last song
体育館を離れると、喧噪が嘘のように静かになった。人の気配があまり感じられない。日当りの良いスペースを見つけ、二人で座った。
見上げると空に雲が漂う様子が見えた。しばらく黙っていると、茜がため息をついた。
「……なんか、慣れないことしたから疲れた」
「え、そうなの? いつも長い時間歌ってても平気そうなのに」
けだるげにこちらに顔を向ける。
「こういう所で歌うのとは違う」
「そっか……」
一典が気付かないだけで、茜も緊張していたのだろう。それでもあれだけのパフォーマンスができるのだからすごい。一典は先程までの茜を反芻する。
「ごめん」
「えっ?」
想像に没頭して、一典の反応が遅れる。茜が切実な目で見ていた。
「せっかく練習してたのに、無駄になっちゃったね」
「いやいやいや。むしろほっとした。出てたらとんだお邪魔虫だった」
そんなことないけど、と茜がつぶやく。一典は彼女の気遣いを嬉しく感じた。
「ほんと、気にすることないって。木野さんの歌が聴けて良かったよ」
そう、とそっけない返答が来て、また沈黙が訪れた。
「また歌ってみる気、ある?」
一典は探るように茜に問いかける。
「気が向いたらね」
答えた声は、軽やかだった。
その後一週間、茜は話題の人となった。
すれ違う生徒に「良かった」「感動した」などと言われたらしい。女子生徒の中では、泣き出す人もいたという。
一典は茜に会う機会がなかったため、そのことは噂で聞いた。茜の戸惑いが想像できて、おかしくもあり心配でもあった。
噂が下火になった頃、久しぶりに一典は放課後二年六組へ向かった。いつもの席に、一人でたたずむ茜を見つけ、無意識に笑顔がこぼれた。
茜は今日はヘッドフォンをつけていなかった。一典に気付くと、憮然とした表情を作った。
「なんか……めんどくさいんだけど」
一典は吹き出した。
「けっこうな話題になってるんだってね」
「ほめてくれるのは嬉しいんだけどさ……。なかなか一人になれなくて」
いつになく愚痴っぽい茜をにやにやと眺める。彼女は一典をにらみつけてきた。
「おかげで歌う時間がなかった」
「それはよろしくないね」
さっと表情をあらためて、一典が言うと、茜が口元を緩めた。
ヘッドフォンをつけ、茜がいつものように歌いだす。一典は鞄を机に置き、勉強道具を取り出す。学園祭前の雰囲気が戻ってきた。
一時間後、二人は帰り支度を始めた。一典が鞄につめこんでいると、茜が何気なく言った。
「私今度大学生のグループと歌うことになったんだ」
一典は手を止めて茜をまじまじと見た。あまりに急な展開である。
学園祭を見た生徒の兄弟がバンド活動をやっているらしい。一緒にやらないかと誘いがあったという。
茜がスマートフォンで見せてくれた画像は、硬派でセミプロのようなレベルだ。
画面を指差し説明する彼女は、無表情の中にも目の輝きがある。それを一典は感じ取った。
「そっか」
ためいきのように、一典はつぶやいた。それから、にこりと笑う。
「ライブやる時は教えてね。絶対聞きに行くから」
「いいけど、東京だよ」
「えっうそっ」
繕っていた表情が崩れ、思わず聞き返す。茜が吹き出した。
「いやっ大丈夫! 行く行く。なんとか、うん」
「そんな無理しなくてもいいよ」
「無理じゃないからっ。ずっと応援する!」
一典が高らかに宣言すると、茜が苦笑した。どうも、とそっけなく答える。茜は信じていないが、一典は、きっと本当にそうなるだろうと思った。
廊下をゆっくりと歩きながら、二人はいつもより少し多く話をした。
一典は、こんな風に教室で茜の歌を聴くことはもうなくなるだろうと感じていた。思い切り歌える場所が茜を待っている。
「そういえばさ、ステージのとき」
茜が言った。
「音、ありがとうね」
じんわりと胸があたたかくなった。
「邪魔じゃなかったか心配だったから、良かった」
「邪魔だと思ったら最初からやってないし」
一典は苦笑した。茜のはっきりした言い方にも慣れてきていた。それだけの交流はしてきた。
「……木野さん、やっぱりすごいよ」
「別に私はたいしたことない……いや、いいから。何も言わなくて」
一典の反論の気配を察したのか、茜が手で制した。
「君だって特技あるじゃん」
「楽器とか?」
一典がジョークで返すと、違う、と茜はまじめに否定した。
「君のその強引でも不愉快にならない感じって、結構な武器だと思う」
これまで言われたことのない言葉に、一典は返す言葉を失った。その意味が浸透するにつれ、熱いものが胸に宿る。
「そっか。ありがとう」
晴れやかな表情で、茜を見る。彼女が小さくうなずいた。
「じゃあ、それを活かしてなんか頑張るね」
「やりすぎない程度にね」
あっさりと答える茜の横顔を一典は心にとめた。
玄関先で二人は別れる。
茜が手を振った。一典もそれに答える。
「またね!」