番外編:アナスタシアの憂鬱(前編)
アナスタシアは、途方に暮れていた。
親友のクィンと共に才女に選ばれ、ジャンヌ・マリアージュで運命の相手を授かったのに、仕事を理由になかなか会う約束も取り付けられない。
彼にどうやって近づけば良いのか、分からなくなっていたのだ。
相手の名前は、エリオット・ベルタ。
ベルタ伯爵家の三男だった。
アナスタシアとエリオットは、社交界で何度か顔を合わせた程度の間柄。きちんと会話をしたことはなかった。
だから彼の名前が呼ばれた時、アナスタシアは可も不可もない感想を持った。
知らない人ではないけれど、いまいちパッとしない印象。
そもそも彼は三男ということもあり、ベルタ伯爵家の中では目立たない存在だ。
社交界で前に出て会話をするのはベルタ伯爵や後継の長男。その後ろに控える次男と三男は軽く一緒に挨拶をするだけ。なので、取り立てて印象がないというのも不思議ではない。
それでも伯爵家の子息とあって、同じく伯爵家の令嬢であるアナスタシアには相応な相手だった。
三男ならばいっそうちの婿養子になってもらうか!、とアナスタシアの父―――グラハム伯爵が言ってしまうくらい、両親はアナスタシアと彼の婚姻に乗り気な様子。
グラハム伯爵は娘のアナスタシアを目の中に入れても痛くないくらい溺愛しているので、嫁に出さなくてすむ可能性が出たことが心底嬉しいらしい。
……だが、エリオット本人はこの結果に微妙な反応を示している。
ジャンヌ・マリアージュ直後、王宮に勤めている彼に会いに行ったアナスタシア。
この日のために目いっぱい着飾っていたのに、エリオットからの誉め言葉はなく。それどころかアナスタシアからジャンヌ・マリアージュで名前が挙がった事を聞いた瞬間、目には戸惑いの色が浮かび。
そこからは会話も弾まず、エリオットから仕事があるので、と言われてその場は早々に切り上げられてしまった。
その後アナスタシアから何度か“改めて話がしたい”と手紙を送っているのだが、エリオットからの返事は“今は忙しい”の一点張り。
それももう一ヶ月以上が経過した。
ここまでくるとさすがに、エリオットに避けられていると考えざるを得ない。
最初の頃は本当に忙しいのかもと思わなくもなかったが、一ヶ月以上、ほんの少しも会うことが叶わず、手紙の返事も毎回同じ。
アナスタシアは今日また届いた一言のみの返事を読み、自室でへこんでいた。
そして、やりきれない気持ちをメイドに話していた。
「そりゃあね。私だってまだ彼が好きとかそういう感情はないけど、それでも、ジャンヌ・マリアージュで選ばれた相手なら少しくらいは話してみたいと思うじゃない? なんでこんなに会ってくれないの?」
「まったくです! アナスタシア様ほど可愛らしい方との婚約なんて、滅多に巡ってこない機会ですのに。エリオット・ベルタ様は大馬鹿者かもしれませんね」
銀髪のウェービーヘアに、ルビーのような赤い目をしているアナスタシア。
今年十六歳になる彼女は、まるで人形のように可愛らしいと貴族たちの間でも評判の娘。
そんなアナスタシアとの婚約が降ってきたはずなのに、エリオットの態度はどうにも納得が出来ない。というのがメイドの主張だ。
「知らない内に彼に何か失礼なことしたのかな? 挨拶した記憶しかないんだけど……」
「そんなまさか。アナスタシア様は礼儀作法をしっかりと習得されてますもの。見知らぬ殿方の前で失礼を犯すなんて想像できません」
だとすればどうしてなのだろう。
アナスタシアは天井を仰ぎ見て考えるが、考えは袋小路に入っている。
会えなくて悩んでいるのに、その悩みは会って話をしないことには解決しない。
どうすれば会えるのだろうか。
うーん、とアナスタシアはギューッと顔をしぼませて唸りを上げる。
そこに突然、扉がノックされ、一人のメイドが入室してきた。
「失礼いたします」
それは、アナスタシアがクィンの元へ使いに出していたメイドだった。
「お帰りなさい。クィンに渡してくれた?」
「あ、いえそれが……」
エリオットのことをクィンに相談したくて、クィンに宛てた手紙をこのメイドに届けさせたのだ。
しかし彼女は、アナスタシアからの問いかけに何やら芳しくない表情をしてみせた。
「クィン様ですが、お怪我をなされたようでございます。ファスタール邸のメイドに聞いてみたところ、二日ほど前に階段から落ちて頭を打ったとのことで、今も意識が戻っていないそうです」
「え!?」
クィンが怪我を!?、とアナスタシアは驚き立ち上がる。慌てて部屋を飛び出し、馬車でファスタール邸に向かった。
ファスタール邸に到着して執事に取り次ぎを頼んだところ、丁度目を覚ましたというクィンと話が出来た。
彼女の怪我に思うところはあったものの、とりあえずクィンの笑顔を見られたことにアナスタシアは安堵した。
そして話の流れで、アナスタシアは王宮の地下牢にいるというクィンの運命の相手に会いに行くことになったのだった。
この行動の裏には、合間を見てエリオットに会いに行けないかな、というアナスタシアの思惑があった。
クィンの運命の相手に会ってみたいという気持ちにも嘘はないが、自分の運命の相手に会いたいという気持ちも強くあるのだ。怪我を負っているクィンには悪いが、エリオットとのことで袋小路に入っているアナスタシアには、願ってもない機会だった。
それから数日後、その日は訪れた。
クィンの運命の相手であるレナルドに会った後、アナスタシアはエリオットの働く王太子宮へと向かった。
アナスタシアを邸宅まで送り届ける命令を受けたクィン付きのメイドが一緒にいたのだが、彼女に対して、グラハム邸に行って別の馬車が迎えに来るよう伝えて欲しいと強引に言いくるめることで、少しの間だけ自由時間を手に入れたのだ。
エリオットは現在、王太子直属の文官として働いていているはず。アナスタシアは王太子宮の門前に立つ兵士に話し掛ける。
「すみません。こちらにエリオット・ベルタ様がいると思うのですが、お取り次ぎいただけないでしょうか?」
アナスタシアの愛らしい笑顔を向けられた兵士は顔を赤らめながら敬礼をして、エリオットを呼びに行った。
突然の訪問で失礼になるとは思うが、一向に会ってくれないエリオットにも非があるのだ。もしエリオットに失礼を咎められたらそう反論すればいい、とか考えながらアナスタシアはエリオットが出てくるのをじっと待った。
しかし、向こう側から戻ってきたのはエリオットを呼びに行ったはずの兵士一人。
アナスタシアの目の前まで戻った兵士はこう告げた。
「恐れ入りますが、ベルタ殿は現在庭園に行かれているとのことです」
「庭園ですか?」
「はい。よく気晴らしに行っておられるようです」
「ありがとうございます。では私も行ってみようと思います」
取り次ぎをしてくれた兵士にお礼を言い、アナスタシアは庭園に足を向けた。
庭園は王太子宮からは目と鼻の先の距離にあり、数分歩けばすぐに庭園が見えてきた。
そこは王宮の庭園なだけあってしっかりと手入れが行き届き、見た瞬間口から出たのは“綺麗”の一言。
初めてここを訪れたアナスタシアは、あまりの美しさに目を見張った。
自然と人工が絶妙に混ざり合ったそこは、さあっと吹く風のそよぎさえも計算し尽くしているかのような、圧倒的バランスを保って存在している。
数多ある貴族の邸宅を見てきたアナスタシアでも、こんなにも洗練された庭園は見たことがない。
(さすが王宮だわ……非の打ち所がない仕上がり)
庭園の美しさに見惚れていると、その中に佇むスラリとした体型の殿方を見つけた。
文官の制服に、薄らと紫がかった髪の毛を後ろで一つに結ぶ姿は、間違いなく彼だ。
「あ、エリオッ」
「エリオット様!」
アナスタシアが声をかけようとしたところ、彼女の声の上から、彼の名前を呼ぶ別の声が重ねられた。
見れば、エリオットを中心としてアナスタシアの立つ場所とは反対側の位置から、メイド服の女性が手を振りながらエリオットに走り寄ってきている。
アナスタシアは思わず、近くにあった柱の陰に隠れた。隠れたのは本当に反射的に。ただ、彼らが二人でいるところに鉢合わせては行けない気がしたからだ。
こっそりと柱の影から顔を出して二人を覗き見れば、彼らは楽しそうに歓談を始めている。
話の内容までは聞こえないが、ところどころで漏れ出る笑い声は聞こえる。
エリオットも終始笑顔で、話の途中で顔を赤く染める場面なんかもあるし。
(あ、この二人……)
これが女の勘か、とアナスタシアは思った。
エリオットとメイド服の彼女はきっと、慕い合っている仲。
そしてその考えは、アナスタシアが抱えていた悩みの答えにも結びつく。
(つまりは、もう心に決めた人がいたから、会ってくれなかったのね……)
日の当たらない柱の陰にいるアナスタシアの表情が、より一層暗くなる。
「……言ってくれれば、無理に会おうとしなかったのに」
会話に夢中のエリオットとメイド服の彼女を横目に見ながら、アナスタシアは重い足取りで庭園を後にし、グラハム邸から来た迎えの馬車に乗って帰っていった。
3部構成の番外編です。
今日から3日連続で更新します(^^)




