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伯爵令嬢の幸せな結婚 〜運命の相手が囚人なんて聞いてません!〜  作者: 香月深亜


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23. もう十分だと思うのです

 “似ている”と言われ、レナルドの耳がピクリと動いたように見えた。


「叔父様があなたから当主の座を奪わなかったように、あなたも陛下から玉座を奪わなかった。王家に仕える騎士の一族というだけあります。コーネリウス家の忠誠心は、我々普通の貴族には計り知れないほど大きい」


 騎士は、一度仕えると決めた人間のことを守りきる。命に代えて、一生をかけて守ると聞いたことがある。

 コーネリウス家にはそれが脈々と受け継がれているようだ。



「……そこに気付くとはな」

「あなたは自分の事を語らなさすぎです。この経緯を聞けば、誰もがそれに気付くかと」

「そうか……」


 クィンはレナルドの無口な性格が悪いと指摘した。

 そんな彼女の眉間には自然と皺が寄っていて、顔色も険しくなってきていた。


 それは、一向にレナルドが顔をあげないから。クィンがどんなに見つめても、彼はずっと俯いたままで表情が読めない。


(何でずっと目を合わせないのよ! 私ここにいるのよ!? 顔上げろ上げろ上げろ……)


 声には出さないが、クィンの本音ではレナルドへの文句(という名の念)が止め処ない。



「…………そう。それで、俺はよく、陛下の話し相手になっていたんだ。幼くして親を亡くし、力もないままに親の後を継いだ者同士で心情を分かり合えたから」


 予想外の切り口に、クィンは目を見開いた。


「話し相手に?」

「ああ。陛下は俺を兄のように慕ってくれていた」


 十三歳の陛下にとって、十八歳で騎士団長を務めていたレナルドは、どれだけかっこよく映っていただろうか。


 無口で無愛想、短気な性格だけど、打ち解けた人間には優しさも見せてくれる。

 きっと陛下も、どこかでレナルドの人の良さに気づいたのだろう。

 その上同じ境遇だと知り何度か話せば、無条件に彼を兄のように慕いたくなるのも理解できる。

 そこには憧れのような感情もあっただろう。


「だからあれ以上、俺のせいで陛下を苦しめたくなかったんだ」


 レナルドの声は、悲痛に満ちていた。


「陛下は俺を守ろうとしてくれた。だが、幼い陛下の言葉は全て逆手に取られ、俺が陛下を誑かしていたんだ、と決めつけられた」

「そんな……」

「陛下が何を言っても、何も言わなくても状況が変わらず、苦しんでいたんだ。自分はなんて無力な王かと嘆いていた」


 膝の上で組まれたレナルドの手が、小さく震えていた。

 いつも強気な彼が初めて見せる姿の前に、クィンはそっと膝を折る。


 膝立ちのような状況で、今度は下から彼を見上げる。


(ああ、なんて、悲しい瞳を……)


「陛下のために、ここにいるのですね……」


 レナルドの震える手を、クィンは優しく包み込んだ。

 

 レナルドは、自分が側にいることで陛下を苦しめるくらいなら、自白してこの世から消えることを選んだ。

 幼い陛下のために、命を賭すことを選んだのだ。


 そうと分かっても、いや、そうと分かったからこそ、クィンの、レナルドに地下牢から出て欲しいという気持ちは高まった。


「ですがもう、十分ではありませんか?」


 クィンはそう切り返した。


「あなたがこの地下牢に入ってからもう十年経っています。もう十分です」


 冤罪で十年の歳月をここで過ごしたと聞き、クィンの本音としては、“むしろお釣りをもらうべきです”くらいは言いたいだろうが、そこはグッと我慢した。


「ここを出て、“今の”陛下と話をして下さい」


 レナルドが話す、幼く力のない陛下はもういない。

 今の陛下は、大国であるこのヴィラント国を立派に統治している。周辺国からの侵略を許さず、民の暮らしを豊かにし、安寧の世を築いているのだ。


「今なら、玉座を奪わせようとする輩もいないはずです」


 そもそもの始まりは幼い陛下に国を任せられないと考えた貴族達が謀反を企んだことだ。

 陛下が成長した今、レナルドがここから出ても問題はないはず。


「それにさっき言いましたよね? “俺は陛下の騎士として生きる”って。ならその言葉、実現して下さい」


 レナルドの発言を逆手に取り、クィンはレナルドに詰め寄る。優しく包み込んだ両手にも自然と力が入る。

 彼を見上げるクィンの瞳は、強く、凛としていた。レナルドはその瞳に引き込まれそうになり、慌てて顔を背ける。


 しかし、レナルドとしてはただその瞳を直視できなかっただけなのに、クィンにはそれがレナルドの意思に見えてしまった。

 スカート越しではあっても下につけていた膝がそろそろ痛くなってきて、クィンはその場に座り込んで呟く。


「こんなに言ってもダメなんですか……」

「あ? いや、今のは、」


 勘違いさせたと思ったレナルドが目の前に視線を戻すと、クィンは拗ねたような顔をしていた。眉尻は下がり、口はつん、と突き出されていて。まるで子供のような表情を見せる彼女に、レナルドは目を丸くする。


「……拗ねたのか?」

「す!? 拗ねてなんかいません!!」


 一応レナルドは質問してみたが、クィンはそれを全力で否定した。だが、否定するその顔は一気に赤く染まり、動揺を隠しきれていない。


「素直じゃないなあ」


 くくっ、とレナルドは喉を鳴らして笑った。

 まるで好きな子をいじめて楽しむ男子のような、つまり、クィンのことを愛らしいと思っているようなそんな顔を、レナルドは見せていた。


 否定しても信じてくれないレナルドに、クィンは必死で抗議する。

 

「本当に拗ねてませんからね!? 私は今年で成人なんです。この年になって拗ねるなんて恥ずかしいこと、」

「いいじゃないか。可愛らしくて」


 必死の抗議も虚しく、レナルドに言い含められてクィンは押し黙ってしまった。


(それは卑怯だわ……)


 彼の美しい顔で微笑まれながら“可愛らしい”なんて言われては、反論に困る。

 クィンはどちらかと言えば美しい類の人間なので、可愛いと言う言葉に免疫がないのだ。


(ああ、もう。そんな自然に言わないで欲しい!)


 嬉しさと恥ずかしさで複雑な感情が、クィンの脳内を駆け巡る。

 そんなクィンを見つめながら、レナルドはそっと彼女の頭に手を伸ばした。……正確には、頭に巻いていた包帯に。


 レナルドは、壊れ物を触るかのようにそっと、彼女の頭に巻かれた包帯に手を添えた。



「…………痛むか?」


 クィンは突然添えられた手にドキリとしたものの、レナルドの瞳がまた苦しそうになっていて、失敗したと思った。


「頬も少し、腫れているようだ」

「ご心配には及びません。大袈裟に包帯なんかも巻かれていますが、もう痛みはほとんどないのです」


 ふるふる、と首を横に振り、クィンは笑顔を見せる。


 自分が身につけているモノや自身の状態は認識から外れやすい。自分の頭に包帯が巻いてあることや、薄らとだけどまだ頬が腫れていたことをクィンはすっかり忘れていたのだ。

 レナルドにこんな顔をさせるくらいなら、包帯くらいは外してくるべきだったとクィンは心の中で反省する。


「頭から血が出たと聞いた」

「はい。でもお医者様に治療していただきましたので問題ありません」


(だから……そんな瞳をしないでください)


 レナルドが辛い表情をしていると、クィンまで辛くなった。

 それがいったい何故なのか。クィンは薄々感づいてはいたが認めたくなかった。


 顔がタイプのレナルド。

 性格は……まあいくつか難点はあるものの優しい人。

 だって、こんなにも優しく手を添えて、怪我の心配をしてくれるのだから。

 けれど。

 人となりが良くても、彼は囚人だった。


 その一点が、クィンの中で徐々に膨らもうとする気持ちをいつも邪魔をしていた。

 でも今は、彼が冤罪だと知った今は、邪魔をするものが何もない。


 レナルド自身にここから出てもらわなければ彼の囚人という立場が変わるわけではないけれど。それでも冤罪だと知るだけで、気の持ちようは変わる。


 これはもう、認めるしかない。


(私は、彼のことが…………)



「安静にしているべきだろう」

「それはそうですけど……。どなたのせいでここにいると?」

「なに?」


 む、とレナルドは片方の眉尻を上げ、怪訝そうにする。


「また俺のせいだと?」


 以前にもそんなやりとりがあった。

 あの時もレナルドはクィンから、“あなたのせいです”と理不尽な言いがかりをつけられていた。

 レナルドはそれを思い出し、またか、と問う。


 それに対して、クィンは真正面から、はい、と返事をした。


「はい。これはあなたのせいです」

「何故だ」

「……あなたが意地を張ってここに居続けなければ、私はここに、怪我をおしてまで来ませんでした。だからあなたのせいです」


 地下牢に十年入っているのは意地とかそんな話ではないのだが、クィンはさらっとそう言い放った。

 今回はクィンからしっかりと、レナルドのせいだとする理由を説明してもらえたが、理由を聞いたとて、レナルドにとっては理不尽でしかなかった。


 納得がいかない顔をするレナルドに、クィンは畳み掛ける。



「そもそもこの怪我自体、あなたのせいなんですよ?」

「何を言っているんだ。怪我を負わせたのはファスタール伯爵だろう。それこそ俺には何の関係もないだろう」


 今度は怪我そのものの責任をレナルドに押し付け始めるクィン。

 しかしこれにはレナルドも反抗し、当たり前だが、クィンの言い分は却下された。

 けれど、ここで引き下がる彼女ではない。


「大いに関係あります」

「……俺がここにいるせいで守ってもらえなかったとか言うのか?」


 レナルドがクィンの頭の中を先読みし、牽制して見せた。しかしその先読みは的をはずしてしまう。


「いいえまさか。……私のこの怪我は、あなたに会いに来ていたことをお父様にバレたからです」


 クィンの言葉を聞き、レナルドは一瞬言葉を失った。


「なん、」

「伯爵令嬢が囚人に会いに行くなんて、怒られて当然ですから。でも元はと言えば、あなたがここで囚人を続けているからですよね?」


 にーっこりと微笑みながら、その笑顔でレナルドに圧をかける。

 この分では、すべての責がレナルドに押し付けられそうな雰囲気である。



「俺にどうしろと、」

「分かりませんか?」



 理不尽な言いがかりが続きそうな空気を察して、レナルドはクィンに意図を尋ねようとした。

 しかしその尋ねは最後まで言わせてもらうこともできず、クィンが食い気味で遮った。


 彼なら分かるはず。

 この言いがかりは全て一点にたどり着くのだから。

 クィンの真意は……。



「…………ここを出ろって言うんだな」


 ため息交じりで、レナルドはそれを口にした。


「はい、その通りです」



(この女は本当に頭が切れるな。俺に怪我の心配をされた瞬間に、このやり取りを思い付いたのか)



 最初から最後まで、クィンの頭にはレナルドを説得することしかなかった。

 レナルドがクィンの怪我に話を逸らしても、それすら逆手に取ってレナルドを外に出させるための会話を展開する。

 今まで会った女とは格が違う。クィンの対応は、レナルドにそう思わせるには十分だった。



 レナルドの表情を見て手応えを感じ、彼が何かを考え始めたのを確認してクィンはスッとその場に立ち上がる。



「それでは私は失礼します」

「!」


 まだ答えも聞かぬ内に退室するとは思わず、レナルドは少し驚いた表情をした。


「あとはあなたの心に託します。あなたの心が陛下や国のためにあるのなら、どうするべきかは自ずと見えてくるはずです。……ここの鍵はあなたに預けます。どうか賢明なご判断を」


 ダメ押しの一言は、レナルドが持っているであろう騎士としての心に訴えかけるものだった。

 レナルドからの返事はないけれど、彼の心に届いたのは間違いない。


 クィンは静かに檻を出て、扉は開け放ったままにする。そして、檻の外に控えていたマクミランに視線を送ると、マクミランはクィンの意を汲み一礼した。



 マクミランを地下牢に残し、クィンは地上へと戻る。レナルドが地下牢を出た後は、残してきたマクミランがいい様に動いてくれるはずだ。


(あとは彼が決意してくれるのを待つしかないわね……)


 一仕事終えた感覚のクィンは深呼吸をした。それから、アナを送り届けて戻ってきたナビアと合流して、馬車に揺られながら邸宅へ帰って行った。

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