忘却
凛たち4人はその豪華絢爛な扉に行き着いた。
涼が航を抱えたままその扉を蹴破った。
「学園長!!大変です。敵が学園内に!」
涼の突然の入室に部屋の中にいた全員が扉の方向を向いた。
そこにいたのは学園に所属する教師全員と『生徒会』『風紀』のメンバーだった。
『生徒会』は天輪学園のなかでも様々な面でその実力を認められた生徒が所属している。
『風紀』は学園の中でも『生徒会』に匹敵する実力をもった生徒が選ばれる。
どちらも実際に教師陣や理事会から選ばれるのは生徒会長や風紀委員長のみで、その他の役員や委員はその者によって指名される。
故にこの二人の学園での権力は絶大であり、教師さえも凌駕しかねないためその選出は慎重に行われる。
「なんだ高森涼。騒々しいぞ。入るならノックをしてから……」
「それどころじゃないんだ!敵が、白銀の狼が校舎内に入ってきているんだ!」
涼の言葉に学園長室は騒然となった。
「それは本当なの、高森くん」
涼に情報の確認を求めたのは生徒会長である守上飛鳥だった。
つまり全生徒の中で最強の帯刀者である。
「はい、間違いありません。先ほど二階の廊下で奴らの襲撃を受けましたから」
「そう、結界が破られたのね……よく無事だったわね」
「あ……はい……」
飛鳥は涼に背負われている航を見た。
「……とりあえず壬礼くんを治療しましょう。学園長、生徒会と風紀でしばらくは対応します」
「わかった。頼んだぞ」
「はい!」
飛鳥は傍らに立っている風紀委員長、七智一真と顔を見合わせた。
「いいか!事態は思った以上に深刻だ!まず放送によって全島の市民、及び学生に体育館への避難をよびかける。次に高等部3年以上の実力者と島にいる大人のなかで戦える者と連携を取りながら敵を殲滅する。体育館に集まった者にはそこを守れと伝えろ。固まって対応すれば死ぬことはないはずだ。わかっな!状況開始!!」
「「「はい!!!」」」
一真と飛鳥を先頭に生徒会と風紀が一斉に飛び出した。
『生徒会』と『風紀』が出て行った後、教師たちは情報収集と対応策の検討に追われた。
「お前たちは体育館へ行きそこの管理と防衛に当たれ。……それと高森涼、お前は残れ」
教師の一人が涼から航を預かり、近くのソファーへ寝かせた。
「あの、学園長……」
凛と静香が航のそばに駆け寄った。
「言わんでもわかる。だがお前たちをここに残すわけにはいかないんだ。それに学園内の状況をより多く知っている者が対応したほうが好ましい」
「で…でも…」
「いいから学園長の指示にしたがって。ちょっと俺は学園長と話があるから」
涼も凛たちに部屋を出るよう促した。
「…わかりました、失礼します。行きましょう凛さん」
「……うん」
そんなこんなで凛と静香は学園長室を出て体育館へと向かった。
校内の狼は粗方生徒会と風紀が始末していると思われるので、途中で襲われる心配も無いだろう。
「……高森、コイツはまさかあの力を使ったのか?」
千尋が航の身体の状態を視て気がついた。
航の力は使うと航自身の『存在』がぶれる。その状態は通常は大変危険であり、直ぐにでもその方面の能力を持った帯刀者か上級魔術師の処置が必要となる。
存在がぶれるということは即ち自らをこの世界につなぎ止める要素が薄くなるということだ。過去にはその結果、この世界に存在できなくなり消滅した事例もある。
だが、例外というものは如何なる場合でも存在する。
「ふむ…大丈夫だな。それほどでもない。放っておけばそのうち元に戻るだろ」
千尋は航を他の教師に任せ、涼を連れて屋上へと向かった。
「何をするつもりですか?俺をこんな所に連れてきて」
屋上へと続く扉を開け、千尋と涼は屋上の真ん中らへんへと進んだ。
「ここで儀式をする。この校舎を中心に結界を張り、その範囲を広げてゆく。知っての通り私の霊の力で私の許可なくこの結界には入れない。お前には私が儀式を行っている最中の護衛を頼む。恐らく無理をしてでも襲いかかってくるからな。お前は私と同じ『七つの大罪』だ儀式の障害にはならんだろ。…始めるぞ」
千尋が懐から大きめの試験管を取り出した。
中には銀色の液体が入っていた。
千尋は試験管の栓を抜き、その銀色の液体で魔法陣を書き出した。
銀色の液体の正体は水銀。
魔術においてよく媒介として用いられる金属である。
「…礎には銀。素には意志と契約の形象を。汝は……」
千尋が水銀で魔法陣を描きながら、詠唱を始めた。涼が『聖無き穢れの槍』を構えた時だった。
どこから湧いてきたのか、廊下で涼たちを襲撃したのと同じくらい、否、それ以上の数の狼が屋上のフェンスを飛び越えて襲ってきた。
「な……くそっ!…『ルシファー』!!」前方の狼を刺し貫いた瞬間に、涼は自らの霊を呼び出した。煌炎を纏った紅蓮の獅子。七つの大罪の一つ『傲慢』を司りし存在。
常世全ての罪を燃やし尽くすその炎が白銀の狼を燃え散らす。
だがその獅子も圧倒的な物量には対処しきれない。
獅子の炎をくぐり抜けた数体の狼が涼めがけてその爪や牙を振り下ろす。
それを涼は両手に具現化した『聖無き穢れの槍』でその腹を突き刺す。
白銀の狼の攻撃をかすりながらも何とか捌く。
一体、涼に爪で傷を付けたその勢いでまだ儀式中の千尋に襲いかかった。
だが、
「させるかよ!」
その狼の爪から肩を貫通して一本の槍が現れた。
「一匹たりとも俺の後ろには行かせぬ。この罪にかけても」
主の言葉に呼応するように紅蓮の獅子が天に向かって咆哮した。
体育館に到着した凛と静香が見たものは地獄…否、今まで見てきた光景が地獄だとしたらこれはその手前、賽の河原とでも言うべきか。
だが、そんな賽の河原でも…地獄には変わらない。
体育館の床には沢山の怪我人と死体が並んでいた。
腕が片方無い者、足が無い者、肩に穴が開いている者、上半身しか無い者、首が無い者…
そんな異形と成った者達の表情は恐怖と憎悪と絶望で染まっていた。
不意に足を掴まれた。
その手を辿ると其処には男子生徒がいた。
下半身が無い上半身しかない今にも死に絶えそうな男だった。
男は凛に「助けてくれ」と言った。
だが凛にはその男を助ける技術は無い。凛に出来るのは自分の足をかろうじて掴んでいる男の手をそっと退けることだけだった。
自らの不甲斐なさに反吐が出る。
廊下では航に助けられ、今この男には何もしてやる事は出来ない。
そんな自分を凛が今すぐにでも殺したくなったのは必然か…。
そんな中でも続々と負傷者と思われる人達が運ばれてくる。
医療技術がない凛や静香が自然に就いた仕事は、運ばれてくる人達が負傷者か又は死者かを判別する事だった。
そんな時、見覚えのある人が運ばれてきた。
凛のクラスメイトだった。
「千石さ……」
確かに『ソレ』は千石胡蝶だった。
人間は主に相手の顔で個人を識別する。
凛が見た『ソレ』は多少怪我はしているが千石胡蝶だとわかった。
だが、その体はすでに人間としての原型を保っていなかった。
四肢はなくその胴は半分以上が失われていた。
その腑はどす黒く変色し、もやは死んでいるという考えさえも浮かばぬほどにソレは死んでいた。
「……これは…もう…」
凛が諦め、千石に黒タグをつけようとした時だった。
「馬鹿者!何をしている!そいつを殺す気か!」
凛を突き飛ばし、千石の身体を運ぶ者がいた。
「え、でも…」
千石は既に人間ではない。ただのモノと化した。死してそれは確かにこの世でモノになったのだと、凜は思っていた。
だがそれを目の前に現れた女性は否定した。ピンチに颯爽と現れ、自分を助けてくれる主人公のように彼女は現れた。
「まだ助かる!ワタシが助けてやる!だから諦めるな!」
彼女の手が千石に触れる。
(まだ因果の糸は切れていない。だがズタズタだ…もう一度この因果を積むが直す!)
彼女の手を中心に術式が広がる。
「お前の運命の糸はまだ終わっていない。もう一度私が紡いでやる」
死者と向き合い続けた彼女の手がまた一つの戦いを引き起こす。
血が飛ぶ。
その両の手に槍を持ち、自らの命を引き換えにこの場を死守せんと戦う。
少年の傍らには紅蓮の獅子。
主を守らんとその鬣を燃やす。その背には一人の女性。
この島を救わんと罪を削る。
彼らの前には白銀の狼。
主の命を果たさんと血を求める。
既に多くの自分が槍に貫かれ
既に多くの仲間が煌炎に倒れた。
それでも狼は仮初めの主の命を守る。今、目の前の障害を排除することが最善と判断し全力で殺しにかかる。
涼は既に満身創痍だった。
それは必然。いかに強力な力を持っていてもたかが個人、圧倒的な物量には敵わない。
それが理、この世の法則。
だがいかなる場合でも抜け道、もしくは例外は存在する。
高森涼がその一つ。
彼の最大の武器は自分の血なのだから。高森涼の宝具。『聖無き汚れの槍』はゴルゴダの丘にてイエス・キリストを殺害した槍。キリストの血に最も触れた聖遺物の一つである。
だがキリストを殺した罪により、その形は無くなり所有者の血として受け継がれてきた。
よって、本来所有者の力に関係ない宝具の中で唯一「所有者の血によって威力が変化する」性質がもたらされた。
その性質とは「血を媒介とした超高位造形術式」である。
実際、涼はわざと紙一重で攻撃を受け、狼の爪や体毛に自らの血を付着させ、その血を媒介に槍を創造した。だが白銀の狼たちは次から次ぎえとやって来る。その規模ちまちました処理では追いつかない程だった。
ならばどうするか。そんなものは決まっている。
ちまちました処理では追いつかないのなら一気に処理してしまえばいい。
幸い涼は命さえ削ればいくらでも力が手に入るのだから。
「おおおおぉぉぉぉォォォォォッッッ」
自らの血を霧状に変化させる。
紅蓮の獅子が白銀の狼に襲いかかる。
狼たちはそれを回避する為に呼吸をする。
その時だった。
白銀の狼たちの体から無数の槍が突き出したのは。
鮮血が飛ぶ。
よがり苦しむ暇も与えず狼たちは絶命する。
危機を察した残りの狼は呼吸を停止する。
だが生物は呼吸によって活動する為のエネルギーを得ている。
それは霊でも例外ではない。
呼吸を止めた事による一瞬の隙、それを逃すほど高森涼は節穴ではない。
「燃やし尽くせ、ルシファー」
紅蓮の獅子がその身から煌炎を解き放つ。
白銀の狼が一つ残らず燃え散った。
全て終わった。
涼はコンクリートの固い床に膝を付いた。
血を使い過ぎた。もう紅蓮の獅子は愚か槍も具現化できないだろう。
(さて…学園長もそろそろ終わりそうかな)
先程から千尋の魔力が高まっているのが感じられた。
涼が未だ術式を展開中の千尋の方に体を向けた時だった。
ゾクッ
涼は背中に悪寒が走ったのを感じた。
恐る恐る背後を振り返る。そこには先程涼が消し去ったものよりも更に夥しい数の白銀の体毛が日の光を反射して輝いていた。