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君影 ~今も君の名を~

作者: 夏日 純希

 彼女の、第一印象は“変な子”だった。

「私の名前はリリィ」そう言った彼女の姿は、カタカナの要素なんて、どこにも見あたらない日本人のそれだった。

 それでも、僕は彼女のことを「リリィ」と呼んだ。

 そう呼べば、彼女が嬉しそうに「なあに?」と返事をくれる。


 僕と彼女は、鈴蘭の咲く丘で出会った。

 そして、この丘で約束もなしに会っては話をした。

 彼女がどこに住んでいるのかもわからなかった。

 でも話すだけで、十分楽しかった。


 水害なんてめったにない穏やかな川のほとりにある僕の町。

 そこから、少し歩けばたどり着ける鈴蘭の咲く丘。


 僕は今日もここで「リリィ」と呼びかける。


 ◇


「なあに?」

 リリィはいつものように返事をくれた。

「鈴蘭って『君影草』とも言うらしいよ?」

「知ってるよ、他にも『谷間の姫百合』とか、『妖精のハシゴ』とも呼ばれてるね」

 せっかく仕入れてきた知識なのに、リリィの方が詳しくて僕はがっかりした。

「かわいい花だし、いろんな呼ばれ方があるのもわかる気がする」と僕は言った。

「名前ってそういうもの?」

「ん~、どうだろう? 名前は、何かを認識するのに必要なものだと思うから……」

「……認識かぁ。じゃあ、たくさんない方がいいね」

「どうして? なんか二つ名とかあったら格好良いと僕は思うけど」

「なんだか存在が曖昧になっちゃう気がしない?」

 気のせいだろうけどね、と笑いながらリリィは付け加えた。

「妖精のハシゴ。タトン、タトン、タトン……」リリィは中指と人差し指を交互に、鈴蘭の花に沿って上へと動かす。

「妖精なんていないよね?」

 リリィは動かしていた指を止めた。

「どうしてそう思うの?」

「いたらネットとかに広まってるよ」

 リリィは笑う。

「つまんない考え。こんな風には考えられないの?

 妖精はいる。でも存在を知られたら、記憶と一緒に消えなきゃいけない、とか」

「……。いいね、それ」

「いいでしょ?」

 そして、僕らは二人一緒に、にこりと笑うのだった。


 ◇


 リリィと最後に会った日は、前日からずっと強い雨が降っていた。僕はその日、増水した川の様子をこっそりと見に出かけてしまった。

「サトル、何してるの? そっちは危ないよ」

 あと20mも行けば川が見えるあたりで、白い傘をさしたリリィに出会った。リリィと丘以外で出会うのは……そう言えば、初めてだった。

「平気。少し様子を見るだけだから」

 僕は川へと歩みを進めると、濁々と流れる様が見えた。しばらく目を奪われていると子犬が流されてくるのを見つけてしまった。土手から身を乗り出せば届くかもしれない。

「サトル! 駄目だよ!!」

 僕はただ、リリィの前で格好良くありたかったから、少し無理をして身を乗り出し手を伸ばした。

「もう少し……」

 不意に体を支えていた手が滑り、僕は濁流に飲み込まれる。いきなり水が気管に入り、むせて何もわからなくなった。死の足音を近くに感じて、さらに体が強ばる。服が体に張り付いて思うように動けない。しばらくもがいたけれど、「死んじゃうのか」という言葉が胸の辺りから湧いてきた。

 苦しくて、苦しくて、せめて早く楽になりたいと思った。


 そのとき、ゆっくりと目の前にあの丘の花が舞い降りてきた。聞こえてくる声に促されるまま、僕はその花を掴む。

 遠くなる意識の中、眼に写る不思議な光景に、僕は首をかしげた。


「どうしてリリィに羽根があるんだろう……?」


 ◇


 目覚めると僕は丘の上にいた。

 花だと思って握っていた手の中には、リリィの手があった。

 僕は雨をしのげる大きな木の下で、リリィに膝まくらをしてもらっていた。

 僕は急いで体を起こす。


 リリィには、やはり羽根があった。


「私ね、鈴蘭の……妖精なんだ。この町とずっと一緒に生きてきた」

 僕はわけがわからなくて、呆然とリリィを見ていた。

「ごめんね、私、もうお別れしなくちゃ」

「お別れ? どうして?」

 過去のリリィの言葉が頭をよぎる。


(妖精はいる。でも存在を知られたら……)


 焦ったけれど、どうしていいのか全くわからなかった。

 僕とリリィはわかり合えていると思っていたのに、今は僕の中のリリィがふやふやに滲んでしまったかのようだった。そう言えば名前だって……。


 リリィの姿が、少しずつ景色に溶けて消えていく。


「ねぇ、リリィ。君の本当の名前を教えて。

 鈴蘭? 君影草? 谷間の姫百合? それとも妖精のハシゴ?」


 リリィは首を横に振った。

「サトル、あのね……確かにいろんな人が私のことを、いろんな名前で呼ぶけど……」



「サトルには、私のこと、ただ、リリィ、って、呼んで欲しい」



 彼女は涙ぐみながら、途切れとぎれにそう言った。

 僕はうつむいて、それから……どうか消えないでと願い、いつもの呼び名で、いつもより大切に、彼女の名前を呼んだ。

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