27. 白紙に戻せない理由があるようです
レナルドの決心を聞いて、ならば、と陛下は公爵への叙爵式および騎士団長への叙任式を五日後にすると言い出した。
勿論レナルドの状況を考えて簡素に行う前提なのだろうが、諸々の手続き等考えれば通常一ヶ月以上要する準備を五日でやれと言われ、それを任されるユリウス宰相は遠い目をする。
きっと、この先ろくに眠れない日々を想像したに違いない。
「陛下。そこまで急がれなくても問題ないと思います」
ユリウス宰相の心情を察したレナルドが陛下に提言する。
「ファスタール家に挨拶に行くのに、爵位がなくては格好がつかないだろう?」
「それにニルマー侯爵や……ファスタール家の躾問題もあるからな。私も早いに越したことはないと思うぞ」
陛下とジャンヌ様は揃って五日後に乗り気のようだ。
相応の理由をつけられ、レナルドはちらりとユリウス宰相を見やる。
「大丈夫でしょうか?」
「……善処します」
大丈夫、とは答えないあたり彼らしい。
とは言え恐らく、有能なユリウス宰相であれば五日でやってのけるのだろう。
「お手数おかけします」
レナルドはユリウス宰相に頭を下げ、五日後の日程で調整いただくようお願いした。
―――そして、五日後の今日。
ユリウス宰相の手腕のおかげでレナルドは無事、騎士団長の職と公爵の爵位を授与された。そして、その足でファスタールの邸宅に訪れたのだった。
(本当は先にクィンと話すつもりだったのだが、まさかファスタール伯爵がクィンの部屋で手をあげる場面に遭遇するとは……。でも、クィンの気持ちは聞こえた)
レナルドはファスタール家に雇われているマクミランとキースによってクィンの部屋まで案内された。
マクミランがノックする直前、部屋の中の会話に耳を澄ませればクィンはこう言っていた。
“ジャンヌ・マリアージュでお告げを受けた相手と、結婚したいと思っています”
驚いて、レナルドは思わず綻びそうになる顔を手で隠した。
クィンが自分と同じ気持ちなことも、逆らうことの許されない父親に歯向かってまでその気持ちを持ってくれたことも嬉しく思った。
ただその後、不穏な流れを感じ取り、ノックもせずに部屋に踏み込んでしまったことは多少なりとも悔やまれる。
誰しも、結婚相手の家族には気に入られたいものだろう。
それがたとえ、結婚相手を殴る親だとしても、親は親だ。
最初の挨拶が肝心だと言うのに、初対面から最悪な印象を与えてしまったことは否めない。
(こうなっては仕方がない。もう嫌われてしまっただろうし、強引な手でいくか)
計画変更だ。
レナルドは伯爵を押し切ることにした。さらに嫌われるだろうが、それは追々回復すれば良い。まずはこの場で結婚を認めてもらうことだけを考えた。
「勅命ではありませんのでご安心ください。……ですが、陛下が協力してくれるという縁組に反対なさるようなことはないと信じております」
陛下からの命令ではないと言いつつ、明らかに脅し文句と取れるそれを聞き、ファスタール伯爵は歯を軋ませた。
「だが、ニルマー侯爵との結婚は決まったことで……今さら白紙に戻すわけには、」
「ニルマー侯爵にも同じことを言えばいいと思いますが?」
レナルドはファスタール伯爵の言葉に重ねて、ニルマー侯爵も陛下が関わっていると聞けば手を引いてくれるだろう、と言う。
しかし、ファスタール伯爵は渋い顔をした。
普通に考えれば手を引くはずだ。
陛下がレナルドとクィンの結婚を後押しすることになった時点でそれを受け入れるしかないはずなのに、ファスタール伯爵がこのように食い下がるなんて何かがおかしい。レナルドはそう思った。
「……何か、白紙に戻せない理由でもあるのでしょうか」
落ち着いた声で、レナルドはファスタール伯爵に質問した。
ファスタール伯爵からの答えを待っていたのだが、その答えは後ろにいたクィンから出てくる。
「もしかしてですが……ニルマー侯爵からすでに金銭を受け取っているのですか?」
その言葉に、レナルドは一度クィンの顔を見て、そしてファスタール伯爵の顔を見た。
クィンは訝しげな顔で父親を見て、ファスタール伯爵は気まずそうな顔をしている。
二人の顔を見れば、クィンが伯爵の図星をついたことが分かる。
それでも口を開こうとしないファスタール伯爵は見限り、レナルドは事情が分かりそうなクィンに尋ねた。
「金銭とは、一体どういうことだ」
「……お恥ずかしい話なのですが、ファスタールは伯爵家ではございますがあまり資金が潤沢ではないのです。いくつかビジネスに手を出しておりますが、成功するものもあれば失敗するものもあり、現在はかろうじて生活資金が残っている程度。そこで、ちょうど成人となる私の婚姻と引き換えに、新たな資金を調達したものと思います。……ニルマー侯爵は、言葉は悪いですがいわゆる成金貴族で、資金が有り余っているという噂を聞いたことがあります」
「それはつまり、娘の一生を家の資金の為に売り払ったということか」
“売り払った”というと随分と明け透けであるが、正直、クィンもそれを否定できなかった。彼女は小さく頷く。
「……その上で、恐らくすでに金銭の授受が行われているのだと思います。そしてそのお金がもう手元にない。つまりニルマー侯爵との結婚を白紙にしたとして、侯爵に返金が出来ない状況なのでしょう。誠に申し訳ございません」
レナルドから陛下の名前を出されたのだ。
しかも、レナルド本人は公爵位と騎士団長という肩書きを持ち、結婚相手としては申し分ない身分の相手になった。
クィンが述べた事情でもない限り、ニルマー侯爵との結婚にこだわる理由がない。
クィンは目を伏せながら、家の恥部をレナルドに話す。とてもではないがこんな話、彼の目を見ながらは話せない。
恐縮して話すクィンを見て、レナルドは考える。
(なぜ彼女が謝るのだ。全ては伯爵がしたことで、彼女に落ち度は何もないじゃないか。……やはりこんな家に彼女を置いておけない)
目の前で虐げられている彼女を守りたい。
この状況は、レナルドにそんな気持ちを芽生えさせた。
「ファスタール伯爵。今、クィン嬢が言ったことは本当でしょうか」
「……」
伯爵からの返事はない。
無言は肯定ということだろう。
レナルドは顎に手を当てて考え、それならば、と口にした。
「ニルマー侯爵から頂いた金額をコーネリウス家から出しますので、それで白紙にしていただけますか?」
「いけません!」
いわゆる借金の肩代わりのような真似をレナルドが買って出ると言うが、さすがにクィンはそれを止める。
「公爵となられた貴方様にそのようなことをしていただくわけにはいきません。それに、金額も聞かずにそのような発言は危険です。どうかお控えくださいませ」
「両親が残してくれた遺産があるから金の心配なら不要だ」
「それであれば尚のこと! ご両親が残してくれたものをこのようなことに使うべきではありません」
クィンは頑なにレナルドの提案を固辞する。
(こういうときくらい素直に頼って欲しいんだがな……)
分を弁えていると言えば聞こえは良いが、クィンを助けにきたレナルドからすれば、クィンの優等生ぶりがここでは仇となる。
「お前は俺と結婚したくないのか?」
「はい?」
レナルドは不機嫌そうな空気で、クィンに直球を投げた。
突然飛んできた豪速球に、クィンからは思わず変な声が飛び出した。
「俺はお前と結婚したいし、そのためなら何でもするつもりだ。だから、お金が必要ならいくらでも出す」
さっきまで公爵然としていたレナルドが、クィンに対してだからか地下牢にいた時のような失礼さを出してくる。
しかもさらりと“結婚したい”と言われ、クィンはたじろぎながら何とか返答する。
「で、ですが……やはりご両親の遺産を私のために使うなんて、」
「俺のためだ」
「?」
「俺の結婚のためなんだから、金を使うのは俺のためだ」
自分のために使われるのが嫌なら、俺のためにすれば良い。レナルドはそう考えて口にした。
「どうしても気になるなら“結納金”にしてもいい。普通は婚約後に渡すだろうが、この際順番には目を瞑ってくれ。結納金として、ニルマー侯爵から貰った金に上乗せした額をファスタール伯爵に送るから、それでニルマー侯爵との結婚は白紙に」
「!」
レナルドは巧みにクィンの反対意見を退けようとする。“結納金”としてなら、レナルドからファスタール伯爵にお金を渡しても不自然ではない。多少金額が大きくはなるだろうが、公爵となった彼から貰い受けると考えれば対外的にもきっと問題ないはずだ。
(……確かにその形なら問題なさそうだわ)
クィンも一瞬にして考える。
レナルドのやり方に何か懸念点はないか。だが懸念点は特段見当たらず、それであれば、とクィンは考えを改める。
クィンはこくんと頷いて、レナルドを見つめて言う。
「分かりました。結納金であれば受け取る名分がございます。……お父様、いかがでしょうか?」
そしてファスタール伯爵に視線の先を変え、判断を仰ぐ。当然、許可されるものと思った。
しかし、口を開いたファスタール伯爵から出てきたのは、ダメだ、の三文字だった。




