月に吠えろ 1
ジャンル:ローファンタジー
本人の希望とは裏腹に、その凶悪な見た目のせいで周囲から距離をおかれている少年――
真神伊織、十七歳。
可愛い女の子とキャッキャウフフしたい彼に寄って来るのは、世紀末のモヒカンみたいなヒャッハー野郎共ばかり。
そんな彼の前に現れたのは、学校一の美少女といわれる日野苑眞。彼女と関わったことで、伊織の日常は大きく変わってゆく――
満月が繋げる、少年と少女の物語。
※ 以前あげていた短編の改稿版です。長かったので4話にわけました。
「もうだめ……我慢、できない」
ぷるんと柔らかそうな唇から切な気に零れ落ちる熱い吐息。長い睫毛に縁取られた大きな琥珀色の瞳は金色に輝き、ふっくらとした頬は上気して薄桃色に染まっていた。
妖しげに輝く満月を背にした彼女はとても蠱惑的で、そして絶対的だった。俺は蛇に睨まれた蛙のように身動き一つできず、ゆっくりと近づいてくる彼女のやたらきれいな顔をただぼうっと眺めていた。
色素の薄い、瞳と同じ琥珀色の柔らかな髪が、ふわりと俺の顔をなでてゆく。シャンプーの香りだろうか、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
そして耳元におとされたのは、蜂蜜のようなとろりとした甘い囁き。
「ちょうだい、あなたの全部を」
※ ※ ※ ※ ※
雑踏を歩けば俺の前にだけ道ができ、泣く子は俺を見てさらに泣き叫び、犬はしっぽを丸め一目散に逃げていく。だってのに、ガラの悪い奴らだけはなぜかやたらと寄ってくる。それがあまりに鬱陶しいんで全員返り討ちにしてたら、いつの間にか『千疋高の狂犬』なんて恥ずかしいあだ名を付けられていた。
不本意だ。ものすっっっごく、不本意だ。
そもそも、俺から手を出したことなんて一回もない。それなのに毎回毎回、わらわら湧いてきてはアホみたいに絡んできやがって。本当にどっから湧いてきやがるんだよ、こいつらは。
「くそっ……! なんで俺の周りには、こんな野郎どもしか寄ってこねえんだよ!!」
返り討ちにしたバカどもの山のてっぺんで、俺は腹の底からため息を吐き出す。
もう嫌だ。毎日毎日、何で俺はこんなバカどもの相手をしなけりゃならないんだ? 俺、何か悪いことしたか? ちょっと人より、見た目がいかついだけじゃねえか。
だいたい俺だって、好きでこんなにでかくなったわけじゃねえし。仕方ねえだろ、中一の時にゃもう一八〇越えちまってたんだよ。最近やっと一九〇で止まったんだぞ。
それと、三白眼で目つき悪いのは生まれつきのもんだ! ガン飛ばしてるわけじゃねえっつの!! 日本人じゃあんま見ねえこの琥珀色の目だって、生まれつきなんだから仕方ねえだろうが。
なのになんで毎日毎日、俺はこんなバカどもとどつきあいしなきゃなんねぇんだよ!
この真神伊織、これまでお天道様に顔向け出来ねえようなこたぁ一切やっちゃいねえ。授業だってサボったことねえし、成績だって別に悪かねえ。煙草や酒はもちろん、女にだって手を出したことねえしな!
「こんな野郎どもとどつきあうより、俺は可愛い女の子とお付きあいしてぇんだよ!!」
※ ※ ※ ※ ※
最近、やたら視線を感じる。
まあ、それなりに有名人になっちまってるんで、見られるのは日常茶飯事っちゃ日常茶飯事なんだが……ただ、なんつーか最近感じる視線は、そういうのとはまた違うっつーか……
――またか!
例の視線を感じて即座に振り返ると、そこにいたのはいつもの女。慌てて目を逸らしやがったが、間違いなく今も俺のことを見てた。
日野 苑眞
あの視線を感じて振り返ると、いつもこいつがいる。で、俺に気づかれるとソッコー逃げる。一体なんだってんだよ!
「よっ、この色男」
この完全に人をおちょくってるムカつく声、見なくてもわかる。
「うるせえ、バカ信」
葛葉忠信。
小学校の頃からの腐れ縁で、唯一初対面から俺に普通に接してきた変わりもん。
「えー。でもあの子、いっつもお前のこと見てんじゃん。アレ、絶対お前に気ぃあるんだって!」
「はぁ!? あるわけねえだろ。バカじゃねえの、オマエ」
俺の大声に、周りのやつらがいっせいに飛び退いた。さっきまであんなに賑やかだった昼休みの廊下が一転、今や試験中のような静けさだ。
そんな中、空気を読まない忠信は口をとがらせながら文句を言い始めた。
「なんでだよ、あるわけなくないだろ。わかってないのは伊織の方だよ! ……よし、わかった」
何がわかったのか、忠信は突然走り出した。
――激しく嫌な予感しかしねえ!!
俺はすぐに忠信の後を追いかけたが、やつとの距離はまったく縮まらない。くそっ、あいつ足だけは無駄に早えんだよな、畜生!
「待てやゴラァァァァァ!!」
俺が怒号をあげた瞬間、忠信まで一直線に道が出来た。壁際から送られてくる恐怖におののく視線が多少痛いが、今はそんなこと気にしてる場合じゃねえ。とにかく、今はあのバカを捕まえる方が重要だ。
やっとのことで忠信に追いつくと、ヤツはちょうど日野に話しかけるところだった。
「日野さんさぁ、伊織のこといっつも見てるけど……もしかしてあいつのこと、好きなの?」
アホか!! 何聞いてくれてんだテメエは!
俺は即座に忠信の後頭部へ一発お見舞いすると、日野を見た。
しみ一つなさそうな色白の肌に、薄茶色の柔らかそうな髪とやたらでかい目。まつげも長くてバサバサだ。そんで不安そうに俺を見上げてくるその姿は、なんつうか小動物みてえで。庇護欲ってやつを無性に刺激される。
さすが学校一の美少女。どうせなら俺も、あんなむさくるしいバカどもじゃなくて、こういう美少女に追っかけられてえよ……
なんてアホなことを考えてたら、その目の前の美少女が震えながら口をぱくぱくさせ始めた。
「あの……わ、私、その……」
やべ、ついガン見しちまった。おいおい、日野、涙目になってんじゃねえか。これ、絶対睨んだって思われただろ。クソッ、またやっちまった。
「ち、違う! 今のは睨んでたわけじゃねえ!!」
俺の馬鹿でかい声に、目の前の美少女の肩がびくりと揺れた。しかもそのでっかい目には、今にも零れ落ちそうなくらい涙がたまってる。
「いや、だから、その……」
完全にお手上げだ。バカども相手なら一発殴って黙らせるんだが、女相手だと、どうしていいかわかんねえ。
「痛たたた……あのなぁ、いきなり殴ることないだろ。いいか伊織、人には言葉という便利なものがあってだな」
後頭部をさすりながら立ちあがったのは、この状況を作り出した元凶、忠信。
そうだ。そもそもこいつがわけわかんねえこと言いださなきゃ、こんなことにならなかったんだ。毎度毎度毎度、なんでこいつはわざわざ面倒事を作り出すんだ?
「うるせえ! いいから教室帰んぞ。昼休み終わっちまうだろうが」
俺は忠信の襟首を掴むと、その場から逃げだすように歩き出した――はずだった。
「待って!」
突然、手首を掴まれた。
振り返ると、そこにはなぜか俺の手を掴んだまま、必死な顔で見上げてくる日野。
「そ、その……実は、君に話したいことが……って、えぇ!?」
「うわっ、伊織!? ちょっ、お前どうしたんだよ。鼻血、鼻血!」
忠信の声で慌てて鼻の下に手を当ててみると、確かにぬるっとした感触がして。
おいおい、嘘だろ……。高校生にもなって、女に手ぇ握られただけで鼻血って。そりゃありえねぇだろ、俺。
慌てて拳で鼻をこすったその時、突如謎の浮遊感が俺を襲った。
「…………は?」
そして俺はなぜか、至近距離から日野に見下ろされていた。
おかしい。ついさっきまでは俺が見下ろしてたはずなのに、何で今、しかもこんな近くから俺が見下ろされてんだ?
「このまま保健室、行くね」
いや、待て待て待て! なんだこの状況!?
なんでこんな華奢でいかにも女の子な日野が、俺みたいなごっつい大男を“お姫様抱っこ”で軽々と抱えてんだ!?!?
「ちょっ、下ろせ! いや、すみません、下ろしてください!!」
「大丈夫。私こう見えても、けっこう力持ちだから」
そういう問題じゃねぇ! 違うんだ、これは俺の男の沽券ってやつなんだ!!
「頼む、下ろせェェェェェ!!!」
今まで生きてきて初めて、女の子にお姫様抱っこをされて、保健室に連れていかれた。
※ ※ ※ ※
そんなこんなで今、俺と日野は保健室にいた。
そんでなんでか間が悪いことに、先生がいねぇときた。どこ行きやがった。なんで肝心な時にいねえんだよ!
心の中で先生への文句を並べていると、ぎしっとベッドが軋む音。見ると、なぜか日野がベッドに腰掛けてこちらを見ていた。光の角度かなんかなのか、いつもは琥珀色の日野の目は、今は金色に見えた。
そういやこいつも俺と同じ、珍しい目の色なんだな。
「先生、戻ってこないね」
そう言いながら、なぜか日野はベッドに上がってきた。そして四つん這いになって、じりじりと俺の方に近づいてくる。ちなみに俺はといえば、そんな彼女に気圧されて、ただただ後退るのみ。
「あ、ああ。じゃあ、鼻血も止まったことだし、俺はこれで……」
迫りくる日野から逃げようとベッドから降りようとした瞬間、目の前を白く細い腕に阻まれた。
「どこ、行くの?」
ベッドの上――背中には壁、脚の上には日野。なんだ? 俺は今、いったいどういう状況なんだ? なんで日野に、俺はベッドの上で壁ドンされてるんだ!?
何だよこれ。これじゃまるで、俺、襲われてるみたいじゃねえか!
「だーめ。逃がしてなんて、あげない」
これ、普通は男と女の位置が逆じゃねえか? それにさっきみたいなお姫様抱っこだって、男の俺はする方で、断じてされる方じゃねえ!
追い詰められて焦る俺とは対照的に、日野は余裕の笑みを浮かべている。いや、余裕っつーか、獲物を前にした狼っつーか……
くすりと笑うと、日野はいきなりずいっと顔を近づけてきた。
「私ね、もう……我慢、できない」
何を? と、聞きたいのに。日野の甘い香りは、俺の脳髄を麻痺させる。
「だから、ちょうだい」
耳元で囁かれる甘い声に、俺の本能が支配される。押し付けられた柔らかい感触が、首にかかる湿った温かな吐息が、俺の体の自由を奪っていく。
「あなたの――」
「いーおり…………って、え?」
乱入者の登場に、日野の動きが止まった。
ナイスタイミング、忠信! お前の空気の読めなさと間の悪さは天下一品だ!! けど、今回だけはマジで助かった。
「あれ? 私、何して…………って、え?」
きょとんとした日野と、鼻と鼻がぶつかりそうなほどの超至近距離で目があった。
そして見つめ合うこと数秒――――次の瞬間、保健室には絹を裂くような悲鳴ってやつと、ばっちぃぃんという大きな音が響き渡った。