第四章 非対称な解決と問題
1、
今日も学外セミナーだった。
そこで思い出した。そういえば近くだったな、と。
どうしようか迷って、猪狩は美術館へと足を向けた。
実際のところ用事はない。だから、入場料を払うのももったいない。中には入らずに外を見て回った。すると裏口の方に人が集まっているのが見えた。どうやら美術館の職員らしい。新川の姿もあった。
「新川さん」猪狩は少し迷って声をかけた。
「ん? ああ! ……えっと、猪狩君」
「ええ。こんにちは」
「今日はどうしたの?」
「いえ、特に用事はなかったんですけど。何やってるんですか?」
裏口にはトラックが一台と、数人の職員がいて、何かをトラックに積んでいるようだった。
「美術品の移動だよ。今度別の美術館に貸す作品がいくつかあってね」
「そうなんですか」
「うん。じゃあ、俺も忙しいから。ごめんね」
「いえ、お邪魔してすみませんでした。あ、最後に一つだけいいですか?」
「ん? いいよ、何?」
「新川さんって、館長室の美術品について把握してますか?」
「うーん。把握、ね。美術品があることは知ってたけど。有名な話だしね。あれ、館長の私物なんだよ。けど、何があるかとかは知らないなあ。すごい高い物ってのは知ってるけど。あまり入ったことないんだよ。館長に用事があっても、たいてい事務室で済ましちゃうから」
「みんな同じような感じですか?」
「さあ、どうだろう? 要するにね、あそこは仕事場じゃないから。というか、二階で仕事をすることってないんだよね。空き部屋と第二倉庫しかないから。ああ、でも、館長はよくあそこで仕事するらしいよ。ま、館長のデスクも下の事務室にあるから、そこで済むんだよね。だから、わからない。みんな同じようなものじゃないかな? 把握できてるとしたら岸さんか、田原さんか、それくらいだと思う。もういいかな?」
「ええ、ありがとうございます」猪狩は頭を下げる。新川が手を振って去っていった後も猪狩はしばらく様子を見ていた。
岸が指揮をとっていた。他は五人ほどでが美術品を慎重にトラックに積み込んでいた。指揮をとっている岸自身もせわしなく動いている。
「新川くん、脚立知らないかな? 棚の高いところにあるのが取れないんだ」三十代ほどの男が新川に尋ねる。
「あれ、倉庫になかったですか?」
「脚立なら二階の倉庫だぞ」岸が答える。男は礼を言って室内へと入っていった。
一人手際の悪い女がいた。確か、事件現場にも居合わせたはずだ。何といっただろうか。
「こら、美作!! 何やってる!!」岸が女に怒鳴りつけた。そうだ、美作だった。
美作は一人で絵画らしきものが入った布に包まれロープで縛られたものを運ぼうとして、ふらふらしていた。落としたりしたら、雪で濡れて黴が生えたりして大変だろう。
「一人で運べないなら運ぶな!! 傷がついたらどうするんだ!!」
「は、はいっ! す、すみません……」
新川が助け舟を出して二人でそれをトラックに積み込む。美作はバツの悪そうな顔で頭を下げていた。
「リストラ最上位、ね……」猪狩はつぶやいた。
「何か用かね?」ふと後ろの方で声がした。そこにはふくよかな、言葉を悪くすれば中年太りした男がいた。くだんの事件のときに猪狩を事件現場に押し倒した男である。たしか新川から名前を聞いていたはずなので、懸命に思い出そうとする。
「えっと、田原さん、でしたっけ?」
「ん? そうだが、会ったことがあったかな?」
「あの、館長の事件のときに……」
「……ああ、あのときの。何か用かね?」何とはなしに成金という言葉がイメージされるような体型と喋り方である。
「いえ、近くを通ったので」
「ふん。だったら是非ここにお金を落としていってもらいたいものだが」田原はふてぶてしい態度で言った。どうにも好きになれないタイプだ。
「すみません」とはいえ、冷やかしなのは事実であるし、猪狩は素直に謝った。
「全く、警察は何をしてるんだ。さっさと犯人を捕まえてしまえ」
「心当たりとかないんですか?」
「心当たりも何も、私は岸しかいないと思っとるがね」
「岸さん、ですか?」伊勢から岸の横領の話を聞いていたから、すんなりと納得できたが、ここで知らない振りをしないと、いろいろと面倒なことになりそうだと思い、興味をそそられたようにして尋ねた。
「詳しくは言えんがな。やつには動機がある。館長とは三十年以上の付き合いらしいが、よくもまあ……」
「館長はどんな人だったんですか?」
「どんな、ね。まあ、お人よしだよ。こんな金にならん美術館なんか畳んでしまえばいいのに。……まあ、私も職がなくなったら困るがな。岸のことにしても、さすがに最後はもめてたが、最初は疑いもしなかった。おっと、何があったか言えんから、君は何のことかわからんだろうが。それに、美作だって、普通ならクビだ。見たか、さっきの? 美術品をあんなぞんざいに扱いおって。悪意がないのも厄介だな」
「館長は彼女をクビにしようと思わなかったんですか?」
「館長はな。岸や私はさんざん言っていたがな。怒りこそしたが、頑張ってるからと言ってな。愛のムチというやつか? ふん。そろそろいいか? 私も忙しいんだ」
「あ、すみませんお時間取らせて。……最後に一つだけいいですか?」
「何だ?」
「田原さんは館長の美術品について把握してましたか?」
「把握、の意味がよくわからんが、だいたいの作品は知っとるよ。それがどうした?」
「事件の後、館長室に入りました?」
「いや、警察がずっといたし、その後もどうにも縁起が悪いというか、気味が悪いというか、とにかく入っとらんが。それがどうした?」
「いえ、ちょっと。今度こそ、お時間とらせてすみませんでした」猪狩はお辞儀をした。
2、
「絶対に、ない」
伊勢は困惑していた。彼の証言如何で事件の可能性が広がるのだが、どうにも譲らない。譲らないというのならば真実なのだろう。だが、そうすると、どうやって、がわからなくなる。
「本当に事務所の窓は確認したんですね?」伊勢は警備員の加藤に尋ねた。白髪がだいぶん増えて、全体として灰色の髪の毛で、皺も老いたというよりは貫禄を感じさせ、石原軍団にでもいるのではと思ってしまうような姿だった。
この話は以前にも聞いていたことだ。しかし、どうにも信用できなくてもう一度確認しているのである。
「だから、何度も言ってるだろう」まだ二回目だ、とは突っ込めなかった。確かに重複しているのは事実だ。「職員がいなくなって、八時頃か? 事務所の窓は全て私が確認した」
「その後は?」
「その後? 後は見とらんよ。誰が開けると言うんだ?」
「いえ、そうですね」可能性はまだ残っている。だが、それはあまりにも非現実的、というよりも非合理的に思えた。
「夜中は誰も見てないんですね?」
「私はな。荒井くん、君はどうだ?」腕組みをしながら回転式の椅子を少し回して、荒井の方を向いて尋ねる。彼は加藤と比べて丸い印象を受ける。太っているわけではないが、ふっくらとした体つきで、丸い眼鏡を掛けていた。
「僕ですか? 僕も見てないですよ」二人とも同じ年代に見えるが、どうやら加藤の方が年上らしい。「聞いてもいないです。事務所の窓が開いたら気づきますよ」
事務所の鍵はまだ納得できる。だが、室内で誰も見ていないというのもわかる。だが、それがイコール誰もいなかったとするには早計すぎる。特に”聞いていない”というのは信憑性に欠ける。
「ずっとここにいたんですか?」
「ええ。あ、でも加藤さんが戻ってきてから、そうですね一時くらいですか? 仮眠取りましたけど」
「それまでは何も見てない、聞いてないと」
「見てない、っていうか、カメラ越しですけどね」
「加藤さんも見回りのときも、この警備室でも、何も見てない、聞いてないということですね?」
「そうだと言ってるだろう」
「館長が上にいたのは知っていましたか?」
「ああ、知ってたよ。さすがに黙って泊まっていかれては困るからな。いつも言ってもらってるんだ」
「言われたとき、何かいつもと違う感じはしませんでしたか?」
「さあ、特には感じなかったが。というより特に見てなかったな。こんなことになるとわかってたわけじゃあるまいし」
この二人の証言で、かなり丈夫な牙城が築かれてしまった。犯人はどうやって彼らの目をかいくぐったのだろうか。
例を言って美術館を後にする。玄関を出たところで、何と矢式奈美香に出会った。おそらく、事件に首を突っ込みに来たのだろう。
「あ、こんばんは」
「やあ、どうしたの?」
「……美術館って、五時までなんですね」
「ああ、なるほど」伊勢は左手の時計を見た。今はもうすぐ六時になろうかという頃だ。玄関には堂々と”閉館”の看板が出ている。
ふと、奈美香の視線に気がついた。何かを訴えるような、餌をねだる小動物とでも言おうか、そんな顔だった。
「はあ、わかったよ。教えるかどうかは別として、とりあえず、どこか行こうか。お腹へってないかい?」
2、
奈美香が、帰れば夕食があるはずだからというので、軽めの物をと駅前のドトールへと向かった。伊勢はホットドックとコーヒーを頼んだが、奈美香はコーヒーだけだった。
「私、ちょっと思いついたことがあるんです」
「ほう?」伊勢は笑顔で、さらに言えばとぼけたような顔で聞き返す。
「その前に聞きたいんですけど、事務所の窓の鍵って、どうなってました?」
「そのくらいなら……。八時頃に警備員が施錠を確認してるよ」
「その後は?」
「朝まで確認されてないよ」
「そうですか。だとすると、この犯行には二つの可能性があります。警備員二人が共犯だったという可能性と、館長自らが犯人を招き入れた可能性です」
「だろうね」そう、その二つくらいしか可能性は思いつかない。
「あれ? 気づいてました?」
「まあ、それくらいしかないだろうなって」
「うーん。最近腕が鈍ってきてるなあ」
「腕って何の?」伊勢は笑った。
「就活以外に頭が回っていかないんですよ」奈美香は目を細めてコーヒーを飲む。
「その方がいいよ」
「でも、ちょっとだけ。まず、警備員共犯説ですけど。これは状況だけで言えば有り得ますけど、考えにくいですよね」
「うん。自分たちしか疑われる人物がいないからね」
「それを逆手に取ったとしても……考えにくいですよね」
「疑われるリスクの方が高い」
「館長が犯人を招き入れたとすると、問題はどうやって警備員をかいくぐったかと、どうして招き入れたか、ですね」
「僕個人としてはね、あの警備員は怪しいと思う」
「共犯説支持ですか?」
「いや、そうじゃなくて。実はどこか抜けてると思うよ。”絶対に”ないって断言してるからこそ、うっかり寝ちゃったとか、実はそこまで真面目に見てないとか。だから、どちらかというと館長解錠説を支持するね」
「問題は解錠の動機ですね」
「そう。内緒の話をするには警備員が邪魔なんだよ。話を聞かれることはなくても、そこまで行くのが一苦労だ」
「それに、首の問題もありますよね」
「そう。今考えられるのは、君が言った通り、絞殺痕を消すために首を切断した。目的としては身長の割り出しを防ぐため。実はそんなことできないんだけど、犯人はそれを知らなかった。こんなところ?」
「そうですね。ただ、もう一つ思いついたんですけど、犯人は本当は首を持ち去りたかったんじゃないかって。つまり、あの状況は不完全だったっていうことです」
「何かのために首を持ち去ろうとしたけど、寺坂由美が来てしまったためにそれができなくなった?」
「別に寺坂さんじゃなくてもいいんです。いつ首を切ったかがわからない以上、警備員に見つかりそうになったのかもしれません。むしろ開館中にそれをするのは危険じゃないですか? だとすると、夜中に警備員に見つかりそうになって、首を持ち出すのは断念して逃げ帰ったと考える方が妥当だと思います」
「切断されたのが死後数時間っていうのを忘れないでね」
「ああ、そうか。でも、有り得ない話ではないと思います。寺坂さんが来るまで血が固まらなかったわけじゃないですから」
「確かにね。けど首を持ち去ってどうするのさ?」
「そこなんですよね。一番の使い道は、顔をわからなくして、死体を誤認させることなんですけど、科学技術が発展した今じゃあ……」
「でしょ? 指紋鑑定にDNA鑑定。他に何かあるかい?」
「いえ、今のところは……。悔しいなあ」
「そんなことで悔しがってないで、就活頑張った方がいいよ」
3、
数日後、岸が無断欠席した。妻と二人暮らしで、彼女は入院していたらしいから家には岸一人で、電話も誰もでない。そのため、田原利昌は不機嫌を纏って美術館を出た。
彼は、いわゆるメタボな体を揺らしながら愛車へと乗り込む。岸の家を知っているのは自分だけなので、様子を見に行かなければいけない。
「……ったく、面倒なことを」
もしかして逃げたか? と思わなくもなかった。何せ、彼は経費の着服が疑われている。というよりも、ほとんど確定事項であった。本人は必死に否定していたが、疑いの余地はなかった。そこに館長の死だ。疑わない方がおかしい。
「普通にやっていればナンバー2だったものを……」
副館長の肩書きこそ寺坂由美が持っていたものの、実質岸が館長の補佐を担っていた。だからこそ、つい経費に手を出してしまったのかもしれないが、まったくもったいないことをしたものだ。
それにしても、経営の苦しい美術館の経費に手を出す神経が理解できない。逆に経費に手を出したから経営が悪くなったのか。
彼の家は中央区の外れの高級住宅街である。もっとも、東京と比べS市の高級度合いなどたかが知れているが。
岸の家に着き、車を降りる。彼の家は真っ暗でどうやら留守らしかった。だが、もし逃げたのではなく単純に体調不良などであればもう寝ているのかもしれない。そうだとしたら、連絡をよこさなかった戒め意味も込めて起こしてやろうかという意地悪な思いがわき、とりあえずインターフォンくらいは鳴らしてやろうと門をくぐる。
ドアの前に来て異常に気がついた。ドアストッパーが引っ掛かって、ドアが閉まっていないのだ。いつからこうなっていたのだろうか。鍵を掛ける関係上、外に出るときにこうなることはまず有り得ないから、岸は中にいるということになる。だが、それだと、岸は一度家を出たことになる。それに、こんなことに気がつかないことなどあるだろうか。
「……岸?」
二時間ドラマで、わざわざドアノブに手を掛ける主人公が馬鹿だとしか思えていなかったが、さすがにこの場合に見過ごそうとは思えなかった。
「入るぞ?」
手探りで廊下の照明のスイッチを見つけて点灯させる。人がいる雰囲気を感じ取れない。やはり、いないのだろうか。
あまり、人の家に無断で入り込むのはよい気分ではない。居間だけ見て帰ろうと思い、照明をつけ、絶句する。
「岸!」
そこには頭から血を流した岸が倒れていた。
4、
一週間ほどがたった。結局、ドトールで一度伊勢と話したものの、それから事件についての連絡はなかった。さすがに何度も一大学生に頼っているのは情けないと考えたのだろう。それに、頼られてもこちらが困る。何度も言うが困る。何がと聞かれれば、答えに窮してしまうが、困る。そういうことにしておく。
街はといえばこの時期特有の喧騒に包まれているが、猪狩にとっては関係がない。ここまでセミナーに追われていると虚しくもなってくる。それでも気を抜けば来年の今頃どうなっているかは容易に想像がつくので、どうしようもない。
毎日スーツを着ているわけではないが、それでも着る機会が増えてきた。そのような一週間だった。年が明けるとさらに多忙になってくると考えると恐怖すら感じる。
事件についてはこのままフェードアウトしていくものだと思っていた。
……思っていた、のだが。
「殺された?」
「らしいわよ」
偶然にも同じセミナーに奈美香が参加していた。二人は隣同士で座ると、奈美香の方から話題を振ってきた。
容疑者の一人、岸義行が殺されたというのだ。驚かずにはいられない。
「自宅で鈍器で殴られていたらしいわ」
「マンション?」
「いや、一戸建てだって。奥さんは入院中、息子はもう一人立ちしてるから、誰もいなかったみたい」
「……まさか、密室だったりしないよな?」
「まさかでしょ。そんなんじゃないわ。いたって普通の状態だったって。けど、詳しくは教えてくれなかったわ」
「そう……」
「ああ、もうやめ。止めましょ、こんな話」
「お前が振ったんだろうが」
「うるさいわねえ」
そう言って奈美香は黙り込んでしまった。それでも、奈美香は何か言いたそうに猪狩の方をチラチラと見てきた。
「……何だよ。まだ何かあるのか?」
「いや、事件の話はもうない」
「じゃあ、何?」
「別に……」
「沢尻エリカか」
「古いわよ、それ」
「うるさいな。早く言えよ」
「別に。明後日、暇かな? と思って」
「明後日? 確か、セミナー入ってたぞ」
「あ、そう」奈美香はそっぽを向き、セミナーが終わっても口を利かなかった。
彼女が不機嫌になる理由が猪狩にはわからなかった。
5、
二日後、またセミナーである。いい加減にげんなりしてくるが、それでも仕方がない。手帳にまだ空白があるだけまだマシである。以前内定者の手帳を見せてもらったことがあるが、二月三月の予定はおぞましいものがあった。
街中まで出てきたついでに、セミナー前に猪狩は警察に顔を出した。というよりも、このために早く出てきたのである。
「あら、珍しい。君の方から来るなんて」
「いえ、ただ、気になったことがあって」
毎回、このようなことの繰り返しのような気がする。この行動については自己分析しても答えは出なかった。気になったこと自体が不思議不可思議摩訶不思議である。別に、この自己分析は就活に影響しないから気にしないが。
「何だい? あ、ちょっと待って。ここはマズイ」そう言って伊勢は席を立つ。
連れてこられたのは休憩所だった。幸い人はいない。誰も聞いていなければ、”一般人に情報を漏らす”ことも何とかなるのだろう。
「で、聞きたいことって?」
「館長室の美術品、あれって館長の私物なんですよね?」
「うん、そうだよ。しかも展示してあるものより価値が高い。たぶん君でも知ってるんじゃないかな、っていう作者の作品とかだしね。もちろん、そういう人の作品の中では相当安いけどね。有名どころは億万長者しか買えないよ」
「盗まれたりしてません?」
「……よくわかったね」伊勢は目を細める。「一つ絵が盗まれてたよ。左側の壁が二つしかなかったんだけど、盗まれてた。価値あるものだから五つしか持ってないのかと思ったんだけど」
「そこだけ非対称でしたから」
「え?」
「いえ、何でもありません。えっと、事件の日の朝の職員のアリバイってわかりますか?」
「朝?」
「ええ、朝、出勤してから、由美さんが悲鳴を上げるまでの。犯行時刻と関係ないからって聞いてないことはないですよね」
「もちろん聞いてるよ。ただね、だいたい一緒なんだよ。みんな事務所にいた。岸が一番最初に来て、新川が次に来た。その間の行動はよくわかってないけど、その後は互いが事務所にいたと証言している。他も似たようなものだよ。寺坂由美だけが、微妙なんだ。出勤して一度事務所に顔を出した後は、二階で作業をしていたらしい。現場の二つ隣の部屋だ。ただ、どの道、夜中に犯行を行えなかったのは確かだ。カメラが証明してるんだから」
「充分です。あ、あと岸さんが経費を横領していたらしいですけど、お金に困っていたんですか?」
「ああ、妻が入院していてその費用と、まあ、ギャンブルで少し借金があったみたい」
「少し、ですか」
「ギャンブルでやらかしたにしては少しだよ」
「最近口座に金が振り込まれたりしてないですか? もしかしたら二回かも」
「……ビンゴ。二回目はたいした額じゃなかったけどね。わかると思うけど、岸がその絵を盗んだ可能性が高い」
「二回目は手付金、ですかね? 三回目は、いや本来二回目か。それは直接で、そこで……」
「何言ってるの?」
「あ、いえもう大丈夫です」
「そう? それにしても君も残念な人だなあ。こんな日に就活なんて」
「こんな日?」
「おいおい。今日が何の日かわかってないの?」
「…………あ」
猪狩は曜日感覚こそあれど、基本的に日付は見ない。曜日ほど行動パターンに影響がないからだ。いちいち今日が何日かなんて覚えていない。
「伊勢さん。もう一つ聞きたいことができました」