45.悪魔、領主が倒れた隙に進軍して大敗北
第七王子ノアが住むカーター領、領主の館にて。
執務室でノアは仕事をしている。
その様子を、悪魔ナベリウスは部屋のすみで見張っていた。
ナベリウスが、主人であるソロモンから与えられた使命。
それは、敵であるノアの隙をうかがうこと。
敵は強大、しかも並ぶもののない力を持っている。
まともに相手しても一蹴されるのが落ちだ。
現にナベリウスは、前回挑んで敗北している。
寝ているくらいの隙ではダメだ。
もっと大きな隙を……と思っていたそのときだ。
「ふぅ……ふぅ……」
ノアが荒い呼吸を繰り返す。
『ノア様、どーしたんすか?』
白猫のロウリィが領主の顔をのぞき込むようにして言う。
くらり……とノアの体が傾いて、そのまま机に倒れ込んだ。
「ノア様!」
ロウリィは、猫の姿から、人間の姿へと変化する。
すぐさま倒れたノアを抱き上げ、額に手を当てる。
「酷い熱……!」
「大変! すぐにベッドに運ばないとです!」
突如として、金髪のメイドが部屋に現れた。
彼女はリスタ、ただの村人だったのだが、ノアに救われてから、屋敷に仕えるようになった女である。
……どっから出てきたんだ、という突っ込みを、普段のロウリィならば入れていただろう。
「わたしが持ち上げるっす! リスタは医者を呼んでくるっす!」
だが珍しいことに、ロウリィは慌てていた。
青い顔で何度もノアに呼びかける。
……あれだけ馬鹿にしても、やはりあの領主が好きなのであろう事がうかがえた。
あっという間にノアは執務室から寝室へと運び出される。
ナベリウスだけが、取り残された。
『ナベリウスよ』
いずこより主の声が聞こえてきた。
すぐさま影を変形させ、遠くを見れる魔法の鏡を作る。
鏡面に映し出されるのは、黒いぼろ布を頭からかぶった男の姿だ。
『ハッ……! ソロモン様!』
彼はソロモン。
ナベリウスを含んだ、72の悪魔を統べる謎の男だ。
『まさしく、好機だな』
ソロモンは使い魔と意識を共有することができる。
ノアが倒れた姿をバッチリ目で捕らえていたのだ。
『…………』
『どうした、ナベリウスよ?』
『は、す、すみません……!』
……ナベリウスは少し上の空だった。
敵であるはずのノア・カーター。
やつが倒れた現場を見て、この悪魔もまた、少しだけ、ノアを心配したのである。
『まあよい。ともあれ今が最大の好機と見た。よってわしは残りの悪魔を率いて、そちらへ乗り込むとする』
『ぜ、全軍……ですか? それはさすがにやりすぎでは……』
『ばかもん! それくらいせねば! やつは我が軍最強の影使いである、貴様を打ち破ったのだぞ!』
ナベリウスの生み出した影の軍勢を、ノアはいとも容易く消し飛ばしたことがある。
ソロモンが警戒するのも無理からぬことだった。
『これよりわしは進軍の準備に掛かるため、意識のリンクを切る。貴様は引き続きノアを見張り、我々が到着したタイミングで合流するのだ。よいな?』
『…………』
『ナベリウス!』
『あ、はい! か、かしこまりましたっ!』
『使い魔の分際で主を無視するとはどういう了見だ! まったく……使えぬ犬だな……!』
言いたいことだけ一方的に言って、主は通信を切った。
これで、カーター領に悪魔の大軍勢が押し寄せてくるだろう。
「…………」
一人残されたナベリウスは、沈痛な面持ちになる。
早晩、ここは悪魔に飲み込まれる。
ノアは、強い。だがそのノアが不調の今、悪魔に対抗できるものはここには居ない。
……果たして、見過ごして良いだろうか。
『バカな。良いに決まってる。オレ様は……悪魔なんだ。ヤツの敵なのだ……』
……とは言え、白猫ロウリィ、そしてノアとは、顔見知り以上の関係だ。
友達ではない、断じて。
……だが、このまま死ぬのを、黙って見過ごすことができない程度には、気にかけていた。
『……やっぱり、ダメだ。あの猫くらいには……いやでも……』
ナベリウスは心揺さぶられ、しかし結局は……。
ノアのいるであろう、寝室へと向かっていた。
『何をやっているのだ、オレ様は! くそっ!』
急ぎノアの部屋の前までやってくる。
『大変だ! 悪魔の大軍が……』
……と、そこでナベリウスは、【それ】を目撃する。
「がははー! ロウリィ、脚を揉めぇい」
ずさぁーーーーーーーーーー!
ナベリウスは地面にスライディングする。
「んもー! ノア様急に倒れるから、心配したじゃないっすかぁ」
「ばっきゃろう、俺が倒れるわけねーだろ。仮病だよ、け・び・ょ・う!」
……ノア・カーターは、普通に元気だった。
ベッドに寝そべって、従者のロウリィに脚を揉ませている。
ロウリィは人間姿のまま、ため息をつきつつも、主人の言いなりになる。
「でも、お医者さんは重度の過労だって……」
「そう見せるように幻術つかったんだよ! いやぁ、見事だったろ?」
「迫真過ぎてびびったっすよ……ったく、無駄に魔法を使うんすからんもぉ~」
「おまえだって迫真の演技だったぜロウリィ。本気で心配してるみたいだった……って、どうした? 頬をリスみたいに膨らませて」
「うっさいバカ王子! ふんだ!」
ロウリィはベッドから降りると、ずんずんと部屋を出て行く。
「……本気で心配したに、決まってるっしょ。ばかっ」
「え、なんだってー?」
「なんでもねーっすよ! おだいじにバカ王子っ!」
ロウリィは乱暴に扉を閉める。
「なんだあいつ? カリカリして。カルシウム不足か?」
……さて、ナベリウスはここに至り気づく。
ノアは不調ではなかった。
単に、仮病を使っていただけで、絶好調であった。
『ま、まずい……! す、すぐに知らせないと……!』
ナベリウスもまた部屋を出て行く。
距離を置いて主に通信する。
『ソロモン様! ソロモン様聞こえますか!』
だが向こうは準備に取りかかっているらしく、まったく気づく様子はない。
『まずいぞ! このままじゃ……』
……さて一方でノアはというと。
「いやぁ~。仮病ばんざーい。何もしなくて良い。もうずっとこうしてさぼってたいもんねー」
ベッドで横になり、スナック菓子を食べながら、ゴロゴロしていた。
そのときだ。
「む? なんだぁ……妙な気配すんなぁ」
ノアは遠見の魔法を発動させる。
館の外に広がる景色を、部屋の中にいながら見る。
「は? なんだありゃ……?」
カーター領に隣接する、奈落の森に、大量の悪魔が沸いていたのだ。
「チッ……! んだよ……ひとがせーっかく仮病で休んでるときに!」
ノアは苛立っていた。
せっかくの休みを邪魔されたくないと……。
ゆえに……。
バンッ! とノアは窓を開ける。
人差し指を頭上に掲げる。
きゅぃいいいいいん……! と魔力が指先に集中していく。
黒い閃光の球が、彼の頭上に出現する。
「食らえ! Death★ボール!」
ぶんっ! とノアは窓の外に向かって、黒い球体を投げ飛ばす。
それは奈落の森の上空へと飛んでいく。
悪魔達は、突如として出現した謎の球体に戸惑う。
だがその瞬間……。
黒い球体が、何倍、何十倍にも膨れ上がる。
そして……。
チュンッ……!
黒い球体から発せられたのは、黒いエネルギーの矢だ。
凄まじい速さで悪魔の急所を、矢がピンポイントで貫いたのである。
それだけで、悪魔は死亡した。
『ば、バカな!? 悪魔を一撃で!?』
『あ、あれはなんだ……ぐわぁあああああああ!』
黒い球体から発せられる、黒い矢。
それは即死の魔法を超凝縮して作られた、エネルギーの矢だ。
球体から放たれる矢は悪魔を貫き、一瞬で70近くいた悪魔達、そして無数に居たその眷属達が……。
一瞬にして、死亡したのである。
『……はわわ、はわわわわわっ!』
……ナベリウスはその様子を、影の使い魔を通して見ていた。
『あ、悪魔だ……』
それはナベリウス含む、ソロモンの72の悪魔を指すのではない。
ものの数秒で、悪魔とその眷属の大軍を消し飛ばして見せた……。
あの、ノア・カーターという少年を指して言った言葉だ。
『おいナベリウスぅううううううう!』
突如、主であるソロモンから通信が入った。
『貴様ぁあああああああ! 裏切ったなぁああああああああ!?』
『ふぁ……!? う、裏切りぃい!?』
……なぜそうなるんだ、とナベリウスは困惑した。
『そんなことしておりません!』
『ふざけるな! 貴様、ノアは全然元気ではないか! 我らを罠にはめるため、謀ったのだな!』
『なっ……!? どうしてそうなるんですかぁ……!』
……しかし、確かに、ナベリウスとノアが結託して、悪魔をおびき寄せて、倒した風に、ソロモンには見えるのだ。
実際にはノアが仮病をしていただけだったのだが……。
『違います! オレ様は別にあなたを裏切ってなんて……』
『だまれ! もう貴様など不要だ! わしの軍から追放する!』
『そんなぁあああああああ!』
通信が一方的に切られて、愕然とするナベリウス。
頭を抱えて、悪魔は叫ぶ。
『どうしてこうなったぁああああああああああ!?』
……さて。
その一方でノアはというと……。
「「「さすがです、ノア様!」」」
領民達がお見舞いにきていた。
彼女たちは、こう勘違いしていた。
ノアは悪魔が来ることをあらかじめ予見していた。
領民達を傷つけないように、ひとりで悪魔と戦おうとした。
だから、わざと体調が悪いフリをして、こっそりと悪魔を倒しにいったのだと。
……実際には休みたいから仮病していただけで、休みの邪魔をしてきた悪魔達を排除しただけにすぎないのだが……。
領民達のなかではすでに、ノアが領民を守るために、自分を犠牲にした最高の領主というストーリーが完成していた。
ノアは、ナベリウス同様、頭を抱えて叫ぶ。
「どうしてこうなったぁあああああああああああ!」




