28. 二人の結婚を許していただけますか?
「このファスタールは、元囚人からの施しなんて受けない」
ファスタール伯爵が、断る理由をクィンに言う。
この期に及んで、伯爵はレナルド自体が気に食わないらしい。
彼が冤罪で、陛下の後ろ盾……もとい協力もあると言ってるのになぜそれが分からないのか。
元囚人からの“施し”?
“結納金”がどうなったら“施し”になる?
目の前にいる父親は、これまでクィンにとって絶対的存在だった。
お父様が言うことなら間違いない。
お父様が怒るのは自分が悪いことをしたからだ。
その考えを信じて疑わず、これまでずっと、ファスタールの家を守る父親の背中を見てきた。
自分もお父様のように家を守りたい。
そのためならば、自分の結婚も利用されて構わない。
そう思っていた。
けれど今、目の前にいる父親は、地下牢から出て来て立派な姿となったレナルドを認めず、貶し続け、聞く耳を持たない。あれが一体誰なのかとクィンは自分に問う。
……あれが、自分の信じていた父親なのか?
この時クィンは、まるで目が覚めたような感覚に陥った。
それと同時に、何かが頭の中でプツンと切れる。
「…………いつまで公爵様の前で無様な姿を晒すおつもりですか?」
その瞬間、レナルドは察知した。
(あ、キレたな……)
以前キレられたことのあるレナルドは、あの時のクィンの迫力を思い出し、伯爵を可哀想な目で見る。
レナルドがそんな目をしていることにも気づかず、クィンは発言を続けた。
「彼の後ろには陛下がいるのです。陛下が支持する方を、なぜ一介の伯爵が無下に出来ると? 身分も弁えない言動……娘であることが恥ずかしいです」
黒い空気を纏ったクィン。
声も一段と低く、圧が感じられる。
「それに、なぜ結婚相手にニルマー侯爵を選んだのです? あの方が陰でなんて呼ばれているかご存知ないのでしょうか。そもそもお父様は、私の幸せを考えてくれたことがありますか?」
クィンからの質問が矢継ぎ早にファスタール伯爵へと飛んでいく。しかし伯爵は、初めて自分に歯向かう娘を前にして反応に困っているようだ。
「な! 父親に向かって何を、」
「質問に答えてください!」
混乱しながらも娘の発言を咎めようとした伯爵を、クィンが押し込める。
「……答えてください。お父様の中に、ファスタール家ではなく、私の幸せを考える時間が少しでもありましたか?」
「……」
「たとえば、ニルマー侯爵からの資金援助でファスタール家が繁栄できたとして、侯爵と結婚した先、私に幸せが待っていると思いましたか?」
無言の伯爵に対し、答えやすいように質問を言い直した。
「先ほど私は、ニルマー侯爵と結婚させるなら勘当してほしいとも言いました。私にはニルマー侯爵と結婚した先に幸せな未来が見えなかったからです。お父様には見えたのでしょうか。私には見えなかった侯爵と私の幸せな未来が、見えたのでしょうか?」
「……」
クィンは理性を失わないように努めているが、それでも、言いながら彼女の目には涙が浮かぶ。
父親を追い詰めるその言葉は、同時にクィンの心にも突き刺さっていた。
今彼女は、自分がどれだけ父親にぞんざいに扱われていたかをわざわざ言葉にしている。
その上、伯爵が否定しないということはつまり、彼女の幸せを考えたことがなかったということ。
(自分から聞いといてなんだけど、思ったより辛いわねこれ……)
「わ……わたしは、」
「もう良いクィン」
レナルドはクィンの震える肩を抱き寄せた。
彼女が言い淀み、泣きそうになっている姿をこれ以上見ていられなかったのだ。
「お前は俺が、幸せにする。だから泣くな」
抱き寄せたクィンの耳元で、レナルドはそっと囁いた。
この場面でその優しさは卑怯だ。
堪えていた涙が、クィンの目から零れ落ちる。
さっきまで悲しみや悔しさで溜まっていた涙が、一瞬にして嬉し涙となって頬を伝った。
「ファスタール伯爵。確かに、たとえ冤罪とは言え、私が元囚人であることは変えようのない事実です。相手が元囚人では気に食わないでしょうが、私は、彼女のためにこの身を尽くすことを誓います。また、結納金は弾ませていただきますので、ファスタール家にとっても悪い話ではないはずです。なので、」
クィンを抱き寄せているレナルドの手に、ぐっと力が入る。
「クィン嬢と私の結婚を許可していただけないでしょうか?」
ここで正式に、レナルドはファスタール伯爵に対して結婚の許しが欲しいと明言した。
突然現れた元囚人に睨みつけられ、娘には父親失格のような言葉をかけられ、これでは伯爵の立つ瀬がない。
今まで高位から人を見下してきた伯爵は、このように追い詰められ、不利な立場を経験したことがなかっただろう。初めて経験するこの状況に、伯爵は必死で思い返す。
(私は、どこかで間違ったのだろうか……。自分が父からされた通りに、私もクィンに接してきたつもりだ。これがファスタール家のやり方で、このやり方だからこそ、人に見下されない人間になれる。爵位では真ん中に位置する伯爵家だけれど、貴族の中でも一目置かれる存在になれるのは、ファスタール家の教育が受け継がれているからだ。……ジャンヌ・マリアージュで囚人が相手となったクィンの貰い手はいなかった。他の才女達が上位貴族の令息と婚約している中で、ニルマー侯爵との結婚であればクィンは即座に侯爵夫人になれる。ジャンヌ・マリアージュの結果などなかったことにできるほど、クィンにとっては良い縁組だと思ったのに……)
いくら思い返しても、伯爵にとっては何も間違っていないようだった。
彼にとっては全てが正しくて、ニルマー侯爵との結婚もクィンには良いものだと思ったから話を進めたのだ。
伯爵もまた、ファスタール家という普通とは違った教育方法で育ってきた人間だからこそ、それが正しいものと信じて疑わなかった。ある意味伯爵も、ファスタール家に囚われた被害者と言えるのかもしれない。
ただそれでも、自分の考えが間違えていないと思えても、今どんな言葉が求められているのかが伯爵にも分かっていた。
彼は重い口をゆっくりと開き、クィンに尋ねる。
「……その男と結婚すれば、後ろ指を指されるかもしれないぞ?」
「お父様! まだそのような、」
「それでも……その男と結婚したいのか?」
咄嗟に反抗しようとしたクィンにさらに伯爵が言葉を重ね、その言葉にクィンはハッとした。
それはファスタール伯爵が初めて、クィンの意思を聞いた瞬間だった。
多少うろたえつつも、クィンはしっかりと意思を述べる。
「は、はい……! 私は、ここにいる公爵様と……、レナルドと結婚したいです」
ファスタール伯爵はその答えに、そうか、と小さく呟き、ため息を漏らした。
そして一言を絞り出す。
「勝手にするがいい」
伯爵はそれだけ言って、すたすたと部屋の外へと歩き始めた。
その言動に拍子抜けしたクィンが慌てて、言葉の真意を確かめる。
「お父様……!? それってつまり……?」
「言葉通りに受け取りなさい。……ああ、公爵殿は後日改めて、結納金の額について話し合いに来てくれるかな」
「! かしこまりました」
クィンにはつれなく言い返したものの、伯爵のその後の言葉は決定的だった。
レナルドを“公爵殿”と呼び、“結納金の額を話し合いたい”とはつまり、伯爵はクィンとレナルドの結婚を認めてくれるということに相違ない。
「ありがとうございます、お父様」
クィンとレナルドがその意味を理解して笑みをこぼしたのを背中越しに確認し、伯爵もまた密かに顔を綻ばせながら部屋を後にした。
ようやくラスボス(父親)クリア…!
次回最終回です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




