忘却
佐々木静香を殺す。
止めるのでも無く、倒すのでも無く、殺す。
それが壬礼航の行動理由だ。
静香が今回の一件を起こした理由は容易にわかる。
ただ、静香は咎人でありながらそれに反する行動をした。
それだけで殺す理由は充分過ぎる。
静香も咎人である以上、世界と契約した時点で何らかの奇跡を起こしそして罪を背負った。
この罪からは絶対に逃げることは出来ない。
許されることは叶わず、救われることは許されず。
それが咎人だ。
世界は中立を望む。常にバランスを取り続ける事によりこの世の因果律は回り続ける。
白があれば黒があり、光があれば闇がある。
プラスがあればマイナスがあるのは必然。
だが静香はそれを良しとしなかった。
己の罪から逃れようと模索した。
どこまでも続く長い永い螺旋階段。塔から出る事はなくそのままただ登り続ける。
静香はそれを破壊する。
自分の因果を狂わせ、登るはずだった階段を捻じ曲げ、歩いていた道から無理矢理分岐させられた。
そんな罪を破壊する。たとえ相手が世界そのものだとしても抗い続ける。
すべては救われるために
すべては幸せになるために
すべては普通の女の子になるために。
普通に友達と笑って、普通に遊んで、普通に泣いて、普通に恋をして、普通の人生を歩むために。
ならばどんな手段でも使う。少しでも可能性があるならどんなことでもする。
だが、
そんな静香を航は否定する。
普通の人間が自分の人生から勝手に逃げるのはいい。だが他人の命を代償に逃げるなど言語道断、ましてや咎人が自らの罪から逃げるなどあってはならないのだ。
そんな奴を航は許さない。
殺してでも止める。
航が静香を探して体育館にたどり着いた。
「これは…」
酷い。航は純粋にそう思った。
ここは真の地獄だ。外と何ら変わらない、本当に地獄がそこにはあった。
床に並ぶ負傷者達、そしてその一角には白い布で体を覆い隠された人達がいた。
「………」
航はその一角に無言で頭を下げた。
だがこの規模の事件にしては死者が少ない。恐らくその手の優秀な帯刀者がいるのだろう。
数秒黙祷をし、頭を上げると背後で物音がした。振り返るとそこには血で染まったガーゼやタオルを抱えた凛が立っていた。
「こ…航さん…」
持っていたガーゼやタオルを床に落としたのにも気づかず、凛はその目にうっすらと涙を浮かべた。どんどん表情が崩れていく。
「うっ……うっ…うわぁぁぁっっ」
航の顔を見て一気に緊張の糸が切れたのだろう。凛は泣きながら航の胸に飛び込んだ。
「よかった。本当によかった。私あのまま航さんが死んじゃうんじゃないかと…ひっく…目を覚まさないんじゃないかと…ひっく……」
見ると凛の服は所々が赤く染まっており、航の服を掴む手からは鉄の匂いがした。
(どうやらここでももう一つの戦があったみたいだな)
「心配かけて悪かったね。でももう大丈夫だから」
航は静かに凛の頭をポンと手を乗せた。
「本当ですか」
「ああ本当だ。だからもう泣かなくていいんだよ」
そして航はそのまま両手で凛の頭を包み込むように抱き抱えた。
「………………で、ワタシはいつまでこの少女漫画のラストシーンを見ていればいいんだ?」
「「うわぁ!?」」
突然二人のすぐ近くから女性の声がした。
白衣を着た女性だった。髪は染めているのか茶色がかっていて軽くウェーブがかかっていた。しかしその白衣は床に転がっているガーゼやタオルと同じように所々が赤く染まっていた。
「わ、渡辺さん。いつから其処に?」凛が顔を赤くしながら目の前の女性、渡辺瑞季に問いただした。
「ん?そうだな……『こ…航さん』あたりからかな?」
「つまり最初からってことですね…」
ああぁぁ…と凛がさらに顔を赤くして座りこんでしまった。
「……………」
「?どうしました?僕の顔に何か付いてますか?」
瑞季の航をじっと見るその視線が鋭い光を放っている。
「少年、大丈夫か?」
「はい?見ての通り元気ですよ?」
「そうではない。君の器は大丈夫かと聞いているんだ」
「………少し、いいですか」
瑞季は凛に患者の手当てをするようにと言い残し、航と共に体育館を出た。
そのままどんどん体育館から離れていった。
「おいおい少年、何処まで行く気だ?」
体育館から数百メートル離れた森の中で航はやっと止まった。
「単刀直入にお伺いします。あなたは何者ですか?」
「何者と言われてもなぁ……ただのしがない医者だとしか答えようが無いんだが…」
「では質問をかえます。さっきの言葉はどういう意味ですか?」
「と、いうと?」
「僕の器についてです」
「ああ、そんなことか…なに、ワタシは医者だからね、人体については常人よりも知識が深いだけさ。…それじゃあダメかね?」
航の質問に飄々と答える。
全てを見透かしているかのような言動のくせに此方からは何の核心も得られない。
この渡辺瑞季を名乗る女性は航の正体を知っている。これは確かな事実だ。だがこれ以上追及しても無駄だろうということで、航は体育館に戻ることにした。
「おや、もういいのかい?」
体育館に足を向けた航にどこか達観した声がかけられた。
「ええ、僕にはやらなければいけない事があるので」
「佐々木静香か」
そこまで知っているとは正直驚きを通り越して呆れる。
「……………」
「まあいい、だが気を付けるんだな。アレほどの存在を殺すんだ、その負担は大きいぞ」
もう一度、体育館に足を向ける。
「分かってますよ。それくらい」
そう、覚悟の上だ。
この戦いの先には恐らく何も無いだろう。
誰も報われないし誰も幸せになれない。
それでも
航は
静香を
殺す。