2. その男、レナルド・コーネリウス
多少空気が重くなりつつも、ジャンヌ様は淡々と進行していった。
そうして残りの十七人の才女も滞りなくお告げを受け、ジャンヌ・マリアージュは終わりを迎えた。
一人にかかる時間もたった数分で、人数も二十人だけ。開始から一時間足らずでの終了となった。
ジャンヌ様が二十人目の運命の相手を告げ終わると、陛下が締めの言葉を言い、彼女はまたゆっくりと、メイドに手を引かれて大広間から退室して行く。
ジャンヌ様が退室し、扉がパタンと閉まる。
それを見送り終えると、集まった人々のざわめきが大広間に戻ってきた。
才女達は意気揚々と親族の元に駆け寄り、運命の相手について会話をしていた。
勿論ほとんどが、喜びでいっぱいだった。クィンの親族を除いて。
クィンも家族の元へ歩み寄るが、家族の表情は険しかった。
祭壇から下りる時も見えた両親の表情が見間違いではなかったと、近くに寄ればはっきりと分かる。そして、表情だけでなく、そこにある空気までもが良くないものだと、クィンはすぐに悟った。
「……申し訳、ありません」
開口一番、クィンの口からは謝罪の言葉が出てきた。
「クィン……」
本来喜ぶべき場所なのに、謝罪から始まるなんて誰も想像していなかっただろう。
クィンの母親が、そんな娘の姿を見かねてそっと肩に手を置いた。しかし父親であるファスタール伯爵は、無言だった。
何も言わず、ただじっとクィンを睨んでいる。
「あなた、クィンにお声をかけてあげてください」
母親がクィンに助け舟を出した。
謝罪に対して何の応答もなくては、クィンが可哀想だと思ったからだ。
「……レナルド・コーネリウスを、知っているか?」
重い口を開いたファスタール伯爵は、そんな質問をクィンに投げた。
しかしクィンは、首を横に振る。
「いいえ。聞いたことがありません。……もしかして、貴族ではないのでしょうか?」
聞いたことがない名前と、両親の落胆した表情から、クィンはそう読み取った。
家に利益をもたらすはずだった結婚相手だ。
貴族でなければ、確かに落胆する。クィンはそう考えたのだ。
「よく聞けクィン。奴は、」
「お話し中失礼いたします」
ファスタール伯爵がレナルドについて話そうとした時、突然会話を遮られた。
割って入って来たのは、ユリウス宰相だった。
ユリウス宰相は、陛下の側近。
とても頭の切れるお方だともっぱらの噂だ。
「クィン様をレナルドの元にお連れせよ、との王命を受けました。こちらにお越しくださいますか?」
ユリウス宰相はそう告げた。
しかし、その言葉に両親は眉をひそめた。
まだクィンと、レナルドについての話が出来ていないからだ。
だがユリウス宰相は“王命”という、誰もが絶対服従しなければならないワードを使った。無下にはできない。
クィンは言われるがまま、ユリウス宰相の方へと足を向けた。そして一歩そちらに踏み出そうとしたとき、クィンの母親が咄嗟に声を上げた。
「……お会いになるのは、まだ早いのではないですか?」
何も考えずについて行こうとしていたクィンだったが、母の言葉に一旦足を止める。
「奥様、これは王命です」
ユリウス宰相は再びそのワードを使った。
「ですが少しぐらい、」
「止めぬか!」
それでも止めようとしたクィンの母親にいきなり怒号を浴びせたのは、ファスタール伯爵だった。
「王命なのだ。我々に拒む権利は無い」
「ですがこれでは……」
「クィン。良いから行け。しかとその目で、自分の相手を見て来るがいい」
引き下がらない母親は無視し、ファスタール伯爵はクィンへそう言い放った。
クィンはいきなり呼ばれて驚いたものの、分かりました、と父親の命令を受け入れる。
「それでは、ご案内いたします。こちらへ」
話が終了したと感じたユリウス宰相は、再びクィンへ言葉を掛け、くるりと振り向いてレナルドがいる場所へと歩き出した。
それを見て、クィンは慌てて両親に失礼します、と挨拶をし、ユリウス宰相の後ろを追いかけて行った。
***
ユリウス宰相はジャンヌ様が出入りをした大広間の奥の扉から、クィンを連れ出した。
そして無言で、ひたすら長い廊下を突き進んでいく。
歩きながら、クィンは勇気を出し、ユリウス宰相に話し掛けた。
「あの……」
「何ですか?」
一応答えてはくれるようなので安堵しつつ、クィンは質問を投げてみる。
「レナルド様は、どのようなお方なのでしょうか?」
いきなり核心を突いた質問に、ユリウス宰相はピタリと足を止めた。
前を歩くユリウス宰相が止まってしまったので、クィンも慌ててその場に止まる。
「レナルドに、“様”を付けてはいけません」
ユリウス宰相は前を向いたまま、クィンにそう教えた。
だがクィンはその意図が分からず、首を傾げた。
「それはどういう……?」
「会えば分かります」
深く聞こうとしたものの、ぴしゃりと遮断され、クィンはそれ以上聞く事が出来なかった。
ユリウス宰相も、そう言い放ってすぐに、また歩き始めた。
そして、何分か歩いてようやく、ユリウス宰相がとある扉の前で止まった。
王宮の広さを実感するくらい歩かされたクィンは、やっと到着したのね、と心の中で思った。
「この中に、レナルドがいます。気をしっかりとお持ち下さい」
ユリウス宰相の言葉は、またしても意味が分からなかった。
扉の奥にいる運命の相手に会うのに、“気をしっかりと持て”とは、聞いた事がない言い様だ。
(もしかして、すごく不細工とか!? それともかなり太ってて、部屋から出られないとか……!?)
分かりました、と表向き応えはしたものの、クィンは頭の中で最悪な相手を想像してみた。これまでの大人達の反応から読み取れる、最大限に最悪な相手を。
「クィン様、この先足元が不安定になりますので、転ばぬようにお気をつけください」
「……はい?」
扉の奥はただの部屋ではないのか、とクィンは首を傾げた。
そんなクィンの思考を置いてきぼりにして、ユリウス宰相は扉を開ける。
外から見れば変哲のない扉。
だが、その先にあったのは部屋ではなく、階段だった。
しかも地下に続く、薄気味悪い石畳みの階段。
片側の壁に間隔を置いて松明を灯してあるが、かなり暗い。
クィンはそれを見て、唖然とする。
「あの、これは……」
言葉を失った。
王宮の地下に続く階段なんて、怪しすぎるからだ。
「行きますよ」
しかしユリウス宰相は、クィンに構わずその階段を下りて行く。
(え……本当にここを進むの……?)
暗闇が怖いわけではない。
ただ、その先に何があるかが分からない事が怖いのだろう。
階段を何段下りるのか。
下りた先がどうなっているのか。
その先にいるレナルドがどんな人なのか。
クィンには、分からない事がありすぎる。
勇気が出ず、クィンが階段に一歩も踏み出せずにいると、ユリウス宰相がそれに気づき、後ろを振り向いた。
「クィン様? 早く来て下さい」
「……ですが」
「この先に猛獣はいませんし、古く見えますが造りは頑丈です。崩れる事もございませんので、ご安心下さい」
ユリウス宰相はじっとクィンを見つめた。
クィンが聞きたいのはそういう事では無かったのだが、少なくとも安全である事は保証してくれるらしい。
意を決し、クィンは一歩前に足を出す。
コツ、コツ、と足元を確認しながらゆっくりと、石畳みの階段を下りて行った。
ようやくユリウス宰相がいるところまで辿り着くと、ユリウス宰相はまた先へと進み出した。そして、クィンも遅れないようにそれを追う。
階段は、螺旋とまではいかないけれど、少しだけカーブしている。
数十段も続く階段をクィンが恐る恐る下りて行くと、最下層に到達した。
ようやく階段が終わり、クィンが目にしたものは、鉄の檻。
端から端まで、一面に大きな檻がある。
「ユリウス宰相、ここは一体……」
「ここは、」
「誰だ」
ユリウス宰相が説明しようとしたその時、突然そこに低い声が響いた。
クィンはハッとして、声のした方へ視線をやる。
―――するとそこには、一人の男がいた。
それは鉄の檻を隔てた向こう側。
檻の奥に付ける形で置かれた長い椅子。おそらく夜にはベッドにもなるであろうそれに腰を掛け、こちらを見ている男。
ボロボロの服を着て、髪も髭も長く顔も見えないその男は、見るからに汚らしく、怪しい様相をしていた。
クィンはその男を見て、思わず眉をひそめた。
これまで彼女の周りにはいなかった人種だ。
社交界で出会う男性は、常に身なりを整えた男性ばかりだから、当然と言えば当然の反応だった。
「レナルド、無礼な発言はやめよ」
そこで、ユリウス宰相は名前を呼んだ。
(………………え?)
クィンは嫌な予感がした。
それは、地下へと続く階段を見た時にも、もっと言うなら、ジャンヌ様からお告げをいただいた時にも既に感じていた。
でも、彼を見るまでは少しだけ希望を持ち続けていたのだろう。
両親の反応は良くなかったけれど、これは『ジャンヌ・マリアージュ』。
神が与えてくれる運命の相手。
その相手が、そんなに悪い人のわけがない、と。
だがこの時、クィンがかろうじて持ち続けていた希望は、見事に打ち砕かれる事になる。
「あの、ユリウス宰相? 今、なんと……?」
クィンの声は少しだけ震えていた。
その質問に、ユリウス宰相は淡々と答える。
「クィン様。あの者がレナルド・コーネリウス。貴女の、運命の相手でございます」
その答えを改めて聞いた瞬間、クィンの目の前が真っ暗になった―――。