか。和田山行きの列車が出発するまであと1時間またないといけないということである。本を読もうと椅子を見つけるが陽光が照り付けて読もうとする気力すらも奪っていった。ならば次は鉄道撮影だと考え今停車してある列車を片っ端からとっていった。基本国鉄103系しかないが一つ異彩を放つ列車があった。それは黒と金色で塗装された如何にも強者感のある列車だった。こいつは何かと思いすぐにスマホで撮ったこの列車の写真にGoogleレンズを使い調べた。(ものすごく便利になったものだ。こんなにも速く疑問を解決できる道具があるなんて素晴らしいにもほどがある。技術の進歩の賜物である。)そしたら観光列車「うみやまむすぶ」という見た目に比べて見劣りする名前がヒットした。こんなド直球で安直な名前はそうそうないだろう。こうして自らの鉄道の見聞を広めるのもまた面白い。しかし一向にほかの列車が来ないこうなると暇になってくるのだ。こうなった時最後の手段である。それは路線図を見ることである。そうしてまじまじ見ているといつの間にか見たことのない虫がいた。虫嫌いというわけでもないが少し驚いた。そしてまじまじ見ているとこの虫は何なのかと思った。緑色の体に透明の羽。触角は少し長く全長は1~3cm程と小さくとても可愛い。これを調べていくと「クサカゲロウ」だと言われた。写真も見たがこれであっている。一寸あるかも分からない身に透明の羽を身に纏う姿はとても美しいものでもあった。
そうしているうちにやっと和田山行きキハ40系が来た。一両編成で田舎の風物詩のような列車である。彼の列車のご尊顔を撮影しこいつに乗ったが発車まであと20分である。その間は涼しくほぼバスの中のような形相の列車内で本を読んで涼んでいた。そして左手にいた国鉄103系は出発していて別の国鉄103系が到着した。その中に若者グループが(かという私も若者だが)ズカズカと乗り込んできた。そして私の前のボックスシートに座っていった。その後に列車はゆっくりと寺前駅を後にした。発車したらすぐに山に入っていく。川を下に見て走る我が汽車はディーゼルの臭いをまき散らし進んでいく。途中何箇所かで川をまたぐところがあるのだがその時は特に絶景と言えるだろう。その川がとても見やすくなっているからだろう。そして爽快になっていた中、若者のグループが記念撮影を撮っていたのだ。こんなことをしてしまうぐらいにキハ40系が魅力的であるということかもしれない。その後生野駅に着いた。生野は戦国時代から銀山として有名で時の権力者は石見銀山、佐渡金山とともに重要視していたという。しかし銀山のある場所じゃないので銀山の跡はないのである。いうなれば普通の田舎町である。ここを背に向けて未だ我が汽車は止まることを知らない。そしてその後も駅に停車して乗客が乗り降りするようになっていた。そして今度は竹田駅についた。竹田城はとても有名であろう。あの様は天空の城とすら言われるくらい絶景らしい。そこへ行く登山道もあり面白そうである。また城下町の風も車窓からだが感じることができてとても良かった。そして次は和田山である。町に田んぼなどありとても爽快であった。そしていつしか和田山についていた。播但線の終点に着いたのだ。降りてご尊顔をもう一度拝みに行ったら隣にもう一編成いてWキハ40系がとれて何か満足したのである。
そしてとうとうたった一人で但馬に降り立ったのだ。一人旅はかれこれ3年程しているが北に行こうとは思わなかったのである。そして但馬の空気を満遍なく吸い込み吐き出した。私が但馬にいることを自分自身に自覚させようとしていたのだった。記念写真を撮っていた若者グループがキャリーバックに乗って騒いでいるのを見て「二ホンヨウキャ」は実在したのだなぁと思いつつ次の列車は何かと思い時刻表を覗いた。すると恐ろしいことにおよそ45分後に発車するこうのとりであった。普通に乗るには一時間待たなければならない。ここで馬鹿は考えた。「一時間も待ってられへん。いっそのことこうのとりに乗っちまえ。」と。普通に考えたら一時間後に普通列車が来るのだからそれに乗ればいいものを何故特急課金したのだろうか?それは恐らく元々「こうのとりに乗りたいなぁ」と思っていたからであろう。とりあえずこの旨を駅員に話し困惑さえれながらみどりの券売機にて宝塚までのこうのとり券を購入しようと思った矢先「1950円」というかなり高い値段が出てきた。一瞬やめようなどて揺蕩うもののそれでも買ってしまったのである。後悔と特急に乗れるという気持ちがコンクリートのように混じり何とも言えない気持ちに陥っていた。そしてホームに降りて周りを見渡すと何やらレンガ造りの建物の跡があった。恐らく蒸気機関車の走っていた時の車庫だろうと思い調べたらその予想は当たっていた。これを見てまた蒸気機関車の時代を思い浮かべ時代の流れを感じた。進歩とともに廃れるものがあるということを知った。そして遺構から目を離すと今度は向かいのホームから列車が来た。特急はまかぜである。車両はキハ189系というらしい。そんな話はさておき堂々と停車するこの列車にはかっこいいと言わざるを得ない。此処からさらに北へ行くのである。ステンレスの色に赤い線。規則的に並ぶ窓。どこをとってもかっこいい。彼は北へ旅を続けるのである。次に来たのは豊岡行きの真緑の113系普通列車が来た。末期色と同じようなものを感じる。ただ国鉄のころから永遠と走り続けるこの姿はレトロだけでなく何事にも耐え忍び今なお走る姿を感じるのであろう。とてもかっこよく感じる。昭和の風を出しながら113系は走り去っていった。その後はレンガの遺構を見ながらぼーっと列車が来るのを待っていた。
そしたらようやく列車が来た。289系のこうのとりである。のっぺり顔の287系じゃなくてよかったと思いながら乗り込み。自分の席を探した。そして席に座り少しリクライニングをしたら後ろのお客さんが驚かれて私は「すみません」とだけ言って席を倒した。リクライニングをするときはかなり気をつけて倒さなければならない。近鉄特急ひのとりみたいにバックシェルがある席の方がまれだから。そして和田山とおさらばする。動き出した我が列車は和田山を出て和田山の街を走り去り山へと行った。さて少し休むとしたいことが出てきた。恒例の車内探索である。それでは恒例の車内探索を始める。まず隣の2号車に行った。すると私の席の色の赤色とは違いたしか灰色だったと思う。(記憶があやふや)そして次は一号車。恐らくグリーン車だ。歩いて一号車と二号車の間に行くと荷物置き場がありドア窓のようなものにその少し後ろに棒がおかれただけのものである。窓から田や山を疾走していくのはたまらない。そして一号車に行こうと思ったがやはりグリーン車だと怖くて仕方ないのでビビッてリターンしてきたのである。そんな話はさておき山間部は全面真緑で圧巻ものであり寂れた駅を通過する愉快さはなにものにも変えられない。しかし少し遅いように感じられるのはネックである。それでも速いのかもしれない。何時しか福知山に到着していたのである。進行方向左には特急はしだて、右には特急きのさきが停車していたのである。そういつの間にか287系と289系だらけになっていたのである。しかしそんなのっぺり顔たちも一つ一つ発車していき我がこうのとりも出発したのである。福知山の町並みはこの旅で見てきた街の中でも上位に君臨するほどに栄えていた。そんな大都会を離れて山に入るとうとうとしてきたのである。心地よい揺れ。定期的に来る走行音。これらが一気に眠りにいざなう。私はその睡魔に抗うこともなくなされるがまま眠りについてしまった。ふとして目が覚めたらそこは柏原駅であった。そんな栄えている駅ではないし特筆すべき点もない。この柏原駅を出ると交換のため谷川駅に停車した。またまた「単線区間は難儀だなあ」と思いつつ何故柏原駅に乗客の乗り降りをして谷川ではしないのか?明らかに柏原駅を通過して交換とセットで乗客の乗り降り兼ねた方がいいと思う。しかも加古川線(大回り用路線)との接続なんかをしたらかなりいいのでは?と思っていたら左でこうのとりが通過していたのである。その後我が列車も進み始める。するともう山しかないので夢の世界に誘われた。ふと目が覚めると今度は篠山口駅。225系や223系が沢山いてここから「北へ行くのは何に乗っても快適な旅になりそうだなあ」と一人思っていた。その後列車は篠山口をでて新三田まで止まらないらしい。篠山の田も美しかったがそれが続くとなると萎えるものがある。その絶えず流れてくる田んぼにとうと飽きてしまいまた睡魔に襲われて心地よい旅は続いていく。夢を見ていくら立っただろう。三田駅に到着していた。右を見れば神戸電鉄が止まっていた。妙に懐かしい雰囲気を感じた。嗚呼こんなこともあったなあと。これは3年前の話小6の冬。私は運よく中学受験のできる家に生まれていた。そして滑り止めとしてある中学に受験しに行った際乗ったのだ。そしてある学園の校門に入る少し前に第一志望の学校に受かったということを知り凡そ3尺にも至るほど飛んで勝利の舞を踊ったという思い出を。帰りJR線が事故で止まって三田駅で立ち往生して戦友とともに戦果の言い合いをしたり思い思いの時間を過ごした。そして家に帰ると明智光秀の大河の1話を見過ごしたというクソエピソード付きである。そんな少年の頃の話を思い出した。その後は席を立ち忘れ物がないかチェックして降りる準備をした。そして武庫の源流を一瞬見て武田尾を通り過ぎ宝塚に着いた。
我が列車を見送り次の予定を見ると宝塚旅行と書いてあった。しかし宝塚なんてほぼ何もない。ならいっそのこと塚口まで行って改札を突破してその後梅田まで行き某度し難い漫画などを買って帰った方がいいと思い次の丹波路快速に乗って伊丹まで行き伊丹から普通に乗り換え塚口に行った。時間超過でいちいち説明する手間をかけることなく塚口でゴールインした。(もちろんその後梅田に行きショッピングを楽しんだらしい)
この旅の終焉になるがこの旅で列車はただただ人やものを運ぶのではない。希望、未来様々なものをのせて何年にも渡り走っていることであろう。私のクソみたいな思い出も列車が運んでくれたのだ。私は誰に何を運べるのだろう。これが線路の果てで、未知の果てで学んだことである。