ヤンデレって可愛いよね(他人事)
「え……なによ、これッ!?」
襲撃者が驚愕に叫んだ。渾身の一撃は、桜の細腕――どころか、指先一つで軽々と止められていた。桜は、クナイを持たない人差し指と中指で、ナイフの刃を万力のようにガッチリと挟み込んで動かさない。
「んんッ、うごか、な……くううッ!」
焦った襲撃者がナイフを引こうとするが、体重を掛けて引いても、ダメならと言わんばかりに押し込んでも、桜は微動だにしない。
桜は温度のない視線を襲撃者に浴びせながら、淡々と問うた。
「非力じゃな。戦い慣れてもいない。キサマ、何をしに来たのじゃ?」
「何を、って……テンガ・ナカノを殺しに!」
「ふぅん。つまらぬ」
「きゃあっ!?」
桜が軽く腕を振ったかと思うと、襲撃者が吹き飛ばされた。
数メートル宙を舞い、上手いこと野次馬の居ない場所に落ちてごろごろと地面を転がる。まあ、桜が狙って吹き飛ばしたんだけどな。
「これしきの衝撃で得物を手放すとは……まっこと、ぬるい」
「あ、ナイフ……返せッ!」
「返さぬよ。弱いキサマに不得手な武器を渡しても我には何の問題もないが、クソ雑魚とんでも弱者の典雅は傷付けられる可能性があるんじゃ」
「待って? 急にディスるじゃん」
「あやつは女人とあれば途端に無防備に門扉を開き腕を広げて何時でもうぇるかむ! 揺りかごから墓場まですとらいくぞぉんの色魔も裸足で逃げ出すふしだら大魔神じゃからの。油断して背中をザックリ刺される様子が目に浮かぶようじゃ」
「待て待て待て待て待てストップ、風説の流布」
「くっ、やはりテンガ・ナカノは悪……ッ!」
「くっじゃねえんだよ! 明らかに桜の誇張じゃねえか、何素直に受け入れてんだよ!」
立ち上がれないのか、転がったまま悔しげに地面を叩く襲撃者。俺は大きく溜め息を吐いた。
「はあ……とりあえず、エミリア」
「はいなのですぅ」
「拘束」
「かしこまりましたっ」
素直に俺の指示に従い、襲撃者の下に向かうエミリア。念の為か桜も襲撃者に近寄り、後ろ手に手首を掴んで動きを封じている。
「……どうするつもり?」
「エミリアは、なにもしませんですのよ? 全ては典雅様の御意志のままに……そう」
エミリアはにっこりと笑った。
「例えあなたが典雅様を脅かそうだなんてどうしようもなく愚かで畜生にも劣る愚妹な思想の下愚行を冒した惨めで憐れで物の道理も理解出来ない愚劣な存在であろうとも、エミリアはあなたにはなにもしませんのですよ? エミリアの感情よりも、典雅様の御意志が優先なのです」
あ、やべえ。エミリアさんブチ切れっすわ。
「え、エミリアさん……そこら辺で、ね? 穏当に行こうぜ、ね?」
「くっ、やはりテンガ・ナカノは悪……ッ!」
「おめェもなんでだよ! 明らかに今庇っただろぉが!」
「この子達を誑かして洗脳してるんでしょ! この、諸悪の根源がッ!」
「勘違い甚だしいんだが!? 頼むから現実を直視してくれ!」
「いや! 直視したら、怖いのがそこのくノ一とメイドとテンガ・ナカノの三人になる! それならテンガ・ナカノ一人が悪いヤツで残りの二人は洗脳された被害者って思い込んでた方が、怖いのはテンガ・ナカノ一人で済む! だからお前は悪、悪なのよ!!」
「なにそのとんでも理論!?」
イヤイヤと頑是無い子供のように頭を振って拒絶する襲撃者にツッこめば、隣にいたゼロが俺の腕に己の腕をするりと絡ませた。あっ、胸当たってる。
「ね、ね、典雅様ぁ、早くお屋敷に帰って今朝の続き、しよ……?」
「くっ、やはりテンガ・ナカノは悪……ッ!」
「もうええわ!!」
露骨に瞳にハートマークを散らして俺を見上げるゼロと、それを見て歯軋りをした襲撃者に、ドッと疲れが押し寄せて叫ぶ。
とりあえず、ゼロはおやつ抜きの刑に処してやる、と胸の中で固く誓ったのだった。