忘却
「凜さん…」
目の前に現れたのは、自分と同じ日に転校してきて数々の困難に立ち向かい、友情と呼べる関係を築いた
親友だ。
お互いの全てを肯定し、否定し、疑がった。
そんな関係だった。
目の前の少女は体育館で怪我人の手当てをしているはずだ。
ならば何故、その任を放棄し此処にいるのか。
もしや自分の目的と手段に気が付いているのではないか。
闇は人を疑心暗鬼にすると言うが、それには既に人ではない自分も含まれるらしい。
だがこの場ではそんな闇を否定せず考慮するべきだろう。そしておそらくそれは真実なのだろう。
即ち、目の前にいる浅上凜という親友は自分の障害なのだと。
「どうしたんですか?凜さん」
自分でも白々しいと思いながら一応きく。
「こ…航さんが…あなたを…」
ああ、やはりか…やっぱりあの少年は自分と同じだったのか。
「航さんが私に何の用でしょうかね?まあ、そうゆう事なら航さんを探しましょうか」
静香は苦笑しながら凜の脇を通った。
「ねえ静香さん。今回の事件にどう関わっているの?」
背後からそんな核心に触れた言葉がした。
「どうしてそう思うんですか?」
辺りに冷たい空気が張り詰める。
「航さんは私を殺してでもあなたの所に行こうとした。このタイミングからして今回の事件に関わっているとしか思えない」
「……………………………」
突然、凜に白銀の狼が飛びかかった。
「 」
言葉を発する暇も与えず、その白銀の牙は少年の喉元を喰らった。
直後、その顔は赤く染まり、目からは光が消え失せた。
そんな見るに耐えない光景を静香は静かに見つめていた。「………ッ…か…カハッ…やっぱり…あなただったんですね…ッ…」
静香は目の前でおきている現実が理解できなかった。
確かに殺したはずの凜が息を吹き返し、その目には確かな光が宿っていた。
その驚きは、無意識に凜から距離をとってしまう程だった。
「凜さん………あなたは……いったい…」
凜はやっとのことで立ち上がり、血まみれの身体に鞭を打ってでも正確に静香を見つめていた。
「そんな事は……どうでもいいんです……なんで、こんな事をしたんですか…」
「そ…それは」
「それはソイツが『咎人』だからだ」
静香の回答に被せるように、男性の声がした。
その声は凜の後方、静香の正面から聞こえた。
男の顔が街灯と月明かりによって照らし出された時、静香の表情は驚愕と恐怖に満たされた。
凜が振り返るとそこに居たのは、数十分前に自分を串刺しにした少年。壬礼航だった。
「………航さん…」
「なんだ?否定もしないのか…まあ否定したところで変わらないがな」
少年はフフッと笑った。不気味に。
「咎人………」
聞き慣れない単語だった。
咎、つまり罪を犯した人のことだろう。
しかし、凜には静香が罪を犯したとは思えなかった。たとえ数ヶ月という短い間だったとしても、静香は優しく強い存在だった。
「静香さん…なんで、なんでこんな事をしたんですか!こんなことをして…」
返答は直ぐに返ってきた。
「すべては私の謂われのない罪から逃れるためです。背負いたくもなかったこの十字架をここで壊すため。そもそも凜さんは咎人がどのようなものか、ご存じですか?」
「いいえ、知らないわ」
「そうだ、知らなくていい」
航はその手に日本刀を具現化させ、その瞳を金色に変えた。
「いいえ、知るべきです。この学園の生徒は知らなすぎます。自分たちの住むこの世界がどれだけ理不尽かを」
「それでも、これは俺達の問題だ。コイツは関係無い」
「関係あるわ!」
凜は航に振り向き
「私たちは友達でしょ?」
と言った。
航は仕方なく刀の具現化を解き、その禍々しい殺気を消した。
それを確認した静香は語り出した。
この世界の一つの事実を。
「凜さんは何故この世界が保たれているか知っていますか?」
「え?」
いきなりの質問に凜は理解できなかった。
この世界が何故保たれているのか、そもそもその意味さえも理解できない。
「おかしいとは思いませんか?凜さんも知っての通り、『帯刀者』の力を持っていても、契約できる霊は一人だけです。それは何故だかわかりますね?」
「うん、『一つの存在が背負える因果は一つだけ』だからだよね」
「その通りです。ではなぜ帯刀者は『自分と霊の2つの因果』を背負えるのでしょうか?……答えは簡単です。世界が帯刀者の因果を肩代わりしているのです」
確かに疑問だった。凜が講師に聞いても、「霊は別の次元にある存在だから」と返された。
「でもだったら……」
「そうです。いくら世界でも1万人以上いる帯刀者の因果を受け止めきれるのでしょうか?この答えも簡単です。世界も同じように自分の因果を肩代わりさせたんです。
「そしてその対象となったのが『咎人』なのです。いえ、正確に言えば世界の因果の一部を背負った人間が『咎人』と呼ばれるのですが。
「では世界は『咎人』にどんな因果を背負わせたのでしょうか。
「『罪』ですよ。『七つの大罪』なんて生ぬるい本当の『大罪』。人間数百人分よりも遥かに重い因果を人間に背負わせたんです。
「しかしそれでは誰も背負ってくれません。ですから世界は交換条件を持ち出しました。
「背負った罪に対応して力を授ける事にしたんです。その力を使えば奇跡さえも起こせる力を。
「それを知った人々は、我先にと契約を結びました。しかし、世界の罪に耐えられる人はそうそういませんでした。
「凜さんが咎人の存在を知らないのはそのせいでしょう。
「つまり、この世界は何人かの犠牲によって成り立っているのですよ。だったら、少しくらい見返りを求めてもいいと思いませんか?」
「見返り?」
「ええ…この十字架を下ろし、出口の無い螺旋を終わらせる。それが私の望みです」
「それじゃ…」
「そのために」
今まで黙っていた航が、口を開いた。
「そのためにお前は何人の命を奪った?そのためにお前はどれだけの死を産んだ?そんな自己満足でしかないお前はやはり…」
此処で殺す。
死刑宣告が言い渡された。
再び刀を具現化させた航は凜を追い越し、静香に切りかかった。
地面から白銀の狼が現れ、航の前に立ちはだかった。
航はそのままの勢いで狼を斬殺。
さらに数体の狼が現れたが、直ぐにモノとなり果てた。
「…無駄だ」
「そうでしょうか?」
航の周囲の地面が隆起し、百体以上の狼が現れた。
しかし、そんなモノは関係無い。
勝敗を決めるのは、数ではなく質なのだから。
呆気なく、辺りは赤く染まった。
「く……流石と――」
静香が何かを言いかけたが、それは航の攻撃によってかき消された。
今の今まで静香がいた地面は、大きな亀裂が入っていた。
「あら、もしかして秘密にしていたんですか?残念ですね、あなたに分かるのに私には分からないとでも思ったんですか?」
クスクスと薄笑いを浮かべながら、静香は新たな狼を召還した。
その数、ゆうに100体以上。
しかもその視線達は、航だけでなく凜にも向けられていた。
「え」
その言葉にもならない音を合図にしたかのように、白銀の激流はその堰を破壊した。
「浅上!」
航がその全力をもって凜へと駆ける。
もはや攻撃は間に合わない。せいぜい凜を突き飛ばすのが精一杯だった。
「……失策でしたね、航さん」
無数の狼が航へと襲いかかった。
完全に体勢が崩れていた航は、為すすべもなく白銀の激流に呑まれた。