忘却
「…ん……あれ?…私…」
どうして自分はこんな所で寝ていたんだろう。
凛はふと記憶を探る。
「…航さん…?」
何故か何度思い出しても航に会っていたことしか思い出せない。
(あたし…あたしは……)
航さんに胸を刺されて…
自分の胸を見る。だが痛みも無ければ制服も破れていない。
「そうだ…静香さん!」
航が静香に何かをしようとしているのは見てとれた。ならば航よりも先に静香を見つける必要がある。
(確か静香さんは気分が優れないからって外の空気を吸いに行くって言ってた)
ならば館内ではなく外だろう。
まあ静香が凜に嘘をついていたとしたらそれまでだが、それは考えたくなかった。
静香は学園から少し離れた公園にいた。
周囲は漆黒の闇に包まれ、ただ静寂があった。
そんな闇の中には彼女一人。
その足元にある既にモノとなった者を除けば。
いや、まだいた。少女に寄り添うように現れた一匹の狼。その体毛は電灯の光を反射して輝いていた。
「……いいよ。お食べ」
少女は狼の頭を優しく撫でながら許可を下した。
狼がその顎を開き、そしてモノに喰らいついた。
そのまま口の周りを赤く汚しながら、それは美味しそうに食べ続けた。
そしていつの間にか狼はいなくなり、少女の足元にあったモノも跡形もなく消えていた。
「――いい月ですね…」
空には聖々と月が輝いている。
光を放ち、光の真ん中にいる。
自分とは対極にいる存在。
今になればもう何も感じないが、昔はそれはそれは
憎かった。
あの月が。
自分を出口の無い螺旋に陥れておきながら、それでも世界を明るく照らすあの月が憎かった。
憎かった。
憎いが故に更に憎むために、自らを更なる闇へと誘った。
光を憎むために闇を好んだ。
それでも何人かは、私を光へと連れ戻そうと努力してくれた人もいた。
だけど、それでも皆、最後には私を忘れてしまった。
―必ず君を助ける―
そう約束した人もいた。
―友達だもの、一緒に道を歩こうよ―
そう約束した人もいた。
だけど、そんなものは幻想に過ぎなかった。
皆、次の日には私の事なんか忘れていた。
世界が私に用意した一時の儚き夢。
それが幻想と分かっていても、どうせ手放さなくてはならないと分かっていても、私はそれに縋るしかなかった。
少しでも自分を光の道へ連れ戻してくれる希望があったなら、私はそれに賭けた。
何度も何度も、失敗を繰り返し、絶望を繰り返し、それが螺旋の一部であるとも知らずに、ただただ、登るしかなかった。
ふと、違う可能性に気がついたのはいつだったか。
―誰も助けてくれないのなら、自分で救われるしかない―
私はその日から狂ったように文献を漁った。
少しでも希望があるならばその方法を試した。
でも、それさえも螺旋の一部だった。
絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望もう、それしかなかった。
ああ、なんで私はこんな事を忘却できないんだろうか。
他人からはどうしようもなく忘却されているのに、なぜ私は忘却できないのだろうか。
路頭に迷っていた私の前にあの男が現れたのは、それから間もなくの事だった。
「あなたも螺旋の人なの」
梅雨のジメジメした大気の中で私はそう問いた。
「違うよ。ワタシは魔法使いさ。君と似たような者だね」
男は梅雨の雨の中でそう嘯いた。
そして私はその差し出された天使の手を取った。
それから始まったのが、この殺戮の宴だった。
(やはり月は嫌いですね…昔の事を思い出してしまう)
そんな静寂の闇をノックも無しに破った者がいた。
息を切らし、こちらを睨みつけているのは
浅上凜だった。