2nd song
一時間ほどたち、茜が帰り支度を始めた。一典もそれに習い、二人で玄関まで連れ立って歩く。いつも通り、特に話題もなく廊下を進む。
(さて、どう切り出すか……)
一典は思いめぐらす。出会いから数ヶ月、この機会を待っていたのだ。そろそろ学園祭の準備が始まる。時間がない。
「じゃあまた」
「あっ、ちょっと待って!」
あっさりと言って自転車置き場へ向かう茜を呼び止めた。彼女のまっすぐな視線を受け、一典は二の句が継げない。
「えーっと……」
視線をそらしながら、一典は次の言葉を探した。
「あ、そう、学園祭なんだけどね!」
「……学園祭がなに?」
「えーっと、その、そう、木野さんのクラスは何をするの?」
各クラスで出し物をすることになっている。演劇やダンスなどが多い。
「さあ。なんかダンスとかするみたいだけど」
「木野さん……自分がやるんでしょ」
「私は適当に裏方やるから」
「そっか」
その様子は想像できて、一典は納得する。
(って、だからなんなんだ)
話したいのはそんなことではない。しかしきっかけがない。
茜が滑り込むように言った。
「この期間は、教室が空かないから面倒なんだよね」
素っ気ない中にも切実さを感じて、一典は茜をみた。それから廊下の方に目を向ける。今日はまだ静かだが、本番が近づくにつれて、校舎は騒がしくなってくることだろう。
その間、茜はどうしているのか。けだるげにクラスの出し物の小道具でも作っているのだろうか。歌いもせずに。
「木野さんっ!」
勢いの良い一典の声に、茜が驚き、振り返った。
「歌えばいいじゃん。学園祭で!」
学園祭では、クラスや部活の発表の他に個人的な枠もある。大抵趣味でやっているバンドの演奏が多い。
「なんでわざわざそんなことしないといけない。私は別に誰かに聞いてもらいたいわけじゃない」
一典は小さく頷く。それはこれまでの言動から察しがついている。
「でもさ。学園祭でなら、今までみたいにおさえて歌うこともないでしょ。思いっきり声出せるじゃん」
茜は考えているようだった。一典は興味のないふりをしつつ、心中は期待しながら返答を待った。学園祭で彼女が歌う姿を想像する。きっと会場内は空気が一変するだろう。
「……いや、やっぱめんどくさい」
「ええっ! そんな。じゃ、色々手続きとか僕がやるから」
「出ない人にそんなことさせられないし」
「じゃあ出るから! 僕も出るから!」
そう言った一典を、茜が意外そうに見る。
「出るって何。何するの?」
茜の視線を受けて、一典は勢いよく言った。
「楽器。一緒に楽器演奏する!」
「……本気で言ってるの?」
「まじまじ大マジ!」
勢い良く一典が言った。茜の視線が一典に刺さる。一典はひるみそうになる自分を押しとどめた。
「わかった。じゃあ、今度ちょっと演奏聞かせてくれる?」
(なんでこうなった……)
夕食後、自室に籠った一典は、電子キーボードを前に悪戦苦闘していた。
物置の奥から探し出したそれは、ほこりをのぞけばほぼ買ってきた時と同じ状態だった。
さまざまな種類の楽器音が出る機能など、最初こそ楽しんでいたが、いざ曲を弾こうとすると一筋縄ではいかない。しかし、なんとかするしかない。茜が歌うかもしれないのだ。
一典は昔の音楽の教科書とネットの知識を参考に、見よう見まねで音を出してみる。
壁にかかったカレンダーを見た。学園祭まであと一ヶ月。
(一曲だけなら……なんとかなる!)
たどたどしい指使いで練習を続けた。
二週間後。
一典は重苦しい気分で歩いていた。背中には、キーボードを背負っている。
カラオケボックスの入り口で、茜が待っていた。私服姿は新鮮だったが、浸る余裕もない。
「すごいかっこうだね」
茜のひとことに生返事を返し、二人は店内へ入った。
そろそろ聞かせてほしい、と茜に言われた時、一典は聞かなかったことにしようかと思った。
校舎内は徐々に学園祭ムードになってきている。教室には出し物の小道具らしきものがちらほら見える。今は空いているこの教室も、あと数日もすれば生徒達でにぎやかになるだろう。
一典も茜と会う機会が少なくなる前にとは思っていた。しかし、とても言いだせるレベルではなかった。
茜が選んだ歌は、高校生にも人気のグループの曲だった。一典も知っている。普段茜が歌う傾向とは違うが、一典には有難かった。楽譜が読めないので、知っている歌でないととてもできない。
しかし、問題は前奏だった。この歌はサビから始まる。前奏なしでは、合わせづらい。しかし前奏はほとんど聞いたことがなかったため、大変手こずっていた。
「じゃ、時間ないし早速やってもらっていい?」
普段よりくだけた調子の茜が、今は遠く感じる。
一典はのろのろとキーボードをテープルに置いた。「けっこういい楽器だね」などと言われ、ますますプレッシャーを感じる。
(もういい! やるしかないっ)
あとは茜に委ねよう。一典は電源を入れた。
電子音の響きが消え、曲が終わった。一典はうなだれる。
間違いはしなかった。今の自分はこれしかできない。けれど、不十分なのは間違いなかった。
茜の手が楽譜を手に取った。全て音階や注意書きがある、書き込みだらけの紙きれ。
「……日比谷君さ、楽器やったことないでしょ」
一典は力なくうなずいた。茜の方を見ることができない。
「それでもやるの?」
「……ごめん。ほんとごめん。偉そうなこと言っといて…」
茜がのぞきこむように一典に近づいてきた。思わず顔をあげる。
「別に責めてるわけじゃなくて」
そこで考えるように間を置いた。
「なんでそんな必死になるの? 私の歌なんて、たいしたことないよ」
「そんなことないよっ! みんな聞けば分かるよ。僕は最初から思ったし。この人大成するって!」
噛み付くような勢いで反論すると、茜は不思議そうに一典をながめた。小さく笑う。
「変だね。日比谷君て」
茜がマイクを手に取った。
「最初の音、くれる?」
何のことか理解できず、一瞬固まってから、一典は慌ててキーボードの一音を押した。
すっと息を吸い、茜が口を開いた。
教室で聞いたものとは違う、広がった声。音量は大きく、けれど近くにいる一典の耳にもぶつからない滑らかさ。
(すごい)
予想はしていた。けれどそれ以上だ。
最初のフレーズだけ歌い、茜は歌を止めた。
「あのさ、合わせるから。日比谷君は、できるだけやってくれればいいから」
いつもと変わらぬ調子で茜が言った。