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伯爵令嬢の幸せな結婚 〜運命の相手が囚人なんて聞いてません!〜  作者: 香月深亜


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15. 全て知られているなんて

 ナビアに促され邸宅に戻ったクィンはそのまま横になりたい気分だったが、そうはいかなかった。


 部屋に到着した直後に扉がノックされ、マクミランが中に入ってきた。


「失礼いたします、クィン様。旦那様がお呼びです。急ぎ書斎までお越しいただけますか」


 クィンが帰って来たら書斎に来るように伝えろ、とマクミランはファスタール伯爵から指示を受けていたらしい。

 


「……分かったわ。ありがとうマクミラン」


 父親に呼ばれていると知り、休みたい気持ちは見事に吹き飛ばされた。


「お嬢様……」

「大丈夫よ、ナビア。あなたは部屋で待っていて」


 ファスタール伯爵に呼ばれていると聞き、ナビアは心配そうにクィンに声をかけたが、クィンはにっこり笑顔を見せてナビアは部屋に残るように伝えた。


 ナビアは付いて行きたい気持ちが強かったが、主であるクィンに残れと言われれば従うしかない。ものすごくもどかしい表情を浮かべながら、ナビアは、はい、と返事をした。



「マクミラン、あなたも一緒に来なくて大丈夫です。書斎には私一人で行きます」

「ですが、ナビアさんも連れて行かれないなら、」

「大丈夫よ」


 付いて来ようとするマクミランをクィンは言い伏せた。


「キースにも伝えておいてくれる? 絶対に書斎には近づかないように」



 顔は笑っているのに、発する声は冷たくて、そのギャップはマクミランに違和感を与えた。だが、主従関係にあるクィンの指示なので、今のマクミランは理由も聞かずに受け入れるしかなかった。


「承知いたしました」


「じゃあ、行ってくるわね」



 クィンは覚悟を決めて書斎に向かった。




***

 この後起こり得ることを考えて逃げ出したくなる衝動を抑え、なんとかたどり着いた書斎の扉の前で、クィンは一旦足を止める。

 部屋に入る前に呼吸を整えるためだ。


 この中で、ファスタール伯爵が待っている。

 しかも、クィンが帰ったらすぐに、と呼びつけるくらいの何らかの用件を持って。

 

 クィンの両手は、裾をぎゅうっときつく握りしめていた。それぐらい、クィンの緊張は極限まで高まっている。



 ふーっと音を立てずに深呼吸をして心臓を無理やり落ち着かせ、背筋を伸ばし、クィンは書斎の扉をノックして入室した。



「失礼いたします、お父様。お待たせいたしまして申し訳ございません」


 書斎の中央で、扉側に背を向けて立っていたファスタール伯爵に対し、クィンがまずは謝罪する。


「やっと帰ったか」


 ファスタール伯爵はゆっくりと振り向き、クィンの姿を確かめた。


「こんな時間までどこに行っていた」

「はい。街へ買い物に行っておりました」

「それだけか?」


 実際には、王宮にいるレナルドに会いに行った。けれどそれは、許されないこと。


 伯爵令嬢が囚人と会うことも、その上会話をして、甘いものまで一緒に食べたことも、許されない。



(お父様は知っているの……? それともカマをかけているだけ?)


 ファスタール伯爵の意図が分からないため、クィンは、まだレナルドのことは言わないことにした。


「……はい。買い物をしていただけです。つい時間を忘れてしまい、帰りが遅くなりました」



 クィンの言葉を聞き、ファスタール伯爵はため息を吐いた。


「お前に尾行を付けたんだが、気付かなかったようだな」


 ファスタール伯爵の顔は怒りで満ちていた。徐々に怒りの段階が上がっていて、今にも噴火しそうな状態の伯爵がクィンに告げる。



「その尾行から、お前が買い物の後にある場所に行ったと報告を受けたのだが、お前は買い物していただけだと言うのだな」



 クィンの顔から一気に血の気が引いていく。


 ファスタール伯爵は全てを知りながら質問していたのだ。

 それに対してクィンは、嘘をついてしまった。

 だが、今さら発言を変えることはできない。


 変えられたとしてもレナルドに会いに行ったことがバレていては意味がない。


 いっそのこと何もかも、今日一日をなかったことにできたら、と神にもすがる気持ちがクィンに芽生える。



「申し訳ありません、お父様。私は……」

「あの囚人と恋にでも落ちたか?」

「何をそんな、」

「それとも、表向きは貴族と結婚をして、愛人として抱え込もうとでも考えていたか?」


 ファスタール伯爵はクィンの話を一切聞かず、一方的に質問をぶつけている。

 しかもその質問は、クィンが考えもしていなかったもので、どうしてそんな質問が出てくるのかクィンには理解できなかった。



「そんな、そんなこと……」

「そうでなければ説明がつかないだろう。なぜお前は囚人に会いに行ったのだ!!」



 火山が、噴火した。

 爆発したファスタール伯爵の声がビリビリと空気を震わせながらクィンに届く。



「ここ数日は毎日行っていたな!? お前と囚人がそんなに深い仲になっていたとは驚いた」


 父親にいつから尾行を付けられていたのかと、クィンの背筋が凍る。


「それから今日は、菓子を買ったそうだな? お前が帰ってくるところを窓から見ていたがメイドは何も持っていなかった。……まさかとは思うが、わざわざその地下牢で囚人と菓子を食べて来たわけではあるまいな?」



(全部、知っているのね……)



 ファスタール伯爵は、全て知りながらクィンに質問を投げていた。

 見られていたとすればクィンには行動を否定する術はない。

 出来ることは、その行動に至った経緯や理由を述べること。



「お父様、どうか誤解なさらないでください。私は……あの者の話し相手になれたらと思って訪ねていただけです。そこに、それ以上の気持ちはありません」



 これ以上の嘘は危険だと本能が言っていた。

 そのためクィンは、本当のことを口にした。

 しかし、今口にできる本当のことと言ってもこれくらいしかない。


「話し相手だと?」

「はい。あの者は暗い地下牢に一人でおりました。だから私が行って、話し相手になれたらと、」

「他の才女が今何をしているか知っているか」


 クィンの弁明を断ち切り、ファスタール伯爵は唐突にそんなことを聞いた。


「何を、とは……?」

「皆、結婚に向けて準備をしている。それなのにお前は囚人の話し相手か」


 それは、クィンが一番よく分かっている。

 でもそれは。


「お言葉を返すようですが、私はまだ結婚相手が決まっておりません。お父様が仰るように、たしかに他の才女は皆結婚準備をしていますが、結婚相手のいない私にはそれが出来ません。ですから私は、」

「私に口答えをするつもりか!!!!」






 ーーーパンッという音が部屋に響いた。





 その音は、ファスタール伯爵がクィンの頬を平手打ちした音だった。

 高く振り上げてから下ろされた平手は威力も大きく、クィンはその衝撃を受けて、床に倒れ込んだ。


「っ……」


 倒れ込んだ拍子に腕を床で擦ってしまったようで、思いがけず擦り傷も負い、クィンは顔を歪める。


 クィンが殴られた左頬に手を添えると、そこは熱を帯びていた。鏡で見れば、きっと赤く腫れ上がっているのが分かるだろう。

 じんじんと鈍い痛みが、クィンを徐々に蝕み始める。



「……申し訳ありません、お父様」


 クィンは痛みを堪えてその場に立ち上がり、ファスタール伯爵に謝罪した。


「私が、間違っておりました」


 何を言っても聞かない父親。

 娘に平気で手をあげる父親。


 しかしそれは、ファスタール家の教育方法。

 そうして育てられてきたクィンは、これが自分への罰なのだとすぐに受け入れた。


 何か父親の好ましくないことをしたときは平手打ちされながらお説教を受ける。

 その際には、クィンはひたすらに謝罪を意を示す。

 そうして父親の気が済むのを待つのだ。それがいつもの流れ。


 ……いつもならそれで問題なかったのに、今日は勝手が違った。



「なんだその目は……!」


 ファスタール伯爵がギリッと歯を軋ませる。


「お前が悪いんだぞ! ジャンヌ・マリアージュで囚人なんかを引き当てたお前が!」



 ……何を、言っているのか。



 クィンは父親の発言の意味が分からなかった。


 “その目”と言われても、痛みに耐えながらも平常心を装い父親をまっすぐに見つめた目の何がおかしいのか。

 “引き当てた”と言われても、くじを引いたわけじゃない。ジャンヌ様が神の声を聞いただけ。何の非もないではないか。



 再び、ファスタール伯爵はクィンに手を伸ばす。

 今度は彼女の髪の毛を雑に掴み、強引に引き上げる。


 怒りにまかせて自頭を引っ張られるその感覚は、頬を平手打ちされた痛みとはまた別のものだった。


 その痛みに、クィンの目には涙が滲む。


「お父様……離して……っ」


 クィンは両手を使って、ファスタール伯爵の手を髪の毛から離そうと試みるが、下から見上げる形では力もうまく入るわけがなく、それに全力で握っている父親の腕を、娘の力で振り解くなんて到底無理だった。



「……お願いですお父様、もう、っ」

「黙れ!!!!」


 

 ファスタール伯爵が今日一番の怒鳴り声をあげ、クィンの髪を掴んだまま腕を思いっきり横に振った。振り終わる瞬間に伯爵の手はパッと開かれ、クィンは遠心力で壁に向かって投げられた。勢いが強すぎて、壁の前まできてもクィンの足は止まらず、そのまま頭を壁に打ち付けた。


 ごん、っと鈍い音がした。

 その後クィンは、頭と背中が壁を伝うように下にずずず、と落ちていき、その場に座り込んだ。


 クィンの視界はぼやけて、立ち上がる気力もない。



(今、なにが……?)



 自分が何をされたかを理解することも出来ず、クィンはそのまま意識を失った―――。

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