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伯爵令嬢の幸せな結婚 〜運命の相手が囚人なんて聞いてません!〜  作者: 香月深亜


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16. お礼の言葉を受け取って

 クィンは自室のベッドの上で目を覚ました。


「お嬢様!」


 耳元でナビアが叫ぶ声がして、クィンはゆっくりと上体を起こす。


「……っ!」


 まだはっきりとはしない意識の中、不意についた右腕に痛みが走り、瞬間的に腕を引き上げると、袖の下に白い包帯が巻かれているのが見えた。


「お嬢様! 大丈夫ですか!? まだ安静に、」

「私……何が……」


 痛みを訴えるクィンを前に慌てるナビアと、自分に何が起きているのか頭の整理がつかないクィン。


 心配で慌てているナビアからの問いかけに答える前に、クィンはとにかく記憶を辿る。

 記憶がどこで終わっているのか。



(確か書斎に行って、お父様が激怒して、それで……)



「ああ。私またお父様に……」


 クィンはあの場面を思い出し、目を伏せてギュッとシーツを握りしめる。記憶とは言え、鬼のような形相の父親と対峙した恐ろしい場面。思い出すだけで怪我をしたところの痛みが増してくる。


「お嬢様、まだどこか痛みますか? 何か違和感とか……必要であればお医者様をすぐに、」

「それは大丈夫よ。見たところ手当は十分にしてもらったみたいだし、痛みもそこまでじゃないからお医者様は必要ないわ」


 それより、とクィンは話題を変える。


「私はどのくらい眠っていたの? それから、一体誰があの場を収めてくれたのかしら?」


 クィンの記憶は、自分が壁にぶつかったところまでしかない。

 その後誰があの場にやってきてどうやってあの父親を黙らせたのか、クィンはそれがすごく気になった。そしてあの後、どのくらい時間が経っているのかも確認したかった。



「お嬢様はもう二日ほど、意識を失っておりました」

「二日!? 二日も眠っていたの?」

「はい。手当てをしたお医者様はじきに目を覚ますと仰っていたのですが、中々目を覚まされないので気を揉んでおりました。それから、あの日お嬢様を助けたのはキースさんです」

「キースが……?」


 与えられた情報が多すぎてクィンは首を傾げる。


 混乱している様子のクィンに、続けてナビアは手鏡をささっと取ってきて向けた。


 クィンが鏡をのぞくと、頭をぐるりと包帯で巻かれた自分の姿が映った。

 白い包帯は、クィンの黒髪と相反していて余計に目立つ。加えて、二日経ってもまだ薄らと腫れている頬。

 見るからに痛々しい。


「お嬢様は頭を切って出血していましたのでお医者様を呼んで手当てをしてただきました」

「頭を切っ……」


 当の本人だというのに、そんな大怪我だったのかと驚きが隠せず、クィンは言葉が出ない。

 そんなクィンに畳み掛けるように、ナビアはあの日の出来事を淡々と説明していく。



「実はお嬢様が部屋を出た後、私からマクミランさんに、旦那様がお嬢様に時々手をあげていることを話してしまいました。するとマクミランさんはキースさんを呼び、書斎に向かうように言ってくれたのです。お嬢様は“近づかないように”という命令を下されていましたが、それとは逆に、“向かうように”と。私もどうするのがいいのか分からず……結局、キースさんを止められませんでした」


 ナビアの目に、涙が浮かび始める。

 それでも、自分が流すのは違う、と言い聞かせるように、ナビアの目には力が入っており、涙は流すまいとぐっと堪えているのが分かる。


「キースさんは急いで書斎に向かいましたが、そこには既に血を流して気を失っているお嬢様がいたそうです。書斎に入ったときに旦那様から睨まれはしたものの、お嬢様を連れて行けと言われたそうで、キースさんは丁寧にお嬢様を抱え上げてこの部屋まで連れてきてくれました。……その後は、マクミランさんがすぐにお医者様の手配をして下さり、お嬢様は手当てを受けられました。そして今、ようやくお嬢様が無事に目を覚まされたところです」


「……それは、大変だったわね。ありがとうナビア。それからマクミランとキースにもお礼を言わないと、」

「お礼なんて!」


 クィンは真剣にお礼を伝えようとしたのだが、珍しくナビアが声を荒げた。


「お礼なんて、言わないでください……」

「ナビア?」

「少なくとも私は何も出来なかったのです。あのとき私がお嬢様を止めていればこんな、こんな怪我は負わせずに済んだかもしれません……」


 ナビアの顔は後悔の念でいっぱいだった。

 当然だろう。

 あの日、クィンを書斎に行かせなければ、彼女は大怪我を負わなかったかもしれないのだ。


 血を流し気を失った状態で部屋に戻ってきて、その後も意識が戻らないクィンを見つめながら、ナビアはずっと後悔し、自分を責めていたに違いない。


 それを汲み取ったクィンは、ナビアの手を取り優しく包み込む。そして、温かい笑顔でナビアに語りかける。


「ナビア。あの日、部屋に残れと命じたのは私よ? 自分を責めないで」

「……」

「それに、お父様を怒らせる原因を作ったのは私自身だもの。これはファスタール家の教育であり、この怪我は自業自得。あなたのせいではないわ」


 クィンはあくまで自分のせいだと言う。

 こんな大怪我を負わされてもなお、これは教育なのだと。



「お父様、私に尾行をつけていたそうよ? それで、私が密かにレナルドに会いに行ってることがバレちゃったの。……お父様からすれば、娘が囚人に会いに行ってるなんて知ったらそりゃあ激怒するわよね」


 しみじみと話し、父親の気持ちも分かるというが、そもそも娘に尾行をつける父親がおかしいことに気づいてほしい。


「そう言えば、お父様から何か言われた? 罰として一週間外出禁止とか」


 クィンは冗談めいてナビアに確認する。

 自分が眠っている間に、父親から与えられた罰はないかと。


「あ……」

「え、何? もしかして一ヶ月……!?」


 言いづらそうにするナビアを見て、クィンは予想を一ヶ月に伸ばして再び聞いてみた。


「いえ……。旦那様は、旦那様が許可するまで部屋から一歩も出るなと……」


 それを聞いて、クィンは絶句した。

 想像していた罰よりもかなりひどい。


 正確に期間も設けていなければ、外出どころか部屋からも出るなと言うのだ。


「それってつまり……無期限軟禁?」

「そういうことに、なりますね」


 衝撃のあまり、クィンの頭上に雷が落ちるのが見えた。


「そん、そん……」


 上手く言葉も出てこない。


 “そんなことって”?

 “そんなのありえない”?


「私も耳を疑いました。大怪我を負っただけでも罰として十分すぎるくらいです」

「ま、まあ。でも。うん。きっとすぐ、許可されるわよ。うん」

「そうだと良いのですが……」


 楽観視したい気持ちと現実的な考えとが入り交じる。


 そのとき、部屋にマクミランが入ってきた。

 まだ眠っていると思っていたクィンと予期せず目が合い、驚いた様子だ。


「クィン様! お目覚めになったのですね」

「ええ。ついさっき目が覚めて、ナビアに事の次第を聞いたところ。ああそうだ、あなたがキースを書斎に寄越したとか。おかげで助かったわ。ありがとう」

「とんでもございません。私は命令を、」

「それはいいの。気にしないで」


 クィンは早速マクミランに感謝を伝えた。

 ナビア同様に拒まれる流れだったが、クィンは言葉を重ねて、マクミランに受け入れさせた。


「……寛大なお心に感謝いたします」


 マクミランは深く礼をした。


「それでクィン様、実はお客様がいらっしゃっています。寝ていても構わないからお見舞いをしたいと仰られていて、ナビアさんに確認をと思ったのですが、」

「お客?」

「アナスタシア・グラハム様です」

「アナ!? それは是非通して! あ、でもお父様が……」

「旦那様は仕事に行っておられますので短い時間でしたら問題ありません。それに、我々が仰せつかっているのはクィン様を部屋から出さないことですので、アナスタシア様を部屋に入れることは問題ないかと」

「本当? じゃあ、お願いできる?」

「かしこまりました。すぐにお連れいたします」


 久しぶりに親友に会えると知り、クィンの気持ちは一気に高揚する。

 ふと下を見ると、クィンは自分がみすぼらしい姿をしていることに気づき、ナビアに何か羽織るものを持ってこさせ、髪も軽くとかし、最低限見られる格好にした。



 そんなことをしている間に、マクミランはアナを連れて部屋に戻ってきた。


「クィン……!」


 アナは入ってくるや否や、言葉を失った。

 親友の頭に巻かれた包帯と少し腫れた頬を見て、分かりやすく同情の表情を浮かべるアナ。


 そのアナを見て、クィンは声をかける。


「アナ。お見舞いに来てくれたんでしょ?」

「う、うん」

「じゃあこっちに来て座って。ゆっくり話がしたいわ」


 クィンはベッドの脇をぽんぽんと手で叩き、そこにアナを誘導する。アナは言われるがまま、ベッドの脇に腰をかけた。



「私、あなたが階段から落ちたって聞いたのよ。でもそのほっぺた……階段から落ちたっていうのは違うのね?」


 まだ少し腫れている頬を見て、アナはほぼ確信したのだ。クィンの怪我は、ファスタール伯爵によるものだと。


 対外的にはファスタール伯爵はただ厳しい人というだけで、娘に手を上げる人だということは伏せられている。しかしアナは、小さい頃からよくクィンのところに遊びに来ていたので、内情を知っていた。


 内情を知っている者が今のクィンを見れば、その怪我の要因は一目瞭然だ。そしてアナはいつも、クィンの代わりに怒ってくれる。


「今度はどんな理由? 婚約者候補の話? こんな大怪我させるなんて酷すぎる!」


 むうっとハムスターのようにほっぺたをふくらまして怒る姿は、愛らしくてたまらなかった。

 アナは本気で怒っているのだが、その顔を見せられては、クィンから思わず笑いが溢れる。


「ふふっ。またそんな顔して」

「だってこんなの!」

「私が悪いのよ。お父様はただ、間違ったことをした私を怒っただけ」

「……間違ったことって?」

「さっきアナも言ってた話よ」


 さっき?、とアナは空中を見上げて自分の発言を思い出す。


「ああ、婚約者候補?」

「ええ。私が隠れて彼に会いに行ってたのがバレちゃったの」

「え、会いに!?」

「アナだから話すけど、彼の顔、実はすごく私のタイプでね。最初の印象は最悪だったけど、何回か会う内に印象も変わって、最近は何でも話せる関係になって居心地がよかったのよね」

「は!? あれがタイプ!?」

「あれが、って……。アナ、彼に会ったことないでしょ」


 冷静に話すクィンと、毎度毎度驚きの声を上げるアナ。よほどクィンの発言が予想外のようだ。


「会ったことなくても知ってるわ! あれはある意味有名人だし。でもてっきり、あれと婚約するのが嫌で伯爵と揉めたのかと……。ていうかクィン、あなたタイプ変わった?」

「さっきからあれあれって失礼よ。そんなに驚くこと?」

「驚くに決まってるじゃない! 昔から綺麗な顔が好きだったあなたが、あーんなブタ侯爵をタイプと言うなんて」


 ここでふと、クィンはある単語に引っかかる。


「…………ん?」

「ん?」


 はてなを浮かべるクィンを見て、アナも一緒に首を傾げる。


「ブタ、侯爵?」

「うん。だって皆にそう呼ばれてるでしょあの人」


 あの高身長ですらっとした体型のレナルドを捕まえてブタ呼ばわり?

 それに何より、囚人は爵位を持たないのだから、侯爵と呼ばれるわけもない。


「待ってアナ。あなた一体、誰の話をしているの? 婚約者候補の、話でしょ?」

「うん。あなたの婚約者候補でしょ。ブタ侯爵……もとい、ニルマー侯爵」


 どうりでなんとなく話が噛み合わなかったわけだ。

 婚約者候補と言われ、まさか二人が別の人物を思い描いているとは。


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