2人のメイドと古龍祭
店の扉が激しく開かれたのは、完成の知らせの手紙を出した翌日の早朝だった。
走ってきたのだろうかその呼吸は荒く熱い。
「わ、私の弓ができたというのは本当ですか!?」
「ええ。お待ちしてましたリオンさん。完成と言ってもまだ組み上げてません。今お持ちしますのでどうぞおかげになって休まれてください」
内心凄いびっくりしたけど、状況的に考えてりおんさん意外いなかったので表立って驚くようなことは無かった。
まだ寝てるエルビーならどうなってたかな
「こちらですね。私としても初めての試みですのでご確認ください」
「…」
彼女が息を呑む音が聞こえたような気がした。テーブルに並べた彼女は弓の部品を前にしばらく固まっていたものの恐る恐る弓を組み立て始めた。
「見た目は簡素な割にかなり慎重な作業が求められるのですね」
「…えぇ。私も職人では無いのでそれなりのことしか出来ませんが、限の張り具合で全然別の弓にも思えてしまう事もあるので使い慣れた弓を維持するのにはそれなりに慎重さが求められます。けど…」
「けど?」
「しかしこうもパーツのレベルが跳ね上がってしまうと、そもそも全く違う弓になると思うので…些細な問題でしょうね…」
彼女の反応からして龍骨の素材というものはやはり飛び抜けて高価なものなのだろう。
額から流れる汗でそれが容易に伺える。
作業自体は非常に手馴れた様子で進められていき、俺が作った龍骨の滑車パーツも問題なく取り付けられた。
「それは?」
彼女が荷物から取り出した貴重なものが入ってると感じる化粧箱に目が行く。
「これは弦です。本当はもっともっと安いのを使ってたんですが、龍素材となると親魔性に優れたものでないといけないので…つい…弓使いなら誰もが知る有名ブランドの上級クラスの弦…奮発しましたっ」
「そ、そうなのか」
この顔知ってる…散財した時の俺の顔だ…
そんなこともあり、修理前よりだいぶというか…滅茶苦茶パワーアップしすぎたリオンさんの弓が復活を果たした。
「これが私の弓…」
「ここの敷地広いので裏で試射してきても大丈夫ですよ。本番で使えなかったら危ないでしょうし」
「お言葉に編ませさせていただくわ…」
裏手に案内して、適当な枯れた切り株に向けて試して貰う。
「では…撃ちます」
少し離れたところで見守る俺。
リオンさんは静かに弓をつがえるとグッと引き絞った。
するとリオンさんの体の表面がモヤっとした空気の層で覆われ、やがてそれは赤く発光する龍骨のパーツに吸われていく。
リオンさんは少し戸惑ったようだが、直ぐに的に目を戻した。
一瞬の静寂。
パンっ!と弦が空気を切り裂く音。いやそれだけでは無い。
矢が加速した瞬間に龍骨の滑車から限、そして矢へと向かって炎が走った。
赤熱した矢が空気を押しのけながら切り株へと突き刺さったその瞬間。
【ドォン!!!】
切り株が内部から爆ぜるように木片を撒き散らし爆発した。
そしてその衝撃は周囲の鳥をいっせいに飛び立たせ、店の中までも響いた結果、寝ていたエルビーは飛び起き、軒先からグリムさんの呼ぶ声が聞こえた。
「えっ…」
「…」
リオンさんはあまりの威力に度肝を抜かれたのか、それとも別の思いがあるのか放心状態。
「あの…あの…これ…いくらですか…? 私の体で足りますか…?」
震えた声でリオンさんは俺に泣きついたのだった。
「そういう事じゃったか…音しか聞いとらんがそりゃ相当な代物だぞ」
「びっくりしたよォ…ドン!って床揺れたよ?」
根ずいた切り株をぶっ飛ばしたんだから土地全体が揺れてしまったのか…これは少し注意しないとまずいな
「それでその嬢ちゃんは何でまたそんな泣きそうな面しているんだ?」
「それがですね…」
とりあえず飛んできたエルビーと心配して様子を見に来てくれたグリムさんに状況を説明したところだ。
「素材の提供元は明かせないですけど、とりあえず私では値段の付けようが無いもので…かと言って正規値段をつける訳にも行かない状況で」
「…ふむ。随分と人がいいと言うかお人好しというか。まぁお主が少しわかった気がする。だがすまねぇ事を言うが、その嬢ちゃんの言うようにその弓の価値は嬢ちゃん自身の価値を大きく超えるものだ。まともな返済方法じゃ嬢ちゃんには無理だと言わざるおえん」
「そこでお主が金を取る気が無い。しかし嬢ちゃんもタダでそんな大層なもんを渡される訳には行かない。それだったら金以外のものを要求したらどうじゃ? 従属でもなんでもそこは当人でつきつめい。これ以上はなんだ、わしのでしゃばることではないからな。若いお二人さんで決めてくれ」
そう言うとグリムさんは自分の店へ帰って行った。
あぁ見えてこうして様子を見てくれるいい人だ。
「という事でグリムさんのアドバイスでいい事思いついたので、一旦落ち着いて話しましょうか」
「…はい」
俺は改めてリオンさんに対して、大金を要求するつもりは無いこと。もちろんリオンさん自身を危険に晒すつもりも無いことを伝える。
その上で
「中金貨1枚(10万円相当)」
「中金貨1枚って…それでは!」
まだ不服なのか、安すぎて受け入れてくれないというのは不思議な気分だ。
「続きがあります。中金貨1枚と1年間の素材の探索とそれの斡旋。そしてこれの試用をして欲しいのです」
俺は店の奥からまだ見せていないもう1つの品を持ってくる。
それは玉手箱程の木箱で、それをリオンさんの目の前に置く。
「これは…まさか!?」
「そう鏃です。弓使いの皆さんは消耗品である矢。とりわけ鉄製品である鏃の補給で手を焼いていると聞きました」
「ま、待ってください!? 昨日今日の話ですよね? それなのになんでこんなたくさん数が用意されてるんですか!?」
「まだあまり公にして欲しくはありませんが、私達は…私とエルビーのカロエ工房ではこの鏃を一日150個ほどを作る能力があります。しかし実際には熱処理云々でグリムさんに頼んでそこから売るまでに2、3日はかかるでしょうけど。とりあえず作ることができます。そして重要なのが」
「この鏃、1個大銅貨1枚(1000円相当)」
「…安い…安すぎるわ。でも…そうね。間違いなく売れまくると思うわ。むしろこの出来なら大銅貨10枚でも買う人は買うわよ」
「え、そんなにですか?」
「当たり前ですよ。よく見たら全部同じ形、同じ重さ。そして滑らかな地肌。これ程均一な仕事ができる職人はそうそういない。確かに形がシンプルすぎたり、もっとこうしたほうがいいと言う感想も出るけど、それを込みにしても私は買う」
そうか。そういう視点も必要なわけか。
鏃の均一性、即ち弓の再現性なのだ。毎回同じ打ち方をして同じ当たり方をすれば、それは最も望ましい事なんだろう
「つまり私はこの工房で使う素材を見つけてくる事と、この鏃の使い勝手を試せばいいって事でしょうか」
「そうです。凝った形には出来ないですが、リオンさんが使って不満点などをどんどん教えてください。その為にとりあえずこの箱、差し上げます」
この話は筋が通っていると思ってくれたのかリオンさんは素直に受け取ってくれた。
鏃も凝った形にはできるがやはりそこは生産性を重視したい。1個あたりの加工時間的に許される範囲での形状改善を行なっていく。
「くれぐれもまだ内密にお願いします」
「分かりました。極力仲間内にもバレないように気をつけます。それで本当にこれだけで良いのですか?」
「そうですね。強いて言うなら是非うちの常連さんになってください。できることは少ないかもしれないですけど素材持ち込みかつ、うちで出来ることでしたら価格面でサービスできることも多いと思いますので」
「それは願っても無いことです! ええ是非! では早速この弓と鏃のテストしてきてもよろしいですか!?」
「もちろん。お気をつけて」
そう言うと懐から中銀貨を取り出したリオンさんは呼び止めるまもなく店を後にしてしまった。まるでおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいでいるように見えた。
机に残された銀貨を確認する。
「…全く。1枚でいいって言ったのに…」
リオンさんの律儀さに少し笑ってしまったけど、また来て欲しいと思えるお客さんだった。
「お話終わった?」
「ああ、エルビー。しばらく蚊帳の外でごめんな。少し遅れたけど朝食食べに行こうか」
「お腹空いた…」
今までお菓子食べてたじゃん…
飛び出して行ったリオンさんが気にはなるけど、まずは腹を空かせたエルビーと朝食を取りにいつもの店にやってきた。
この店、夜はThe酒場な雰囲気を纏っているが、意外にも日中は食堂のような雰囲気でこうして二人で来ても浮くことは無い。
「いらっしゃい 今日は何にしますか?」
「私は軽めの軽食とコーヒー頂けるかな。この子には肉系のガッツリ系で」
「かしこまりました!」
夜は時に殺伐とした冒険者たちに物怖じしない気概のあるおばさんだが、午前中はその娘さんがフロントを任されているらしい。
歳は…そうだな。
10代後半から20代前半と言ったところなのかな。
「オペレーター! 今日は何するの?」
「そうだなぁ…荷馬車関係の見物をしたいってのと、ついでに職人街を少し歩いてみたいかな」
「つまりお散歩だね」
「要約しすぎて仕事してなさそうな言い方はやめなさい」
全く…と内心笑いそうになりながらも顔を隠すように外に顔を向けた。
いつも通り活気ある場所だ。
元気に遊ぶ子供、カップル、家族連れ、冒険者、カップル、商人の馬車、カップル…
「なんだかいつも以上に賑やかだな」
「それは明日から古龍祭だからですよ。つまり今日が前夜祭です
。皆さん楽しまれてるようですね! あ、ご注文の品お持ちしました!」
「あ、ありがと。古龍祭…お祭りか…通りで。それってどんな祭りなの?」
「その名の通り古より伝わる伝説の龍、古龍を祀るこの国最大の祭典です」
「ほぉ…今でも結構盛り上がってると思うけど、本番は明日ですよね? もっと賑わうんですか?」
「いえ。古龍祭自体が周りの国を巻き込む由緒ある国儀ですし、本来厳粛なものです。代わりに前夜祭というものを設けて国で盛大に祝おうと言うのが前夜祭の始まりです」
つまりどんちゃん騒ぎできるのは前夜祭の今日だけということか。なるほど
「なかでも最大の催しは毎年恒例のレースです!」
「レース…だと」
店番の娘さんは余程レースと言うのが好きなのか口が止まることは無かった。
だがとても興味深い話が聞けた。
要約すると陸海空それぞれのクラスがある。
陸上レースは500kmを走破する順位を競う
海上レースは海を挟んだ港からの往復を競う
空のレースは、これが一番日本のエアレースに近いかもしれない。魔法陣で示された各ポイントを順番に制覇していく物だ。
「ただ…最近は3種とも隣国のファスア王国に上位を独占されていますね。悔しい限りですが」
本当に悔しそうだ。ファスア王国と言うのはそれほど強豪国なのか
「面白いことが聞けて楽しかったよ。それでそのレースと言うのは僕でもみれる?」
「陸上クラスならもうすぐスタートするはずの選手達がこの大通りを駆け抜けていくはずですよ」
「そうなの?」
たしかにさっきとは違って人集りが道の脇に固まっている。この店が少し高い位置に作られてるから全体がよく見える。
「眺めがいいですね」
「私も毎年この窓からスタートだけ見てます」
歓声のレベルが突然上がる。
もう通過するのだろうか
すると
まず視界に入ってきたのは荷馬車だった。
しかしただの荷馬車ではない。行者が使っているような大型なものではなく、とてもスマートにレース専用にあしらえたかのようなスタイリッシュな荷馬車だ。そしてそれを引く馬も見た目が半端ない。まるで競馬場で見るような強靭な脚を持つまさに競走馬だ。
それが観客の歓声の中、あっという間に駆け抜けていく。
それに続けるように様々な選手達が駆け抜けていく。
聞けばあれは先行して街中だけを走り、選手たちが通る合図をしているだけのようだ。
それでもなかなかの迫力
中でも目に付いたのが
「あれは…」
「あれが毎年上位に上がるファスア王国の代表チームですね。最新の魔法工学を駆使して作られたあの龍車に誰も勝てないのです」
「車輪がないな」
「ええ。魔法で浮かせているらしいです。だから高速になっても跳ねたり車輪が壊れるリスクを無くせるらしいです」
ホバークラフトみたいなものか。
実際ファスア王国のカーブ挙動は遠心力で曲がれない車体を、魔法か何かで無理やり曲げていたように見える。曲げるため噴射した風が観客を襲ってたからな。
「車体もそうですけど、選手自体も相当手練のようですね」
次はより一層歓声が強まった。
「アルテグラのチームです!」
どうやらこの国のチームがファスア王国を追う形で大通りに入ってきた。
チームアルテグラの龍車には車らしい4つの車輪が着いていた。
そこはかとなく馬車の雰囲気を残す見た目では、たしかに先程のファスア王国にインパクトで負けている。
街中のタイル路面ではカーブのとこに跳ねてグリップが取れないのか、大きく膨らんだり減速したり苦労しているように見えた。
レースにおいてタイヤという選択肢を取るのは決して間違ってる訳では無いと思うけど、今の貧弱な足回りではファスア王国の浮遊方式には追いつけない。
そんな感じだろうか
おもしろいな
続々と後続の選手たちが過ぎ去ってゆく。ほんとに色々な見た目をしていて、まさに速ければなんでもいい
そんなハチャメチャな様相を呈した。
「子供も同じ枠なのか?」
「ええ、まぁ限度はありますが年齢に特に縛りはありませんから」
そう言ったのも大人たちの先頭集団に噛み付くように少し遅れてやってきた少し小ぶりな龍車に乗る子供の選手だ。
応援だろうか、人だかりの中を子供たちがその龍車を追うようについて行ってる。
あぁ言うのいいなぁ…
しかし現実は甘くはなく子供たりとてそこは大人の勝負の世界。
みるみるうちにと言うか、走りの次元が違いすぎてみるみるうちに距離が離れていく。
(マリッサとジータのとこは今年もダメそうだなぁ)
(しょうがねぇさ、ガキって以前に資金力も技術力も話にならねぇんだ。レースで走って最下位じゃないだけすげぇってもんよ)
(可哀想だが…そうなんだよなぁ)
この店で俺と同じように観戦していた男達はあの子供達を知っている様子で、その会話が聞こえてくる。
ここら辺の子供なのだろうか?
でも確かにバックが居ないのに子供だけでレースに参加できることが既にすごいと俺も思う。
「あの子たちも毎年頑張ってるんですけど…こればっかりは仕方ないですねぇ」
店番の娘さんも見るもの終わったという感じで少し残念そうに仕事に戻って行った。
アルテグラの代表が2番手だった事なのか、あの子供たちの事だったのかは分からないが
「レースか…」
「やるの?」
「いや、まさか。でもいい宣伝にはなるよなぁと思いはしたかな」
「いいじゃん! あれにカロエ工房ってでっかいステッカー貼って、1位を独走!」
「気が早いよエルビー」
車のことは少しわかるし、機械部品とレースは切っても切れない関係だ。ということなら少し噛んでみてもいいのでは?
そう流されそうになる俺。
「お姫様がなんて言うかだな…」
事実上の大株主様のような存在のあのお姫様に伝えた結果、どうなるかは想像できなかった。
古龍祭の興奮冷めきらないいつもと少し違う街をエルビーと歩いて俺たちのカロエ工房に戻ると入口前に2人の人影があった。
どことなく見覚えがある後ろ姿に恐る恐る話をかける。
「あの…何か御用でしょうか?…ってあれ?」
「あ! ユリカちゃんなの!」
そこにはそこそこの荷物を携えた2人のメイド。王宮で俺たちの身の回りの事を見てくれた2人姉妹のメイドが待っていた。
エルビーに気づいたユリカちゃんは、それまでの浮かない顔かに笑みがこぼれるも何か思い出した様に直ぐに表情を落ち着かせた。
「テスラ様からの命によりしばらくの間、キリヤ様の元で仕えさせて頂きますユリアとユリカと申します。改めましてよろしくお願い致します」
「よ、よろしくお願い致します!」
「まじ…!?」
お姫様から届いたあの手紙が脳裏によぎる。
でもいくらなんでも早すぎる展開に俺は追いつけず、エルビーは嬉しそうに飛び跳ねた。