24. もしも許されるなら
クィンがレナルドの元へ行き、説得を試みた日から五日が経過していた。
この間、誰からもレナルドについての話は聞こえてこず、クィンは引き続きベッドの上で安静にしていた。また、あの日地下牢に残してきたマクミランも、あの後から一度もファスタール家に帰ってきておらず、状況が分からないでいた。
(せめてマクミランからは、何かしら連絡があってもいいものなのに……)
日が経つにつれて、クィンの中で“説得に失敗したのではないか”という考えが強くなっていた。
しかし、今なお無期限軟禁の罰を受けているクィンには、レナルドの現状を確かめに行くことも出来ないため、やきもきする毎日が続いていた。
「お嬢様、あまり思いつめないで下さい」
「そうは言ってもねえ。ジャンヌ様から頼まれたことでもあるし、やっぱり気になるわ」
ここ数日、憂いが溢れて止まらないクィンを見かねて、ナビアが声をかける。
ナビアはあの後、クィンから事の次第を聞き、彼女の沈んだ心を心配していた。だが、いくらナビアが声をかけても、クィンの気持ちは軽くもならず、堂々巡りをしている。
そこへ、扉をノックする音とメイドの声が外から聞こえてきた。
「失礼いたします。旦那様がお越しです」
ファスタール伯爵が部屋の前まで来ていると知り、クィンとナビアは視線を交わらせた。
(何でお父様が部屋まで!? あ、軟禁しているからわざわざ出向いてきた!?)
「はい。今参ります」
呼びつけることはあっても、会いに来ることなど皆無に等しいファスタール伯爵。突然部屋に来ることなど予想出来るはずもない。
寝巻き姿のクィンに、ナビアが慌ててガウンを羽織らせる。父親と言えど、ある程度身なりは整えなければならない。
クィンは自分の手櫛で軽く髪も梳かしながら、ベッドから飛び起きて伯爵を出迎えに扉の前まで向かう。
クィンが扉の前でふぅ、と息を整えたのを確認して、ナビアがゆっくりと扉を開ける。
扉の前には、いつも通り固い表情のファスタール伯爵が立っていた。
「……元気そうだな」
「はい。ご心配をおかけいたしました」
ジロリと見られ、クィンは一礼をして伯爵を部屋の中に招き入れる。
元気そうも何も、そもそも怪我をさせたのはファスタール伯爵自身なのだが……。
ナビアはそう心の中で思ったが、ここでそんなことを口に出せはしない。
挨拶もそこそこに、ファスタール伯爵は一直線にソファに向かい、腰をかけた。
クィンもそれを追うようにして向かい側のソファに座る。
ソファに座るということは、それなりに長い話になるかもしれないということ。それを察し、ナビアは早急にお茶のセットを準備してクィンと伯爵の前に差し出した。
そして伯爵はゆっくりと口を開いた。
「クィン。お前の婚約者が決まった」
その言葉に、クィンの心臓がどくん、と跳ねた。
(それは、あの…………)
「ニルマー侯爵がお前をもらってくれることになった」
父親から聞かされたその名前に、クィンは絶望する。
アナが言っていた通りの相手。
最悪の結婚相手だ。
「彼は離婚歴はあるが子供はいない。若いお前とならばすぐにでも子供を作れると喜んでいたぞ」
その発言は、クィンの背筋を凍らせた。
子供を作るということは、ニルマー侯爵とそういう行為をするということだ。
あのブタ侯爵とだなんて、想像もしたくないだろう。
「ジャンヌ・マリアージュのせいで相手を探すのに難航したが、どうにか見つかって良かった」
いっそ見つからない方が良かったのに、とクィンは思う。
ブタ侯爵と結婚するのと、一生独身でいるのとでは、どちらの方が良いだろうか。
「あの、お父様」
「何だ」
「それは決定事項なのでしょうか……?」
拳を握り締めながら、恐る恐る、クィンはファスタール伯爵に聞いた。
それは遠回しに、ニルマー侯爵への不満を訴えたいという意味にも取れる。
クィンの質問を聞き、ファスタール伯爵の眉毛がピクリと動いた。
「それは、私が選んだ相手が気に食わないということか」
いつもの低い声が微かに怒気が混じり、部屋の空気がピリつく。
「いいえお父様。……この話が、どこまで進んでいるのか気になっただけでございます」
クィンは焦って否定する。
それは体に染み付いた防衛本能。
呼吸をするように、伯爵をこれ以上怒らせないような言葉が出てくる。
でも、本音を言って良いのなら、今クィンの心にあるのは……。
「ただ、もし」
普段ならこんなことは言わない。
「もしも許されるなら」
こんな、ファスタール伯爵を怒らせるようなことは、絶対に言わない。
「ジャンヌ・マリアージュでお告げを受けた相手と、結婚したいと思っています」
クィンは真っ直ぐに伯爵を見つめて、強い語気で言い切った。
これが、クィンの気持ちだ。
(あああ……私ったら何でこんなこと……)
ニルマー侯爵なんてお呼びではない。
クィンの心にいるのはレナルドただ一人。
彼は今も地下牢にいるかもしれないけれど、そんなことは関係ない。
クィンが結婚したいと思うのは、レナルドだけ。
しかし当然、ファスタール伯爵はそれを受け入れはしなかった。
「何を馬鹿な!!!!」
興奮で立ち上がりながら、彼はクィンに怒鳴りをあげた。
その声量に、クィンは肩をすくめる。
自分が発してしまった言葉を聞けば、伯爵に怒られることは当然予想ができたが、それでも実際に大声で怒鳴られれば体が縮こまってしまう。
「アレは囚人だぞ!? そんな奴と結婚できるわけがないだろう!!」
「分かっています。私も最初はそう思っていました。……ですが彼の過去を知り、考えが変わりました」
「過去が何だと言うのだ!! 何にせよ、囚人であることに変わりはない!! それに、ニルマー侯爵との結婚は決定事項だ!! お前なんかの意思は関係ない!!!!」
冷静に話そうとするクィンに対し、頭に血が上ったように声を荒げ続けるファスタール伯爵。
だが、ファスタール伯爵の放った言葉に、クィンは引っかかりを覚える。
(私なんか……?)
「ですがこれは、私の結婚のはずです。……少しくらい、私の意思を聞いてくれても良いのではないでしょうか」
貴族の結婚が家同士の関係性を築くものであることはクィンも百も承知である。だからこそ、ジャンヌ・マリアージュに期待を寄せていたのだ。
ジャンヌ・マリアージュで呼ばれたのがレナルドであったことは想定外で、とてもじゃないが、ファスタール家のビジネスに利用できる家柄の相手ではないことは分かっている。
それでも反発せずにはいられない。
ジャンヌ様、もとい、神様が教えてくれた運命の相手。
そして、今自分の気持ちは明確に、運命の相手であるレナルドに向いている。
運命に抗い、自分の気持ちに蓋をしてまで、残りの人生をブタ侯爵に捧げるなんて耐えられなかった。
「申し訳ありませんお父様。どうしても私をニルマー侯爵と結婚させるおつもりならば…………私を勘当してください」
それは、クィンの切り札だった。
勘当、つまり親子の縁を切ってほしい、なんて言いたくはなかった。
だがそれぐらいしか、クィンがこの父親に敵う術を見つけられなかったのだ。
すると、わなわなと震えていたファスタール伯爵が、大きく腕を振り上げた。
「ふざけるな!!!!」
(あ……!)
振り上げられた腕を見上げ、殴られると悟ったクィン。
即座にギュッと目を閉じ、歯を食いしばった。
……だが、数秒たっても、クィンの頬に痛みは降りてこない。
そろ、とクィンが目を開けると、目の前には腕を振り上げた状態のファスタール伯爵。
そしてもう一人。
金色の後頭部が、部屋の明かりに照らされてキラキラと輝いている。
まるでライオンのようなその頭に、クィンは見覚えがあった。
「レナ、ルド……?」
ここにいるはずのない彼が、突然クィンの前に現れたのだった。




