19. 聖女様にはかないません
「あの、なんで……ここは一体……?」
慌てふためき、周りをキョロキョロと見渡しながら、クィンは目の前にいるジャンヌ様に質問を投げかけた。
さっきまでは間違いなく自室にいた。
怪我を負って外に出れなくなったため、レナルドに会いたいとせがんだ親友のアナにメイドのナビアを預けて、自分はベッドの上で大人しく休んでいたはずだ。
それがいきなり、目の前の景色が変わり、見たこともない白い部屋のソファに座っている。
(……移動した? これが、ジャンヌ様の……能力?)
「そうだ」
突然ジャンヌ様にそう言われ、クィンは驚いて彼女を見つめる。
(何で……今、わたし口に……)
「意識すれば相手の心を読むこともできるぞ」
「!!」
言葉にしていないのに会話が成立し、クィンは目を見開いた。
ジャンヌ・マリアージュの名前の由来となっている聖女、ジャンヌ様。神の言葉を聞ける尊い方ということは知られているが、彼女が持つ力の全ては公にされていない。
邸宅の自室にいたクィンを王宮まで移動させる能力。それから、人の心を読む能力。ジャンヌ様の人智を超える力は凄まじいようだ。
「突然呼び立ててすまないな。驚いたであろう」
「はい。……それはもう、ものすごく」
自室で、ふと声が聞こえた。
突然頭上から降ってくるようなその声は、一般人からすれば怪奇現象に他ならず、クィンを震え上がらせた。
その声に“クィン・ファスタールだな?”と聞かれて、反射的に“はい”と答えた次の瞬間には、クィンはこの部屋にいた。
夢でも見ているのかと頬をつねっても普通に痛く、瞬きをしても景色は変わらない。
気づけば知らない部屋にいて、目の前には真っ白な女性。
これはもう、目の前にいるのが聖女ジャンヌ様で、ジャンヌ様から呼び出されたのだと考えるしかない。
「あの、どうして私を、」
「ん。少し待て」
ジャンヌ様は手のひらを前に出し、クィンの発言を止める。
すると次の瞬間。
「ユーリーユーリーー!!」
ジャンヌ様は口元に手を添えて、部屋の外に向かって叫んだ。
突然張られた声に、クィンはびくりと跳ね上がる。
しかし跳ね上がったのはクィンだけではなかった。名前を呼ばれた当の本人、ユリウス宰相がバンッと扉を開けて勢い良く入室してきた。
「ジャンヌ様! いい加減その呼び方はやめて……」
般若のような顔をしたユリウス宰相は、部屋に入ってきてクィンと目が合った。
クィンは軽く一礼をして、ユリウス宰相も慌てて礼を返す。
「クィン様? ……なんで」
質問が口から出そうになったところでユリウス宰相は状況を察し、ジャンヌ様に睨みをきかせた。
「またあなたは!! 勝手なことをしないでくださいと何度言ったら分かるんですか!?」
「落ち着けユリユリ。だからこうして呼んだではないか」
「勝手なことをする前に呼んでください! それから私はユリユリでは、」
「ユリユリ。私はクィン嬢と話をする。三十分で構わん。誰も通すな。……あ、お茶は淹れてくれ」
(……それと、ついでにアレを持ってきてほしい)
(!)
このときジャンヌ様は、表面上はお茶を要求しながら、頭の中ではユリウス宰相にある物を要求していた。
ただ、クィンから見えるのは怒りを爆発させているユリウス宰相を、ジャンヌ様がのらりくらりとかわす姿だけ。あのユリウス宰相が手のひらで転がされる姿を見て、ジャンヌ様の圧倒的強さにクィンは呆然とする。
(というか、ジャンヌ・マリアージュのときとキャラ違いすぎる気が……。あのときはもっとこう、“聖女”っぽいお淑やかな感じだったのに)
自分から目を逸らされている間に、クィンはそんなことを考えた。
しかし、実際にそんなことをジャンヌ様に言えるはずはなく。
ジャンヌ・マリアージュのような儀式のときはお淑やかにするよう、ユリウス宰相に厳しく言われている、という見解を勝手に立てて自分を納得させたていた。
「ったく…… 。三十分だけですよ? この後の予定もあるんですから」
「ああ。すまんな」
まだ苛立ちが収まらないようで、ユリウス宰相はわざと音を立てて扉を閉めて部屋を出て行った。
ジャンヌ様はそれを見送り、何食わぬ顔で目線をクィンに戻して話を再開した。
「それで、クィン嬢」
「はい」
「怪我はもう大丈夫か?」
ジャンヌ様は心配そうな目でクィンを見つめた。クィンは、その目が頭に巻かれた包帯に向けられていることに気づき、いいえ、と横に首を振る。
「娘に対してひどいことをするものだ」
「……それも、能力ですか?」
遠くの事象を見るとか、人の記憶を覗くとか。そうゆう類の能力かとクィンは考えた。
だが、その考えは外れた。
「いいや。ファスタール家の事情は現当主から始まったものではないからな。それぐらいは知っている」
「え…………」
「貴族連中も皆がそこまで馬鹿なわけではないぞ。ファスタール家がいくら隠しても気付く者は気付くし、教育だ躾だと言ったとてその実は暴力だろう? しかしそれに対して誰も動こうとしないのは、そこに暗黙のルールがあるからだ」
そんなルールがあるなんてクィンには初耳で、クィンは困惑の表情を浮かべる。
「……暗黙のルール、ですか?」
「ああ。貴族の間では、“ファスタールは力によって子をねじ伏せる。だがそれは躾のため、他の貴族は口出し無用。もし口出しをしようものなら、その者は爵位剥奪を覚悟せよ”。……確かこんな感じだったな」
それは、シンプルな脅迫だった。
子供への暴力を明示しながら、それを躾とかこつけて、口出しをしたら爵位剥奪。
そんなルールがあっては、なるほど誰もファスタール家の闇を暴かないはずである。
大の大人達が保身のために知らんぷりをするとは、なんと情けない話だろうか。
「初めて聞きました」
「だろうな。こういう話は大抵本人の耳には届かない」
「ファスタールは伯爵位ですが、その、爵位剥奪の権利なんて持っているのでしょうか?」
脅迫材料となる爵位剥奪は、本当に使えるものなのかとクィンは疑問に思った。
実際にそんなことが出来るとすれば国王陛下くらいなのではないのか。
「ファスタール家は大多数の貴族の弱みを握っているとか、いないとか。このルール自体、何代も前から語り継がれているものでな。どこまで現当主に力があるかは分からん。……分からんからこそ、皆易々とは動けないのだ」
未知の領域に足を踏み入れるのは誰だって怖い。
何が待っているのかと恐れを抱き、その一歩がなかなか踏み出せない。
例えばその先に、金塊のような、自分の利益となるものが待っているなら話は別かもしれないが、踏み込んだ先にいるのがただの子供だとすれば、誰も踏み込んで来てはくれない。
ジャンヌ様が言っていることはそういうことだろう。
もしかしたら現ファスタール伯爵に爵位剥奪する力はないかもしれない。でも、貴族達には見知らぬ子供を助けるメリットがないのだ。見知らぬ子供を助けるだけなのに、爵位剥奪されるかもしれないというのは、それが可能性の域だとしても、そのリスクはあまりに大きい。
「そうですか……」
「現伯爵も幼い頃からそうやって育てられたため、それが正しい教育だと思い込んでいるのだろう。女であるクィン嬢にも、当たり前のように躾と称して暴力を振るう。悪しき風習とはこういうことを言うのだろうな」
ジャンヌ様は本当になんでも知っているようだ。
クィンさえも知らなかった内容をスラスラと語り、ファスタール家の内情を事細かに押さえている。
「とまあ、少し語ってしまったが、ファスタールの話はこれぐらいにして。本題に入ろうか」
本題とは、とクィンは不思議に思った。
そう言えば、突然ここに呼ばれた理由をまだ聞いていなかった。
ジャンヌ様は、くすりと口角を上げる。
「無論、レナルドのことだ」
本題がレナルドについてだと知り、クィンはギュッと拳を握る。ジャンヌ様なら彼のことをよく知っている気がした。だから、何か教えてもらえるのかと言う期待もありつつ、しかし隠されていた事実が明るみになるかもという不安もあり、二つの気持ちが複雑に交差する。
「あまり気負いしないでほしい。ただユリユリから、クィン嬢がここに来て会いたがっていたと聞いたのだ。ジャンヌ・マリアージュの後は会えなくてすまなかった」
ジャンヌ様に謝罪され、クィンの頭の中にあの日の事が鮮明に思い出された。
部屋の前で叫び、無礼を働いた時の事だ。
クィンの顔からサーッと血の気が引いていく。
「申し訳ございませんでした! あの日は、」
「クィン嬢? 謝っているのはこちらだ。そちらからの謝罪は不要である」
「で、ですが……」
「謝罪してもらいたくて呼んだのではない。あのファスタールのご令嬢がそうまでしたことに興味を持った。それに私も気になっていたのだ。ジャンヌ・マリアージュの場であのレナルドの名前が出たからな。まあ、それ以上に眠気が勝ってしまって、ついつい一ヶ月ほど寝てしまったのだが」
どうしても謝ろうとするクィンを気遣ってか、ジャンヌ様は冗談っぽく笑いながら言った。そして場を和ませながら、ジャンヌ様はクィンに問う。
「それで、何が知りたい?」
“何が”と聞かれる準備をしておらず、クィンは言葉に詰まった。
しかしすぐに気持ちを立て直し、質問することを考える。先ほどのジャンヌ様とユリウス宰相の会話から、あまり長い時間が与えられていないことは分かっている。
手短に、かつ正確に質問し、ユリウス宰相からはもらえなかった情報を聞き出さなければならない。




