水に飛び込むように
逆さ虹の森と呼ばれるのは、虹が理由です。虹が逆さまになって、ずっと残っているから、逆さ虹の森です。不思議で、きれいな森なので、多くの動物が一緒に暮らしています。
森のクマはお腹が減っています。今日の昼ご飯は、きのみでしたが、ほとんどヘビが食べてしまいました。ヘビはいつも親切です。でも食いしん坊なのだけは、ちょっと困ります。
「ぼくが食べてって言ってから、ずっとなんだ」
クマがそう言うと、キツネは首をかしげました。
「どういうこと?」
「うん、前にお腹が痛くて、ご飯を食べてもらったんだ。ご飯を残すと、アライグマが怒るでしょう。だからヘビに食べてもらったんだ」
アライグマは乱暴なところがあります。たしかにご飯を残すのはよくないです。でもお腹が痛いなら、無理しなくてもいい。クマはそう思っています。
ご飯を食べて、とクマがヘビに頼んだのは一度きりでした。それからもうずっと、ヘビはクマのご飯のほとんどを食べてしまいます。
「お腹はもう痛くないんだろう? だったらヘビに言いなよ……もう大丈夫だよって」
「怒らないかなぁ」
「怒らないさ。ヘビが親切なのは知ってるだろう」
キツネの言うとおりです。昔、クマは、ヘビに助けてもらったことがあります。クマが森で迷子になったとき、太陽が沈んでからも探してくれました。
クマは落ちている枝を拾って、小さく折っていきます。そうしていると、お腹が空いていることを忘れられる気がするからでした。クマが小枝の山を見て、つぶやきます。
「嫌われないかなぁ」
「嫌わないさ。クマとヘビは、仲良しだろう」
これもキツネの言う通りだと、クマには分かっています。でも勇気が出ないのは、どうしようもありません。
「がんばってみようよ。クマのご飯なら探してあげるからさ」
そう言い残して、キツネは走り出しました。少し遠くのほうに行って、食べ物を取ってきてくれるのでしょう。すばやく走って行ったので、クマはお礼を言いそびれました。
クマにとってキツネは憧れでもあります。キツネは優しくて、すばやく走ります。
クマも、かけっこなら得意ですが、よし走り出そうと思うまでが遅いのです。だからあんまり、かけっこは好きではありません。できないことを好きにはなれません。でも、クマは勇敢な動物にあこがれます。ずっと昔から変わらない、クマの夢です。
クマはドングリ池にやっていきました。
ドングリ池は森の深いところにあります。大きな木々が、太陽の光をさえぎって、昼間でも薄暗い場所です。クマはちょっと不気味だと思っていて、いつもは近づきません。でも、今日は違います。
お願い事をするためです。ドングリ池にドングリを投げ入れて、お願いごとをするとかなう。そんな言い伝えがあるのです。
大きな右の前足に、小さなドングリひとつ。クマは大事に握りしめています。
すると、
「なにを願うのかよりも、
なにを願わないかが大切サ」
コマドリが詩のように言いました。誰もいないと思っていたクマがびっくりして、しりもちをつきました。
木の枝にいるコマドリは、さわやかな声で続けます。
「願いがかなったとして、
それは、いったい、だれのおかげだろう。
きみだ! と言われるのはクマ。
ぼくだ! と言えるのカナ。
ドングリなら、そこらに落ちてるが、
願いの数ほどは落ちていない。
星の数にはとどかない」
コマドリは飛んでいってしまいました。
クマはなんだか急に恥ずかしくなってしまいました。でも勇敢になれるようにとお願いをします。水面にはクマの顔がうつっています。ドングリひとつを池に投げます。ぽちゃんと、小さな音がしました。
どうか勇敢になれるように。
池の波紋が広がっていって、静かに消えていきました。
クマが歩いていると、キツネの声が聞こえます。
「おーい、おーい」
声はオンボロ橋のほうから聞こえます。
クマはビックリして、しりもちをつきました。
「クマかな? 大丈夫かい」
しりもちの音が聞こえて、キツネは心配そうに声をかけました。
クマはそっと橋のほうに近づきます。でもそこには橋がなく、おそるおそる下を見ると……。
キツネがオンボロ橋にしがみついています。橋がまん中で落ちてしまって、そのはしっこにキツネが爪を立てて、なんとか張りついていました。
昨日は雨が降ったので、川のいきおいが強くなっています。川に流されたら、岩にぶつかってしまうかもしれません。
クマが頭を抱えながら叫びます。
「どうしよう、キツネが大変だ!」
「うん、もうしっぽの先がぬれてしまった。水浴びと思えたら良かったんだけど」
「どうしよう」
「誰か呼んできてほしい。アライグマか、リスかな。力強くないと助けてもらえない」
クマは恥ずかしくて、きゅっと目をつむりました。本当は自分がいちばんの力持ちなのに、怖くてキツネを助けられません。
「キツネ、ごめん……」
「いいんだ」
クマは振り返って、アライグマやリスがいることが多い広場に向かいます。でも、一歩進むごとに後ろを振り返って、キツネは落ちてしまわないだろうかと、不安になってしまいます。
コマドリの歌が風にのって聞こえてきました。
「ドングリならそこらに落ちてるが、
願いの数ほど落ちてない。
星の数にはとどかない。
池に映った星を取りに、自分いっぴき投げいれた」
池に映った星を取りに、自分いっぴき投げいれた。
心の中でつぶやいて、クマは川に飛び込みました。
どぼん!
リスは根っこ広場で、キツネに謝りました。なんと、キツネが橋をわたってるとき、おどかしたのはリスでした。オンボロ橋をリスやクマは使いません。今にも落ちそうで、怖いからです。
リスが顔を隠しながら言います。
「キツネは強がってるだけだって思って……ちょっとびっくりさせようと」
橋を渡っているキツネに、リスは大きな声を出しました。あんまりにもびっくりしたキツネは、橋のロープの切れ目にぶつかってしまいました。そして、そのまま橋は落ちてしまったのです。
キツネが照れたように頭を前足でかきます。
「確かに、オンボロ橋は怖いね」
リスは言います。
「ごめんなぁ、もうしないよ。信じてくれる?」
「もちろん。ここは根っこ広場だよ」
根っこ広場で嘘をつくと、長い根っこに捕まってしまう……リスは前に嘘をついて、根っこに振り回されたことがあります。
「だから、もう怒ってないよ」
「本当に?」
「ここは根っこ広場だよ」
キツネは同じことばを、同じように優しくリスに言いました。
クマはヘビに声をかけます。
「あのね、もうぼくのご飯を食べないで欲しいんだ」
ヘビは驚きました。ヘビは「クマは、自分ほどいっぱいご飯を食べられないのだろう」と、そう思って、代わりに食べていたからです。
「ごめんよ。ご飯をいっぱい食べられないのが、どんなにつらいか。わたしが一番知ってるのにね」
ヘビが言うと、クマは首を横に振った。
「あのときは、ほんとうにお腹が痛かったんだ。食べてくれて、ありがとう」
二匹は目を合わせると、笑いました。
コマドリが歌います。
「なにを願うのかよりも、
なにを願わないかが大切サ。
勇敢になることよりも、
勇敢なふるまいが大切サ」
クマはそれからも恐がりでした。大きな音にはびっくりするし、友だちに話しかけるときも、どきどきします。いろんなことに悩み、おびえてしまいます。
それでもクマは、ときどき誰よりも勇敢なふるまいをしました。
何度でも友だちを助けました。
どぼん! と大きな音を立てて。
逆さ虹の森で、水に飛び込むような大きな音が聞こえたら、それはクマが飛び込んだのでしょう。
クマは大きいので、水しぶきの後には虹が見えるかもしれません。
その虹は、逆さではありませんが。