【もう一つの出会い】
間宮凪が現在住む町に引っ越してくる前。
2026年3月の終わり頃、その町では別の物語が動いていた。
これはその一端であり、しかし、やがては凪とも交錯する物語。
- 3月下旬 AM1:23
東京 中央西地区 観音景山 中腹部 -
「ねぇちゃん、ごめん…」
「いいのよ、あなたが気にすることじゃないの…それに…やっと終われるんだから」
懐中電灯の灯りを除き深い闇が包む山の中を、手を取り合い歩く二人の姉弟。
「…着いた」
「ねぇちゃん、ここ?」
二人の前に現れたのはいつからあったのかさえ分からない程ボロボロになった井戸。
「本当に…あったんだ」
「で、でも何でこんなところに井戸なんか」
「わからないけど…あれに飛び込めば」
姉は手に力を入れるゆっくりと歩き出す。
姉に手を引かれる弟は少しの戸惑いをみせる。
「ね、ねぇちゃん本当にもういいの?」
「…うん、もういいの。最期にあなたと一緒にいけるならそれで」
「…俺もねぇちゃんとだったら怖くないよ!」
強張ってそう言う弟に、心の中でごめんねという姉の顔は悲哀で満ちていた。
井戸の前まできた二人は懐中電灯を穴の中に向ける。
「底が見えないね…」
「うん…すごく深いって…噂ではあの世に繋がってるとか言われてるんだって」
苦笑いを浮かべそう言った姉の声は僅かに震えている。
「あん?なんだ貴様らは」
「ヒィッ!?」
「ひ、人!?こ、こんなところで何をしてるんですか」
懐中電灯を振り回し辺りを見回すが姿がない。
「それはこっちのセリフだ」
その声はどうやら上から聴こえてくる。
「ねぇちゃんあそこ」
弟が指差した木の上へと懐中電灯を向けると、照らした光の先に男がいた。
木の幹に背を預け枝に座り足を組んでいる男は話を続ける。
「貴様らのような人間がくるような時間でも場所でもないぞ、何しに来た?」
「あ、あなたには関係ないです」
「まぁどうでもいい、邪魔だからさっさと立ち去れ」
「あ、あなたこそ帰れば…」
「俺は用があってここに来ているんだ」
「それは私達もです」
「あ?貴様らただの人間だろ?まさかイドに用でもあるってのか?」
「そうだったら何なんですか」
「…いいからさっさと消えろよ、ここのイドは貴様らが思っているようなモノじゃない」
「あなたが何を言っているのか全然わか…」
「フシュウウウゥ、、、ニオウ、、ニンゲンノニオイダッ、、」
「え…ねぇちゃん今、井戸から声が…」
「ちっ、喋れるヤツかよ!話が違うじゃねーか!貴様らさっさとそこから離れろ!」
男は木から飛び降りると、どこかから出した刀で井戸から頭を出したソレを一突きした。
井戸から這い出てこようとしていたモノは雄叫びのような声をあげ、そしてそのまま落ちたのかその姿は見当たらない。
「今のじゃまだやれてないか。おい貴様ら早く逃げろ!」
「だ、だめ、腰が」
「だからさっさと消えろと言った…ちょっと待て。貴様らヤツの声が聞こえたのか?」
「声っていうか変な姿も」
「二人ともか?」
姉弟は顔を見合せ同時に頷く。
「…とりあえずそれなら話は早い、簡単に話すから無理にでも理解はしろ!今のはこっちの世界とは似て非なる別のとこからくる化物だ」
「バケ…モノ?そんなのがなんで」
「ま、まさか人を食べにとか…まさかねハハハ…」
半笑いの弟を遮るように言いきる。
「そのまさかだよ。ま、もっと細かく言うなら人の魂を喰らいにだがな」
僅かに思考した男は、
「ったく、それにしても聞いてないぞあのレベルのが出てくるなんて…しょうがない、あれ使うしかないか」
と言いながら、井戸に何かを投げ入れた後に、腕に巻かれていた布をほどき取ると井戸に被せ、腰に巻き付けていた縄のような物を、被せた布を縛り付けるように回し結んだ。
「よし、これである程度時間は稼げる。あとはあの人に任せるとして、先ずは貴様らを逃がすのが先だ」
三人で一目散に山を下りようやく1つの自販機の前で呼吸を整える。
「ここまで来ればとりあえず一安心だ」
「あ、あのありがとうございました!」
「それはいい。そもそも俺の目的はアレを消すためだったんだからな」
「あの…私達のせいでもしかして失敗でも」
「失敗じゃねーし、そもそも情報が足りないんだよ!いつもいつも適当なことばかりで…」
ハッと我に返り言い直し始める。
「…ま、まぁ貴様らがいたのは誤算だった。けど仮に貴様達がいなくてもアレには勝てなかったさ」
「さっき縄とか布みたいなのを何かしたりしてたのは?」
「ん?あぁ、あれは【仮止め】だ」
「仮止め?」
「要は一時的に封じて出てこれないようにしただけだ…おっとそうだった連絡しとかないと」
スマホを操作している彼に寄っていく弟。
「あ、こらダメでしょ」
「う、うんごめん」
「なんだ?」
「少しスマホを見たくて、ごめんなさい」
「メッセージの内容をか?」
「?メッセージっていうのはよく分からないけど、その…スマホ自体を」
「何を言っているのか全く分からんのだが」
「す、すいません、あの…私達その…スマホを持っていなくて」
「あん?失くしたから貸せってことか?」
「あ、いえそうじゃなくて…元々持っていなくて」
「……そういえば忘れてたけど、何であのイドに来たんだ?」
「それは…」
-数刻前 久松家-
〈がしゃん〉
ビールの瓶をテーブルの角に叩きつける男。
「おらぁ!酒がなくなったぞ!さっさと買ってこい!」
「叔父さん、やめてよ!もう怒鳴ったり物を壊したりしないでって」
「うるせぇな、そうされたくなかったら酒もってこい!」
「そんなの買うお金なんかないって言ってるでしょ!」
「ね、ねぇちゃん…」
「大丈夫だよ、お姉ちゃんの後ろにいなさい」
「私のバイト代だけじゃ今の生活で精一杯だよ、だから叔父さんも」
〈がしゃん〉
今度は別のビール瓶が投げられ柱に当たる。
「誰にものをいってんだ!お前らみたいのような親がくたばった荷物にしかならねーのを俺は預かってやってんだぞ!」
「で、でもその代わりに両親の遺産は叔父さんに全て預けたんだから」
「んなもん残ってたら酒に困ってねーだろーが!」
「てめーら高校やめて働けよ!」
「い、いい加減にしてよ!私達は叔父さんの道具じゃないんだよ!」
「何を一丁前なこと!くだらないこと言う暇あるならなんか売って金にしてこい!」
「もう家にお金になるものなんてないって…」
そう言った私のことを叔父は足元から舐め回すように見上げる。
「お前がいるじゃねぇか」
その言葉は冷たいというより、欲望でどす黒く感じさせた。
「ずっと思ってたんだよ、お前は姉さんに似て美人だし体つきもいい。何度お前を犯そうか考えたことか、へっへ」
何なんだ。
一体コレは何なんだ。
同じニンゲンなのか。
頭の中がグチャグチャになる。
何も考えたくない、何も考えられない。
そうか…この酷く吐き気さえ感じさせる渦巻く感情が…絶望なんだ。
そんな私の感情を尚も揺さぶるように汚い言葉は続けられた。
「俺はな考えたんだ。お前を犯すよりお前の初めてを高く買ってもらったほうが、お前も俺も幸せだろうってな」
「…」
「なっ!だから、体、売ってこいや」
気付くと今まで私の後ろで震えていた感触がなくなっていた。
「何いってんだよ!どんだけねぇちゃんを苦しめるんだよクソヤローが!」
弟はいつの間にか台所から包丁を持って私の前に立っていた。
「ああ?何だそれは?そんなので俺をやれるとでも思ってるのか!」
「やってやるよ!テメーみたいなゴミが消えるならいくらでも汚れてやるよも!」
私は咄嗟に手を出し後ろから包丁の刃を掴むと、テーブルに置いてあるポットを叔父に投げつけ、そのまま弟を連れて家を飛び出した
。
「…なるほどな。そのまま飛び出してきたから裸足だったのか…二人ともそこの石段に座れ」
言われた通りに座り男を見つめていると、男は自販機に歩いていき「何でも飲めるか」と聞いてきた。
「え、いえ、あのお金も持っていなくて」
「何でも飲めるのかしか聞いていないぞ」
「はい…」
「ぼ、僕はコーラが飲みたい…かも」
「こら…」
「はいよ、コーラな」
自販機は〈ガシャン〉と三回音を鳴らし終えると、〈ジー〉と小さく機械音を鳴らす。
辺りはその機械音と虫の音だけがする静けさに包まれている。
「ほら、ご希望のコーラだ」と弟に渡すと、
「ほらよ」と無愛想に私にポイと投げてきた冷たいペットボトルのお茶。
「冷たい…のに…あったかい…」
心の声がそのまま口に出てしまう。
「は?何言ってんだお前」
「あ、いえ、違くて…ありがとうございます…」
「…変なやつ。さてと」と言いながら
男は二人の足元に腰を降ろし足を見る。
「ったく傷だらけじゃねーか……あれだな、わ、悪かったな知らなかったとはあんな山の中走らせたりして」
「え…いえいえあなたが謝ることなんて何にもありませんから!それにこれは姉の私が靴を」
「お前は十分頑張ったんだろ?『私が』なんて責めてちゃ弟は余計苦しむぞ」
「……」
自然と溢れはじめた涙が止まらない。
優しくされたから…それも勿論あった。
でも何も知らない目の前の男の人が、これまでの全てのことを受け入れ認めて自分を許せるように導いてくれたんだと感じたのだと思う。
「な、泣くとこじゃねーだろ!ったく…とりあえず足の傷は手当しとくか」
男の人は右のズボンの裾を上げ、その脚に巻き付けられた小さな袋のようなものを外す。
「俺の師匠がさ…あ、さっきスマホで連絡入れた人ね。その人がいつも身に付けておけってうるさくてな…フッ…」
小さく微笑むように笑った男の人に弟が聞く。
「兄ちゃん、何か嬉しそうだね」
「そうか?…こういう時のためだったのかもなって思ってな…つーか誰が兄ちゃんだ」
「何か本当の兄ちゃんがいたらこんな感じだったのかなぁって、だから兄ちゃん!」
「くだらないことを…」
〈ブブーブブー〉
「ちょっと待てよ…師匠からか。ちょっと話していいか?」
「はい、私達のことは気にしないで大丈夫ですから」
「あ、もしもし、うんそう、あれは無理」
「…」
「いやとりあえず結界は張ったけど1時間持てばいい方」
「…」
「うん、うん、いやちょっと一般人…ではないけど部外者がいてさ」
「…」
「あーうん、一般人じゃない。見えてたからな」
「…」
「これから?いや決めてないっていうか少し複雑でさ」
「…」
「俺?…い、いや別にさっき会ったばっかだぞ?!んなもんどうでも…はぁ?助けたい分けないだろ!」
「…」
「力に?信用できるんだろうな?うんうん、わかった、うん、場所と何か特殊な入り方とかあるなら送って」
「…」
「いや、だから違うし、気が向いたらって話だよ!つーかあっちは任せたからな!」
「…」
「え?終わったって何が?」
「…」
「え、今?誰が?師匠が?うんうん…はぁ…とりあえず分かったもういいや。戻ったら詳しく聞かせてもらうわ、何で俺を向かわせたのかも含めてな!」
「ったく何なんだよあの人は…」
怒鳴りながら電話を切りブツブツと呟く彼に話しかける。
「あの…話は終わったんですか?」
「ん、あぁ悪い悪い、何か腹立つからあんま言いたくないけど、さっきの山のアレ、もう消えたって」
「はい?」
「うちの師匠が終わらせたって。今しがた」
「なっムカつくだろ!人が必死にやって…あーやめやめ、あのムカつく奴の話はいいや。とりあえず手当したら少し付き合ってもらいたいところがある、いいか?」
「ど、どこに行くんですか?」
「安心しろ、別にお前らをどうこうしようって話じゃない、むしろ逆だ逆。お前らを手助けできるかもしれない人がいるみたいだからそこに行くぞ」
「で、でも」
「お前達、死ぬ覚悟があってあそこまで来たんだろ?だったらその覚悟、俺に預けろ」
「ぼく…兄ちゃんになら何されたって、例え殺されたっていい!」
「なんにもしねーし、殺しもしないわ」
「あのっ!弟共々、よろしくお願いします!」
真夜中なのに綺麗に出た月が優しく照らすこの時間。
私達姉弟が出会った、荒々しささえも愛おしく感じるほどの優しさを与えてくれたこの日のことを、私は決して忘れない。
月城 荒と名乗った彼をこれから先もずっと。




