表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

1st song

 年に一度のまつりの季節がやってきた。学園祭である。

 担任のぼそぼそした説明を聞きながら、一典は高揚してくる自分を感じた。とうとうこの時が来たのだ。

(木野さんを、口説き落とす!)


 彼女に会ったのは、学年が変わってすぐのことだった。

(何の音だろう)

 静かな廊下を歩きながら、一典は歩調を緩めた。

 放課後の校舎は、今の時間帯は人の気配がない。にぎやかな吹奏楽部は一階の音楽室で、ここまで音は届かない。時折窓の外から、運動部のかけ声がかすかに聞こえる程度だ。今自分が聞いたのは、どれにも当てはまっていない。なにか、歌のような。

 二年六組の前を通り、音はここから来ているとわかった。閉まったドアの向こうから聞こえるメロディ。少女の声。

(この人、うまいんじゃ?)

 ドア越しでもわかる高音の響き。少し鼻にかかったけだるげな雰囲気は、一典も好きな人気アーティストを彷彿とさせる。知らない曲だが、引きつけられるものがあった。

 

 一曲が終わり、一典は心中で拍手する。が、その拍手が終わる間もなく次の曲を歌いだした。ノリのいい曲調。先程の雰囲気とはまるで違う。一典は音楽に疎い方だが、それでも少女の歌は違うということはわかった。

 一典はそっとドアに手をかけた。十センチほど隙間をあけ、片目で中をのぞく。

 がらんとした教室。窓際に座って、外の方を向いている女子生徒がいた。茶色がかったやわらかいセミロングの髪。大きな黒いヘッドフォン。机に置かれた指が、曲に合わせてリズミカルに動く。軽やかなリズムと力強い声。

 しばらく眺めた後、一典は慎重にドアを閉めた。ドアの横の壁にもたれて立つ。背後では新たな歌が流れ始めた。目線の先では、空が赤くなり始めていた。


 その出会いから、一典はたびたび彼女の歌を追うようになった。帰りに教室をのぞくと、いつ行っても同じ場所で歌っていた。一典は毎日行くわけではない。にも関わらずいるということは、たぶんいつも放課後に歌っているのだろう。

 だが調べた限り、バンドを組んでいる様子もなく、彼女が歌っていることは知られていないようだ。そうでなければ、なにかしら話題になっているはずだ。それに値する歌声だと一典は感じていた。


 木野 茜。

 それが彼女の名前だとわかるまで、それほど時間はかからなかった。

 六組の知り合いに聞いてみると、「ああ、木野かあ」と教えてくれた。

 曰く、美人だが愛想がない、授業中は大抵寝ている、いつも一人で、親しい友人がいる気配がない。授業が終わるや否や、すぐに教室から出て行く。

 彼女がどうかしたかといぶかしむ知人には、適当な理由をつけてごまかした。

 一典は小さく安堵する。

(なら、やっぱりあの子が歌ってることは知られてない)

 知ってほしいが、知ってほしくない。

 矛盾する感情を持ちながら、今日も二年六組に向かった。

 

 そんな彼女と接点ができたのは、一ヶ月後のことだ。

 その日も一典は、部活帰りに二年六組に向かっていた。彼女がいることを期待し、廊下を歩いていると、耳になじんだ声が聞こえた。うきうきした気分で教室のドア付近の壁に寄りかかった。

 けれど、いつもドア越しなことが不満だった。表に出てどこかで歌ってくれれば、自然な歌を聞くことができる。彼女も気を遣っているのか、音量を抑えている雰囲気だ。

(人前で歌ってくれないかな)

 閉ざされたドアをじっと見ながら、一典は思う。そうなった時の皆の反応も見てみたかった。

 歌が途切れた。次の曲が始まるのを待っていると、小さな物音がした。すぐ横のドアが勢いよく開いた。

 茜がいた。ヘッドフォンははずれていて、鞄を持って今帰るところのようだった。

 一典はふいうちに対応できず、固まる。茜は意外そうに目をまたたかせた。

「……なに? この教室に何か用?」

 発せられた声は、歌っているどの声とも違った。けだるげな印象はなく、普通の、少し低めの女子の声だ。答えられない一典を無表情で眺めている。

「私は出るから、ごゆっくり」

 一典とすれ違い、そのまま歩き出した。

「あっあのさっ」

 思わず呼び止めると、茜が立ち止まって振り返った。大きな丸い目がまっすぐに一典を見た。

「明日も、歌う?」

「……だったら何なの?」

 そっけなく茜が言うのに、一典はひるむ。むりやり言葉をしぼりだした。

「あの、また聞きにきてもいいかな。僕、木野さんの歌のファンなんだよね」

 自然とこぼれた言葉は、我ながら真理だと一典は思った。

 言われた茜は、喜ぶでもなくじっと一典を見た後、「いいよ。別に」と相変わらずの表情で言った。


 その時のことを思い出し、一典は感激がよみがえる。無意識に笑みがこぼれた。

 がらんとした教室に歌が流れている。その中で、一典は参考書を開いていた。

 今教室には一典と茜しかいない。二人は対角線状で遠い位置にいた。

 茜は定位置、窓際後から二番目。一典は廊下側前から二番目に座っている。

 当初は、一典が適当な場所に陣取って聞いていたのだが、お互いになんとなく落ち着かないということで、現在の状況になった。

 また曲調が変わった。今度は一典も知っている。昭和歌謡と呼ばれるたぐいのものだった。顔をあげて茜を見ると、楽しげな横顔が見えた。

(木野さんは、満足してるのかな)

 教室内で聞くようになり、一典は最初こそ喜んでいたが、徐々に不満を感じるようになった。

 茜は本気で歌っていない。鼻歌のように、流れのままに歌うだけで、聞かせようという気が感じられない。

 それを不満に思うのは、一典の勝手な思いだ。本人はただ歌うだけ。

(でも、それじゃ、もったいない)

 だからこそ、一典は行動に移すことにした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ