32.景朔チルドレン
結局采蓮がゆっくり休めたのは昨日だけだった。
昨夜は調子に乗ったちびっこ仙人にデコピンをかまそうと近付いた采蓮に、
「そなた、髪がびしょ濡れではないか。また風邪をこじらすぞ」
と小さな手で懸命に水気を拭かれて毒気を抜かれ、何も文句を言えなかったのだ。
熱で倒れて半日眠っていたにもかかわらず、温泉に浸かって旅の疲れが解けたのか、夜も泥のように眠った。今度は夢も見なかった。
そして今朝である。
精進料理的な朝餉をかきこむ凌霄を感心したように見つめながら配膳している明華。
「食は穢を溜めると言いますが……凌霄様ほどのお方ともなると関係ないのですね」
「ほむ、ほうらら。わらひもさいひんひっはろら(ふむ。そうだな。私も最近知ったのだ)」
このクソガキ、全く学習しない。
口いっぱいにして喋る凌霄に呆れた顔でほっぺのご飯粒を取る采蓮オカンの中で、このおこちゃまの本来の姿が超絶美丈夫である事実は彼方へと追いやられ始めていた。
麓の町への案内には、明華がついてくれることになった。
「麓の温泉は、あちらのお寺様で管理されているのです。私どもは道を極めんとする隠者のみに開かれた道観ですが、こちらは広く大衆に解放されているのですわ。」
明華はそう言って山門の手前で立ち止まった。
「そういうわけで、私どもとしては宗派違いで他所様のことに土足で踏み込むわけにもまいらず困っていたのです。まさにお二人は天の助け。
……では、あとはよろしくお願いいたします」
「え」
采蓮はまじまじと明華を見つめた。
この丸投げ精神、景朔の系譜をとてつもなく感じる。彼女はいずれ天仙になるだろう。そう思った。
仕方なく凌霄と二人で山門をくぐる。
何故か人気がなく、源泉まで誰にも会わぬまま進んだ。
「ここですか……」
采蓮は、念の為袖で目元を覆って目を閉じ、気の流れを”視た”。
やはり気の光が一点に向けて吸い寄せられたり弾かれたりしている。以前采蓮の村で河原に刺さっていた針と同じだ。
「やっぱり、ありますね」
「ふむ」
見た目は5歳児だが、一応仙人らしいことができなくもない凌霄が手を伸ばし、針を不思議な力で引き寄せた。
パリンと割れてサラサラと崩れていく。
と、その時。
後ろからガヤガヤと人の声が近づいてくるのが聞こえた。
「安心してぇな。俺にかかればちょちょいのちょいやで。信用でけへんならとりあえず見とき。お代は後でええ言うたやろ?」
そんなセリフが聞こえてきて、采蓮の体がこわばった。
(まさか……)
「……ん? なんだね、君たち。今風呂は閉鎖中だよ。勝手に入っちゃだめじゃないか」
寺の僧侶が采蓮達を窘めてくる。
まぁ、一人は5歳児の姿なのだ。弟のわがままで来てしまった姉くらいに見えるのだろう。
だが、一人冷たく視線を光らせた男がいた。
黒い道服に身を包み、赤茶けた短い髪を無造作に跳ねさせた糸目の青年は、二人の後ろにある源泉の変化を瞬時に察したようだ。
「へぇ……?」
小さく呟いたその声を拾った者はいない。
次の瞬間、ぱっと表情を変え、御札のようなものを突き出した。
「天地自然、穢気分散」
何やら呪文を唱えてバッ、バッとそれっぽく印を組んだりしている。
采蓮は何かされるのかと身構えたが、特に何も起こらなかった。
「ふぅー……これでえぇわ。すぐとは言わんけど、数日で普通に温泉がまた湧くようになるで」
「ほ、本当ですか…!」
「ほんまやって。さっきも言うたけど、お代は確認できてからでえぇよ」
そう言って気軽な様子で僧侶に向ってパタパタと手を振っている。
その後で、采蓮達に糸目を薄っすらと開いて声をかけた。
「お姉さんら、ちぃーっと、面かしてくれへん?」




