18. 大事にしてくれますよね?
「きゃーーーー!!」
地下牢に降り立つや否や、アナはレナルドを見て悲鳴を上げた。
ただそれは、普通の悲鳴ではなく黄色い悲鳴だ。
「何て端正な顔立ちなのかしら!!」
レナルドの顔は、アナの予想を通り越す美しさだったのだろう。
「アナスタシア様、あまり近づき過ぎては……」
「あら、ごめんなさい」
爛々と目を輝かせ、無意識にレナルドのいる檻に近づいていくアナを、スッとナビアが止めに入った。
すると、低く威圧的な声が、マクミランの名前を呼んだ。
「今度は誰だ」
ヒールの音を聞きクィンが訪ねてきたと思ったのに、下りてきたのはふわふわ髪のアナ。
レナルドは初めて会うアナを見て、マクミランに素性を確認する。
「この方はクィン様のご友人で、アナスタシア・グラハム様です」
「友人? クィンは来ていないのか?」
レナルドはアナに疑いの眼差しを向け、そして、ここ数日姿を見せていないクィンの姿を探す。
「残念ながら、クィンは来ていませんよ」
威圧的な態度のレナルドに臆することなく、アナはマクミランに代わって返答した。
「あの怪我に……無期限の罰も与えられたみたいなので、当分の間は来れないと思います」
「怪我だと? 何かあったのか!?」
レナルドが心配の表情を見せたので、アナは少しだけ驚いた。
(意外……。クィンってば、こんな風に心配されるくらいの仲にはなっていたのね)
「ナビア、この人にファスタール家の内情を教えてもいいかしら?」
何かあったのか、というレナルドの問いかけに答える前に、アナはナビアに確認をした。
勝手に人の家のことを話すとなれば、相手への信頼が必要になる。会ったばかりのレナルドへの信頼をアナが持っているわけがなく、今までクィンと共に何度もレナルドに会っているであろうナビアに聞くのが手っ取り早いと考えたようだ。
そしてアナの質問に、ナビアは少し考えてから、はい、と返事をした。
その返事を聞きアナは、レナルドにファスタール家のことと一緒にクィンの状況を教えた。
「クィンは、時々、父親であるファスタール伯爵から暴力を振るわれています。そして先日、度が過ぎた暴力により頭から出血する大怪我を負いました」
「何だと……!?」
レナルドは眉を顰めた。
どういうことなのか、にわかには信じられないといった顔だ。
今までレナルドの元を訪れていたクィンからは、そんな様子は窺えなかった。
「前に、ファスタール伯爵が日常的に怒鳴っているとは言っていたが……」
「ああ、それは伯爵の日課ですね」
「誰も助けないというのか? たとえ伯爵と言えど、娘に手をあげていいわけないだろう」
アナは首を横に振り、いいえ、と答える。
「到底信じがたいとは思いますが、それが伯爵家の教育方法だそうでして」
クィン自身も、父親からの暴力を教育として受け入れていた。
自分が悪い事をしたから罰を受けているだけだ、と言う始末。
アナはそのことを、レナルドに教えた。
また、その教育はファスタールの邸宅内で行われているため、実際にそれを目にする者は少ないらしい。その上、当の被害者であるクィンが何も声を上げないのであれば、外部の人間がどうこうできる話ではない。
「だが……お前も見て見ぬふりを?」
レナルドはナビアを睨み付けた。
他の者が黙っていたとしても、クィンの側にいたナビアが何もしなかったのはあり得ないではないか。
突然睨み付けられたナビアはその視線に圧倒されそうになるが、なんとか堪え、レナルドに言葉を返す。
「あの家では何もできません。旦那様の恐怖政治がしかれているので、私一人が動いても、他の使用人達や……さらにはお嬢様本人にまで危害が及ぶ可能性が高いんです」
ファスタール家はまるで地獄ですよ、とナビアは目を伏せながら、消え入るような声で語った。
「それでもあいつのメイドとして勤め続けているのは何故だ? 贖罪のつもりか?」
「……はい。せめてお側で、出来ることがあればと」
「はいはーい。そこで相談なんですが!」
暗い雰囲気に包まれた地下牢に、アナの明るい声が響いた。その瞬間、場の空気が一変する。
アナはレナルドに相談を持ちかけた。
「クィンのこと、お嫁にもらってくれません?」
唐突に意味の分からないことを言い出したアナは、にーっこりと笑っている。
何の話だ、とレナルドはアナに尋ねる。
「このままだとクィンはニルマー侯爵っていう、見た目も性格も最悪なおじさんに嫁ぐことになります」
アナは、クィンがニルマー侯爵と結婚させられそうになっていることをレナルドに伝えた。
相手がニルマー侯爵では、嫁いでからも不幸が待っていることが目に見えている。
今までファスタール伯爵からのひどい仕打ちに耐え忍んできたクィンには、あまりに可哀想な未来だ。
「それが俺に関係あると言うのか?」
「勿論です! だってあなたはジャンヌ・マリアージュで名前を呼ばれたんですよ? あなたと結婚すればクィンの幸せは約束されたようなものです」
レナルドは確かにジャンヌ・マリアージュの相手だ。
神のお告げを信じるとするなら、アナの言うことも一理ある。
だが、レナルドは、
「囚人と結婚して幸せになれると思うのか」
「さあ」
囚人であるという一番のネックを指摘したレナルドに、さあ、とアナはあっけらかんと答えた。
「囚人であろうとなかろうと、あなたがクィンの運命の相手なんですもの。それに、実際に会ってみて思いましたが、あなたは悪い人には見えませんし」
アナがここに来た時から、威圧的な空気を出したり、ナビアを睨み付けたりしている人間が悪い人に見えないという。
「お前、どうかしてるな」
「そうでしょうか。……怖い雰囲気はありますけど、先ほどクィンを心配して見せた姿は嘘ではなかったかと。あのように心配してくださるなら、その分クィンのことも大事にしてくれると思っただけです」
その言葉は、レナルドの意表を突いた。
天真爛漫で何も考えずに話していそうなアナから、そんな核心をついたことを言われるとは思っていなかったからだ。
レナルドは驚いて目を丸くした。
このところ毎日会いに来ていた人間がぱたっと来なくなっていたのだ。誰だって心配するだろう。
その実、暴力を振るわれて怪我をしたと聞けば、誰だって……。
でもそれは、クィンだからなのか?
クィンだから、あんなに心配になったのか?
ふと、レナルドの心にそんな疑問が生まれた。
「まあとにかく! どうですか? クィンとの結婚!」
レナルドが自分の気持ちを考えてるのもお構いなしに、アナはずずい、とクィンとの結婚を押す。
本人に頼まれたわけでも、本人の意思を聞いたわけでもないのにえらく乗り気のようだ。
……しかし、いくら待ってもレナルドからの返事はなかった。
それがレナルドの狙いなのかは不明だが、レナルドが何も言わなければ会話が続かず、アナの押し出した勢いは失われる。
「あの、聞いてます?」
「ん? ああ悪い。ちょっと考え事を」
悪びれもなく、レナルドはそう答えた。
レナルドに軽くあしらわれたように感じ、アナはぐぬぬ、と悔しそうにする。
「アナスタシア様。少しレナルド様と二人で話をさせていただけますか」
この男にどう対抗しようかとアナが考えていた横から、スッとマクミランが申し出てきた。
「あ、ごめんなさい。どうぞどうぞ」
マクミランの存在も忘れかけていたアナは反射的に謝り、後ろに下がる。
檻の前、レナルドと対面となる位置をマクミランに渡して、自分は後ろの壁に寄った。
まだ話したい気持ちはあったけれど、アナはクィンから、“マクミランとレナルドに二人で話す時間をあげて欲しい”と頼まれていたことを思い出したのだ。
(確か元執事って言ってたわよね。こんなところにいる元主人に今でも従ってるなんてすごい人……)
アナは少し遠くから、レナルドとマクミランが険しい顔で会話するのを黙って見ていた。クィンから“二人”の時間を、と頼まれたので、今アナは見守るしかない。
……そうは言っても、ただ見守るだけの時間は退屈だった。
落ち着きのないアナにそれは苦行。
見守ったのは束の間で、すぐにアナの体はうずうずし始めた。
「ねえナビア。クィンはいつもこうやって彼らに時間を?」
「そうですね。マクミランさんかキースさんがここに一緒に来たときには配慮なさってるみたいです」
「それって、ずっとここにいないとダメかしら?」
え、とナビアから変な声が出た。
「この隙に、王宮勤めの私の婚約者に会いに行っちゃおうかなって」
「それは……どうでしょう」
軽く濁しはしたが、ナビアとしてはそんな勝手なことは遠慮願いたいだろう。
ここにマクミランだけ残して、万が一にもレナルドの脱獄を図られればクィンが責任を問われてしまう。
ナビアはそれとなく、ここに留まってもらえるように会話を続けた。
「やっぱダメかな? んー」
「アナスタシア様は、婚約者様を慕っておられるのですね」
「え、まさか!」
会いに行きたいと言うからには相手のことを慕っているのかと思ったのだが、アナからの返事は違った。
「あの人すっごく仕事人間で全然会ってくれないのよ!? ジャンヌ・マリアージュの後も会ってすぐ仕事に行ってしまって!! なかなか約束も取り付けられないから、いっそ突撃しちゃおうかと思って」
アナは意外と行動力があるらしい。
まあクィンに頼み込んでレナルドを見にくる時点で大概ではあるが。
そこで一つ、ナビアは気付いたことがある。
「もしかして、ここに来たいと仰ったのは婚約者様に会う口実でしたか?」
「はっ!」
アナは口から驚きの声を漏らしてしまった。
ナビアの言ったことが図星だったのだ。
ぷるぷると肩を震わせながら、アナはナビアに頼み込む。
「ナビア……このこと、クィンには……」
「内緒ですね。承知しました」
短絡的ではあるが、この訪問にそんな可愛らしい策略が隠されていたと知り、ナビアはふふっと笑みをこぼしながら、アナのお願いを快く受けた。
―――そうしてアナ達がレナルドの元を訪れているとき、クィンはとある特別な場所にいた。
「なんで、ここに……」
状況の整理ができないクィンの目の前には、白髪で白い服を纏った女性が一人。その顔を見たことはなかったけれど、全身白に覆われたその姿はあの方以外に考えられなかった。
「ジャンヌ…………様?」




