37. 再び
あたりが薄暗くなってきて、膝を抱えていた采蓮の目にはっきりと気の光がすいすいと泳ぎ出した。
やはり乱されているのだろう、ぶつかり合ったり揺らめいたりと目にうるさい。
仕方なく顔を上げてあたりの様子を確かめた。
采蓮を牢に入れて安心しているのか、この部屋には入り口にひとり見張りがいるだけだ。
しかも退屈そうにあくびをしている。
ごく小さい小声で凌霄の耳元で囁いた。
「ここからなんとかして出られないんですか?」
「あぁぅー(やってみよう)」
よちよちと凌霄がはいはいしながら格子に近づき、懸命に腕を伸ばしている。
采蓮は近づいて鍵のそばまで抱き上げてやろうと屈み込んだ。
ドサッ……
唐突に入り口から物音がして、顔を上げる。
入り口の見張りが床に倒れ伏して伸びていた。
そして、近づいてきた人物の足元から上へと視線を上げていくと……
「何やっとるん、ほんまに」
呆れた顔でそこに立っていたのは、諸悪の根源たる詐欺師の朱雀だった。
「だあぁっ! うー! あっ!(貴様、よくも私の前にその顔を晒せたな! 今ひっ捕らえてやるぞ!」
「まさかその赤ん坊、この前のがきんちょか? 縮んでへん?」
朱雀を睨みつけながら凌霄を抱き上げて後ずさる。
「なんであなたがここにいるんですか?」
「あー……あんた、俺のこと悪党やと思っとるやろ?
……まぁ否定はせぇへんけどな。俺の中でも線引はあんねん。
ここの気の歪みは俺がやりたくてやったんちゃう。せやけど俺の術が生んだ歪みやんな?
まぁ多少は責任感じて様子見に来てみたら、何や見覚えのある娘っ子が捕まっとるやんか。
まさかほんまにあんたらやったとはなぁ」
朱雀はやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
そして、糸のような目がすうっと細くなり、胡散臭い笑みが口元に浮かぶ。
「なぁ……助けたろか?」
「……何を企んでるんです?」
あまりにも胡散臭い誘いに采蓮は凌霄を抱く腕に力を込めた。
「だぁっ! あう! あー!(娘よ! この者の言うことに耳を貸してはならぬ!)」
「簡単な話や。お前さんら鬱陶しいねん。商売の邪魔や。
まぁここで見殺しにしたって俺にとっては結果は同じやねんけどな?
どうせなら人助けしたりたいと思うんよ。
俺ってば優しいわぁ……
……せやからな、この先俺の商売を邪魔せんでほしい。それだけや」
自分で自分を優しいと言う人間ほど信じられないものもいない。
だが、采蓮はその言葉に揺れた。
「……わたしは何ならそれでもいいんですけどね」
采蓮は腕の中の赤子を見下ろした。
今この瞬間も、凌霄は朱雀に向かって拳を振り回しながら何かを訴えている。
「でも、この人が納得しませんよ、多分」
「いやほんまにそいつ仙人なん? しょぼすぎひん?」
朱雀は心底呆れたように、眉をひそめて凌霄を凝視した。
「……まぁ、人間がここまで縮む術なんて俺も知らんし、本物なんやろな。
で、お姉さん、俺の提案断るってことでええの? ここの連中、見かけ通り節操ないで。
放っといたらあんた、明日にはどないなっとるかなぁ……」
朱雀の糸目が、楽しげに細まる。助けると言いつつ、相手を追い詰めて楽しむその性格の悪さはさすが詐欺師だ。
采蓮は奥歯を噛み締めた。
「……わかりました。じゃあ、助けてください」
「だー! だー!(何を! 血迷ったか!)」
「だから何言ってるかわかんないですって」
采蓮の冷たい一喝に、凌霄はショックを受けたのか「あぅ……」と項垂れた。
朱雀はそれを見て、愉快そうに鼻を鳴らす。
「物分かりがええなぁ。けど、その言い方はあかんわ。
ちゃんと呪術的に契約くらいは結んでもらわな、俺も割に合わんで?」
「……契約?」
「俺がここからあんたらを逃がす代わりに、二度と俺を追わへんこと。
もしこのガキ……仙人様が俺を追いかけようとしたら、あんたが全力で邪魔すること。
それを”魂”に刻んでもらう。ええな?」
「いいですよ。この人があなたを追おうとしたら、私が全力で足を引っ張ります」
采蓮が即答すると、朱雀はぴらっと御札を取り出して、采蓮に向って何事か呟いた。
ピリッと胸に痛みが走る。
「よし、商談成立や。ほな、さっさとズラかろか」
朱雀は慣れた手付きで針金を取り出し、牢にかけられた南京錠を解錠してみせた。
「さすが泥棒みたいなことに手慣れてますね」
「おたく助けられる気あるん?」
「あぁ!? てめぇ、何やってんだ!!」
運悪く、廊下の先から戻ってきた複数の男たちと鉢合わせる。
「……ちっ、様子見に来るのが早すぎんねん。お姉さん、走れるか?」
朱雀が懐から取り出した御札を叩きつけ、爆風と煙が廊下を包む。
その隙に采蓮は凌霄を抱きかかえ、出口に向かって必死に足を動かした。
だが、ここは敵のアジトだ。不慣れな場所と、腕の中の暴れる乳児が采蓮の体力を容赦なく削っていく。
「あぅ! だだっ!(下ろせ! 私も戦う!)」
「大人しくしててくださいってば!」
背後から迫る怒号。
朱雀が応戦している隙に外へ出ようとしたが、回り込んできた大男に道を塞がれた。
「逃がさねぇっつったろ、お嬢ちゃんよぉ!」
手首を掴まれ、強く引っ張られて地面に膝をつく。凌霄が腕からこぼれ落ち、床の上に転がった。
絶体絶命。
男たちの下卑た笑い声が響く。
その時だった。
「……全く、聞き分けのない娘だ」
低く、響き渡るような声。
砂埃にまみれた赤ん坊の体が、眩いほどの光に包まれる。
「私に万事任せよと言ったであろうに。あろうことかそのようなものと契約を交わすなど」
眩光が弾けた。次の瞬間、そこにいたのは無力な乳児ではない。
どこまでも尊大で圧倒的な美丈夫――凌霄が、光をその身に纏いながら立っていた。




