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もう一度、人生を

帰れる場所

作者: かめぽん
掲載日:2026/04/06

前作の続編です。


森での穏やかな暮らしの中で、ナナが一歩を踏み出すお話になります。


よろしくお願いします。

朝の空気は、少しだけ冷たかった。


 森の中に差し込む光が、やわらかく揺れている。


 耳を澄ませば、どこかで歌うような声。


 精霊に語りかける、いつもの旋律。


「セナ」


 名前を呼ぶと、小さな背中が振り返った。


 木漏れ日の中で、その髪がふわりと揺れる。


「なに?」


 無邪気な声。


 その足元で、風がくるりと回った。


 ——まるで、応えるみたいに。


「なんでもない」


 思わず、笑みがこぼれる。


 この子は、生まれたときからずっとこうだ。


 精霊の気配を当たり前のように感じて、当たり前のように応える。


 エルフの子どもたちの中でも、それは少しだけ特別だった。


 そして——


 この森は、それを当たり前のように受け入れてくれる。


 あの日、何も持たずに迷い込んだ私を、受け入れてくれたように。


 ——あの日から、五年。


 ここで過ごした時間は、


 穏やかで、やさしくて。


 気づけば、それが当たり前になっていた。



「ナナー!」


 明るい声が、森に響いた。


 振り返ると、軽やかに駆けてくる影。


 長い耳を揺らしながら、にこやかに手を振っている。


「おはよう!」


「おはよう、アルス」


 本当は、もっと長い名前があるらしいけれど。


 みんなは、そう呼んでいた。


 ——アルセリオス。


 けれど、その軽やかな笑顔には、短い名前の方がよく似合う。


「今日もいい天気だね!」


「そうね」


「こういう日はさ、外の方まで行くと景色が違うんだよ」


「外?」


「うん、森の外。ちょっと行ったところに、人族の街があってさ」


「危なくないの?」


「んー、まあ魔物はいるけどね。でも、慣れればどうってことないよ」


 にこっと笑う。


 悪びれる様子もない。


 この森の中では、魔物の気配なんてほとんど感じない。


 精霊たちが守ってくれている、この場所は——


 ずっと、安全だった。


「結界の外は、ちゃんと“外”だからね」


 アルスが肩をすくめる。


「でもさ」


 少しだけ、声のトーンが変わる。


「その分、広いよ」


 木々の向こうを見るように、視線を遠くへ向ける。


「森だけじゃないからさ。人族の街もあるし、もっと先には王都もある」


 その言葉は、どこか楽しそうで。


 少しだけ——眩しく見えた。


 そのとき。


「ねえ!」


 弾む声が、会話を遮った。


 振り向くと、セナがこちらへ駆けてくる。


 その足元で、風がくるりと舞う。


「見て!」


 差し出された手のひら。


 何もない——はずなのに。


 ふわりと、空気が揺れる。


 小さな光が、瞬いた気がした。


「すごいね」


 自然と、言葉が出る。


 驚きはある。


 けれど、もう見慣れた光景でもあった。


 風が、やさしく頬を撫でる。


 まるで——応えているように。


「ほんと、すごいよね」


 アルスが、ぽつりと呟いた。


「ここまで自然にやるの、あんまり見ないよ」


「そうなの?」


 自分にとっては当たり前でも、外から見れば違うのかもしれない。


「こら、走るんじゃないよ!」


 マルタの声が、森に響いた。


 子どもたちが一斉に散っていく。


 セナも、くすくす笑いながらその中へ戻っていった。


「元気ねぇ」


 どこか呆れたように、けれど優しく呟く。


「あんたの子だろう?」


 呆れたような声。


 いつの間にか、マルタが隣に立っていた。


「でもまあ——」


 マルタの視線が、セナの背中を追う。


「……元気ってだけじゃ、済まないかもね」


「そう、かもね……」


 否定はできなかった。


「悪い意味じゃないよ」


「あの子は、この森にちゃんと愛されてるよ」


 少しだけ間を置いて、マルタは視線を落とす。


「……うーん」


「……あたしじゃ、うまく説明できないね」


 肩をすくめる。


「心配なら、リゼに聞きな」



 リゼの家は、いつもと同じ匂いがした。


 乾いた薬草と、少し甘い香り。


「どうしたの?」


「少し、聞きたいことがあって」


「セナのこと?」


「うん」


「やっぱりね」


 リゼは静かに頷いた。


「エルフの中でも、あそこまで精霊と近い子は珍しいわ」


「精霊が寄ってくるんじゃないの」


「……あの子の方が、自然に触れてるの」


「普通はね、呼びかけて応えてもらうものなの」


「でもあの子は、もう“そこにいる”」


 リゼの言葉に、ふとセナのことを思い浮かべる。


「だから、この森にいる限りは困らないわ」


「でも——」


 その一言で、空気が少しだけ変わる。


「外では、少し勝手が違うの」


「人族は、精霊に頼らずに魔力を使うでしょう?」


「祝福の儀で、自分の力を知って、それを伸ばしていく」


「でも、あの子はどちらでもない」


「精霊と近すぎる」


「でも、人族として生きていくなら、そのままでは扱いにくいの」


「目立つわ」


「良くも悪くもね」


 わずかに、息を呑む。


「それに——」


「寿命も違う」


「エルフと、人族では」


「この森にいれば、あまり意識しないかもしれないけど」


「外では、そうもいかないわ」


「いずれ、あの子は人族の中で生きていくことになる」


「出会う人も、選ぶ道も、きっと増える」


「だからこそ——」


 リゼは、静かにナナを見る。


「知っておいた方がいいと思うの」


「外の世界を」


「そして、あの子自身の在り方を」


 リゼの家を出ると、森の空気が少しだけ違って感じた。


 変わったわけじゃない。


 けれど——


 自分の中で、何かが揺れている。


 このままでもいい。


 ここは安全で、優しくて、守られている。


 それでも。


「……このままで、いいのかな」


 ふと、セナの姿が思い浮かぶ。


 笑って、風と遊んでいる姿。


 この子は、この森で生きていける。


 でも——


 そのとき。


 風が、止んだ。


 静けさの中で、ひとつの気配。


 木々の奥から現れたのは——


 鹿だった。


 あのときと同じ、やわらかな気配。


「……あ」


 思わず、声が漏れる。


 あのとき、導いてくれた存在。


 鹿は、静かにこちらを見ていた。


 そして。


 ゆっくりと視線を動かす。


 その先には——


 セナ。


 風が、やさしく巡る。


 鹿は、それを見守るように目を細めた。


 まるで——


 確かめるように。


 そして。


 小さく、頷いたように見えた。


 次の瞬間には、もういなかった。


「……」


 胸の奥の迷いが、少しずつほどけていく。


 ここは、終わりじゃない。


 離れることは、失うことじゃない。


 ちゃんと、繋がっている。


 そう思えた。


「セナ」


「なに?」


「少し、遠くに行ってみようか」


「とおく?」


「うん。森の外」


 一瞬のあと。


「……おかあさんと?」


 その言葉に、思わず笑ってしまう。


「もちろん」


「いく!」


 迷いのない声。


 自然と、笑みがこぼれた。


 怖さは、消えない。


 それでも——


「大丈夫」


 小さく、そう呟く。


 ここは——


 帰れる場所だ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


前作に続くお話として、ナナの次の一歩を書きました。


また続きを書けたらと思っています。

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